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2013年4月6日土曜日

国債大暴落と円安雪崩?


国債大暴落と円安雪崩かもだってよ
まあオレには関係ないけど
週明けが楽しみだね
船橋洋一の最悪のシナリオが実現するのかね
リフレ派の経済学者がこのところ大人しいんだよな
どういうわけかね


彼は2010年に朝日新聞(主筆)やめてんだよな
原発報道もう少しまともだっただろうな
彼がいたら




──本の冒頭第1章では、原子力保安院の保安検査官4人が事故直後に福島第一の現場から敵前逃亡したことに触れています。こんなことが許されていたのですね。


政府事故調も報告書でやや批判的に書いたけれども、これに焦点を当てたものは一個もないのです。私はそれに非常に不満がありました。政府批判のなかで一番、批判されなくてはいけないのはここでないか、と。やはりそういう発想にならないのは、戦後の日本で、国をいったい誰が守るのか、というぎりぎりの部分、安全保障国家としての国家像が欠けているのではないか、と思いました。僕は右翼でも保守派でも何でもないけれども、率直そう思いました。


調べてみると、臨界が起きるのではないかとか、ありとあらゆる口実を言って、逃げちゃっている訳ですよ。彼らだけでなく、黙認した保安院にも責任があるし、それをまた黙認した当時の海江田(万里)経産相にも責任があるのではないか、と思います。


私が調べてみて、へぇっー、そういうことだったのかと思ったのは、保安員も含めて、オフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)に逃げ、そこからまた、福島県庁に逃げた。


14日夜9時半ぐらいから15日の昼にかけて、政府の職員たちをみんな逃がしている。その一方で、同じ頃、菅さんは東電に乗り込んで「お前ら、死ぬ覚悟でやってくれ」と言っている。いったいこれは何なのか。これは絡んでいるのです。絡んでいることを意識していたのかどうか。どういう風に解決しようとしたかどうか、知りたかったのです。それを調べたら、気づいたんです。


保安検査官の逃走というのは、一種の規制体制、規制レジームのメルトダウンだったと思います。

──米国もこの事実を聞いてびっくりしたとのことですね。

米国のNRC(原子力規制委員会)の2人に聞きましたが、2人ともびっくりしていて、「信じられない。アメリカだったら、完全に首だし、はっきり言って監獄行きだね」と言っていました。

米国の保安検査官というのは、家族と一緒になってプラントの近くに住むのです。家族の命もかかっているから、死に物狂いで安全を守るのだと言っていました。

──これは誰か責任をとったのですか。


誰もとっていない。とっていないのです。


──保安院がなくなり、責任問題が消えてしまったのですか。


保安院がなくなったんでしょ、過去の話ですね、と言うわけですね。典型的な霞ヶ関の生存術ですよ。

トカゲの尻尾きりです。経産省がつぶされるかもしれないという瀬戸際でしたから、保安院を人身御供(ひとみごくう)にして(経産省は)逃げたということです。
国債大暴落と円安だって、まっさきに逃げだすんだろうよ
あの連中は

北野武じゃないけど
日本という国は一度亡んだほうがいいんじゃないか
無名の優秀なひとはいるんだけど
蛸壺なんだよな
背中や後姿でものいう時代じゃないらしいから
ダイレクトにいえばね

生きるとは何のことかーー生きるとはーー死にかけているようなものを、たえず自分からつきはなして行くことだ。
生きるとはーーわが身において(そしてたんにわが身においてだけではなく)いっさいの弱く老いたものに対して、残酷で情け容赦しなくなることだ。
ーーニーチェ『悦ばしき知識』
 《北野:もう、末期かも知れないと思うけどね。何百万年という人類の歴史において、文明とかあらゆるものは、絶滅する時代が必ずあって。無くなることで、新しいものが出てくる。そういう風に考えると、人間はもう行き詰まったなっていう感じはあるよね。人間が生き物として頂点に君臨している時代がついに終わりを迎えられるような気がするよね。
―なるほど。
北野:もしかしたら、あと20年か30年後に世界中の人が「このときから人間の破滅は始まってた」って言うんじゃないかな。それが今日のことを指すのかもしれないし。我々が幕末の話をするときに「このときにはもう江戸幕府は終わってたね」って言うのと同じように、世界のあらゆるものが崩壊しだしている。》(北野武が語る「暴力の時代」

話はかわるが
ゴダールはHANA-BI』褒めてんだね


日本について言えば、日本もまた、何人かのよい映画作家が存在した国だと思います。溝口、黒澤、小津、成瀬らが存在していました。しかし日本映画は存在しなかったと思います。日本が何だったのか、日本が何になりたいのかを表現する日本映画が存在しなかったと思います。ひとつ日本映画の中で、ここ四、五年、私が素晴らしいと思っている、北野武の映画があります。『HANA-BI』という作品です。私が『HANA-BI』を好きなのは、それが日本映画だからではなく、普遍的な映画だからです。ゴダールインタビュー〈2〉 ── 日本映画というものは、存在しない

蓮實重彦の名文つけ加えておくよ