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2013年8月5日月曜日

メモ:マラルメとストローブ&ユイレ





「私はこの桁外れな作品を見た最初の人間であると信じています。マラルメはこれを書き終えるとすぐ私に来訪を求め、私をローマ街の居室へと招じ入れたのでした。......彼は黒ずんだ、四角な、捩じれ脚のテーブルの上へ詩稿を並べると、低い、抑揚のない声で、いささかの《効果》もねらわずに、ほとんど自分自身に語るかのように読み始めました......

 ......自作の『骰子一擲』をはなはだ平板に読み終わったマラルメは、ついにその字配りを私に示しました。私は一つの思想の外貌が初めて我われの空間内に置かれるのを見る気がしました......そこでは紙片の上に、最後の星辰の不思議な燦めきが、意識の隙間に限りなく清くふるえており、しかも、その同じ虚空には、一種の新しい物質のように、高くまた細長く、また系列的に配置されて言葉が共存していたのです!

 この類例のない定置法は私を茫然自失させました。全体が私を魅惑しました。......この知的創作を前にして、私は感嘆と、抵抗と、熱烈な興味と、まさに生まれようとする類推との複合体になっていました。」(ポール・ヴァレリー『骰子一擲』プレイヤード版全集第一巻――柏倉康夫『マラルメ探し』より)


《私が知っている限りでは、マラルメは人の前で自分の作品を読むということを曾てしたことがなかった。確かに彼は一八九七年に、私に彼の『骰子一擲』を読んで聞かせたが、それは二人きりの時であったし、それに、この作品の驚異的な新しさがその実際の効果を験して見ることを許しているように彼には思われたのに相違なかった。》(ヴァレリイ『ドガに就いて』吉田健一訳)








《遠い昔から信じられてきたのは、言葉のある種の細み合わせには、うわべの意味以上に強いちからを負荷することができ、それらは人間よりも事物によって、理性的な魂よりも、岩や、水や、獣や、神々や、隠された宝石や、生命の活力やその弾性力によってこそ、いっそうよく理解され、精神にとってよりももろもろの<霊>にとってこそ、いっそう明瞭なものとなるということである。律動的な呪文に対しては、ときには死さえも屈服して、墓から亡霊が解き放たれたのだった。》(ポール・ヴァレリー「ときおり私はマラルメに語った……」)


 …………



……その作品の作者の一人でもあれば同時に被写体でもあるユイレは、さらに、その声をフィルムのすみずみまでにゆきわたらせている。パリのペール・ラシェーズ墓地の芝生の斜面に腰をおろして横坐りとなり、パリ・コミューンの犠牲者達の記念碑が位置しているはずの右手をきっと見すえながら『骰子一擲』の一部を読みあげている彼女の声……





一般に『骰子一擲』として知られているこの作品の題名を正確に再現するなら、『骰子の一擲は、決して偶然を廃棄しないだろう(Un coup de dés jamais n'abolira le hasard)』となるのだが、活字のうえではそのいずれもがローマン体の大文字で登場し、それが意味論的な文脈を超えて複数のページに振り分けられており、ここではそれが同じ人物によって読まれることになる。つまり、『すべての革命はのるかそるかである』における『骰子一擲』の朗読は、差異の体系としての言葉の意味論的な秩序とは無縁に、もっぱら印刷術上の差異にふさわしく遂行されており、単語と単語とを一見無原則に引き離しているページの余白は、ひとまず無視されることになる。

題名を読む男の声のほかに、すべてが大文字のみで書かれたり(いま見た題名の場合がこれにあたる)、大文字と小文字とで書かれたりする語のそれぞれのローマン体とイタリック体との違い、ならびにポイントの大中小の違いをきわだたせるために、さらに八つの異なる声が動員されている。合計九つの声は、国籍と性別を異にする人物によってになわれ、それぞれがペール・ラシェーズの芝生にほぼ等間隔に腰をおろしている。

とはいえ、九人の人物が同じ画面におさまっているのは、パリ・コミューンの犠牲者たちの記念碑をなめるようにフィルムにおさめる冒頭の長い移動ショットのみであり、いったん朗読が始まってしまうと、それぞれが受けもっている活字のつらなりを口にする瞬間に朗読者の姿が独立したショットで示され、その同じショットが、読まれているテクストの活字の種類が変化するまで、キャメラのアングルもそのままに持続する。したがって、『骰子一擲』の活字に律儀に依存している『すべての革命はのるかそるかである』の編集の原則は単純きわまりなく、演出もまた、ほとんど杓子定規だとさえいってよい。あるいは、読まれるべきテクストの活字の配列の視覚的な途方もなさにもかかわらず、その途方もなさの視覚化をいっさい放棄していることが、ストローブとユイレの独創性だといったらよいだろうか。







