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2013年5月25日土曜日

月橘の樹


過日、庭師に芝刈りを頼んだついでに、西側の庭にある巨木の細葉榕(ガジュマル)の下枝を払ってもらい、庭がめっきり明るくなる。

二階の書斎からはいままで葉篭りに隠れて見えなかったおびただしい気根が、梢から垂れ下がるのが眼をひくようになり、それら何百本もの細いひものような根がいくつかに束ねらたようにして風に揺れている。雨が降れば雨滴が気根に伝わって流れ落ちる。我が家の樹は樹齢百年を越えるらしいが、このガジュマルは何百年ほどの樹であれば、アンコールワットに見られるように屋敷まで食べ尽くす。気根が地につけばそこから根はすくっと立ち上がり枝を支える形になる(そもそも十八年まえ、アンコールワット遺跡にある樹容に魅せられて、多くの植木屋をあさって選べる範囲での最も古い木を庭に植樹したものだ)。






細葉榕の大樹のまわりは玉砂利で敷いた楕円形の散歩道で、その小道に沿って膝下の高さの灌木が植え込まれていたのだが、巨木の根がその植え込みの下まで這い伸びてところどころ持ち上がってしまい、不揃いで見苦しかったのを、いっそう全部の植え込みを引き抜いてしまって、東側と後庭の壁際に植え替えた。二百本ほどの灌木の移動だが、三人の若い庭師が一日弱で仕上げた(水牛の糞をたっぷりやったせいか、いまだ臭い漂う)。


この樹の名はこちらではQuế と呼んでおり、それで調べても英名や和名がはっきりしなかった。長男にもう少し正確に名を調べるように頼んでおいたら、実際はNguyệt Quếというらしく、それなら英名Orange Jasmine Murraya paniculata(オレンジジャスミン、シルクジャスミン)。和名は月橘〔ゲッキツ〕ということが分かる(いまこうやって備忘のためにメモしているわけだ)。ジャスミンと名がつくが、ほんとうのジャスミン(モクレン科)とは別種(ミカン科)。香りは似ているが、ジャスミンのこちらを包み込むようなまろやかな甘酸っぱさにくらべ、頭の芯を貫くようなつんと尖った芳香で、わたくしは月橘の香りのほうをより好む。それに白く小さな花の後は山査子のような赤い実をつけ、それも好ましい。


月橘の名は花が月夜に特によく香るといわれることからくるらしく、別名九里香とも。こうやって和名を知ると、急によりいっそう大事に育てようと思うようになる。月橘、九里香――、美しい名だ。いままでは植え込みで三ヶ月に一度は刈り揃えていたため、花はわずかしかつけなかった。ジャスミンとくらべて、成長の遅い樹だが、それでもこれら二百本の月橘は十年以上前苗木を植えたものであり、刈り揃えていたため背丈は小さいが幹はかなり太くなっている。樹木は成長の遅いもののほうが枝ぶり、樹幹のくねりが美しい。

今は壁際だ、枝を思う存分伸ばしてもらって、芳香に酔おう、月夜の庭歩きの友としよう。壁際に植え切れずに残った樹を前庭に二本、植木鉢に十本ほど植えたものは、肥料を十分にやってより慈しもう。







そもそも亜熱帯地域の当地の植物はそうじて成長が早すぎて「ゲテモノ」感がある。月橘はその稀な例外の樹のひとつだ。

東京の新緑が美しいといってもとうてい京都の新緑の比ではないが、しかし美しいことは美しい。やがて新緑の色が深まるにつれ、だんだん黒ずんだ陰欝な色調に変わって行くが、これも火山灰でできた武蔵野の地方色だから仕方がない。樹ぶりが悪いのは成長が早すぎるせいであろう。一体東京の樹木は、京都のそれに比べると、ゲテモノの感じである。ゲテモノにはゲテモノのおもしろみがある。などと、自分で自分を慰めるようになった。(和辻 哲郎「京の四季 」)


樹というものは、一〇年後、二〇年後の姿を思い描いて慈しむと、長生きするのも悪くないと思うようになる。わたくしはいまだ死を思ったり、残された時間を考えたりする年齢ではないつもりだが、もうお付き合い的なことはいいではないかという気になりつつあるには相違ない(中井久夫「私の死生観」)。すこし前、体調を崩したときに(ほっておいたら脳溢血になる可能性があったらしい)、ある種の感慨が生じた。

フーコーが愛したビシャの言葉、《死というのは一点ではない、生まれた時から少しずつ死んでいくかぎりで線としての死があり、また生とはそれに抵抗しつづける作用である》(『臨床医学の誕生』)を想いかえしたり、リルケの《昔は誰でも、果肉の中に核があるように、人間はみな死が自分の体の中に宿っているのを知っていた》(『マルテの手記』)などの言葉を反芻してみた。

女が孕んで、立っている姿は、なんという憂愁にみちた美しさであったろう。ほっそりとした両手をのせて、それとは気づかずにかばっている大きな胎内には、二つの実が宿っていた、嬰児と死が。広々とした顔にただようこまやかな、ほとんど豊潤な微笑は、女が胎内で子供と死とが成長していることをときどき感じたからではないか。(リルケ『マルテの手記』)

あるいはわたくしの「十三秒間隔の光り」はなんだろうといささか感傷的に問うてもみた。

…………

十三秒間隔の光り 田村隆一

 新しい家はきらいである
古い家で生れて育ったせいかもしれない
死者とともにする食卓もなければ
有情群類の発生する空間もない
「梨の木が裂けた」
と詩に書いたのは
 たしか二十年まえのことである
新しい家のちいさな土に
 また梨の木を植えた
朝 水をやるのがぼくの仕事である
 せめて梨の木の内部に
死を育てたいのだ
夜はヴィクトリア朝期のポルノグラフィを読む
「未来にいかなる幻想ももたぬ」
というのがぼくの唯一の幻想だが
 そのとき光るのである
 ぼくの部屋の窓から四〇キロ離れた水平線上
 大島の灯台の光りが
十三秒間隔に

…………

ふと音楽がきらりと光ることがある、詩句が輝いてみえるときがある。
白い小さな花が宵闇に浮かびあがりはっとしたり、その匂いが風に乗って鼻先をかすめてつかのま陶然とすることがある。


一年ほどまえ、若い詩人が、《不安がもだえそうに淡い炎がゆだっている/道端の青い小さな花を煮る六月十日は、》と謳った。

昼の灼熱のさかり、次男を学校におくるためにバイクで道をゆくとき、陽炎のゆらめきと太陽の光を十分に吸い込んだ枯草の匂いの「一瞬よりいくらか長く続く間」(大江健三郎)に慄くときがある。

暁方ミセイの詩句を、月橘と柑子の聯想から、もうすこし引用しよう。

……

(ひそひそと話をしている)
(柑子の木のあたり、雨に濡れそぼって、ふたりで、小声で)
(おおそのうえ古語で、)
(聞き取れない話をしている。雨の庭の古い濡れた柑子の木のあたりで)
((ちがうよ、あれは鳩だよ))
(人の様な、くぐもってずっと話している。何十羽もいる。)


何十羽も鳩がいる。茂みのなかで鳴いている。
遠く潰れた緑のうえに、
誰かの面影が、こんもりと盛られて、動かないでいる。
今は時々きらっと反射して、
もうすぐ隠れて
見えなくなる。



ーーー暁方ミセイ「極楽寺、カスタネアの芳香来る」(「現代詩手帖」2012年06月号)