あらゆるショットは、朗読者が朗読を始める瞬間に始まり、朗読を終える瞬間に終わる。それ以外に画面転換の原理はないというこの杓子定規な演出は、ことによると、これが彼らにとって生涯で初めてのフランス映画であることからきているのかもしれない。フランス語の作品ということでなら、コルネイユの同名の戯曲にもとずく『オトン(Les Yeux ne veulent pas en tout temps se fermer, ou Peut-être qu'un jour Rome se permettra de choisir à son tour)』(1969)が存在するが、イタリア人を出演者としてローマで撮影されたこの作品はドイツ=イタリアの合作であり、まさに亡命者の作品と呼ぶにふさわしいものだ。『すべての革命はのるかそるかである』は、亡命から帰還した彼らにとって、文字通り最初のフランス映画なのであり、ここでのストローブとユイレは、ある意味で、あらゆる映画的な贅沢を自分に禁じているかに見える。それは、パリで、マラルメの『骰子一擲』を字義通りにキャメラにおさめるという途方もない贅沢が許されたからに違いない。長い亡命生活のはてに帰還した祖国の首府でフィルムを回す機会にめぐまれた彼らは、それがごく自然な選択であるというかのように、パリ・コミューンの記憶とマラルメの詩とを交錯させてみたのであり、そのこと自体が途方もない映画的な贅沢だったといえるだろう。





ローマン体で綴られる題名の文字を読む男性は、ごく少ない数の大文字のイタリック体で綴られる語を読む男性同様、ほぼ正面を向いた姿勢で画面におさまっており、フランス人ではなかろう彼ら独特の訛りが強調されている。それぞれの活字の違いにしたがって朗読する女性たちはいずれもやや斜めに左を向いた姿勢でキャメラの前に位置しており、男性はいずれもほとんど右向きの姿勢でとらえられている。その中で、冒頭の一字のみ大文字となる場合もあるが、そのほとんどが小文字で綴られたテクストの朗読にあたるダニエル・ユイレが、おそらくもっとも長く画面に映っており、見開きのページに配された語句の複雑な配置をも細心にたどり、パリ生まれのこれといった訛りの不在によって、断片化された活字の配列に音声的な持続感を導入している。「思考たるもの、ことごとく骰子の一擲を発する」という最後の一行を読んでいるのも彼女なのだから、朗読者の中で最後に目にする人物もまた彼女なのである。







ペール・ラシェーズの高みから見下ろしたパリの光景がしばらく挿入されてから、画面が変わってクレジット・タイトルが流れようとするとき、ナダールによるマラルメの肖像写真があらわれる。それをきっかけとして、一九世紀の詩人マラルメならいくらでも視覚的に再現できるのに、その声は再現しえず、それにかわって、ストローブとユイレが、一編のフィクションとして、マラルメの『骰子一擲』の活字ごとの声の違いをきわだたせつつ、映像と音響を組織してみせたのであり、そこれそ生者の声にほかならぬと言葉を結ぶつもりでいたのだが、二一世紀の映画作家ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレの身にごく最近起こった変化が、その結論を無効にしてしまう。まぎれもなく二〇世紀の作品であったはずの『すべての革命はのるかそるかである』が、ステファヌ・マラルメの『骰子一擲』と同様、歴史的な過去の作品となってしまったからだ。

人は、いま、二〇世紀の映画『すべての革命はのるかそるかである』を一九世紀の詩篇『骰子一擲』を読むように見なければならない。この苛酷な現実に、人はしばらくは馴れることができまい。馴れずにいることができない代償としてユイレの声と表情とが記録されていたことのアーカイヴ的な安堵感にひたりきることは、到底できまい。



―――蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー  思考と感性とをめぐる断片的な考察』「Ⅸ 偶然の廃棄」の章より




1997年の日本での最初のレトロスペクティヴのときにも話したのですが、僕などはストローブ=ユイレのフィルムをどうしてもジャン=リュック・ゴダールのそれと対比してしまうんですね。ゴダールの有名な言葉に、「正しいイメージ(une image juste)なんてものはない、単にイメージが(juste une image)あるだけだ」というのがあります。あらかじめ現実があって、それを正確あるいは不正確にイメージに写し取る、そういう構えは捨てよう、と。単にイメージがあり、イメージのイメージがあり、イメージのイメージのイメージがある、そういうイメージの乱反射のなかで、メディアによるメディアの批判、たとえば、ヴィデオによる映画の批判を通じてのヴィデオによる映画の再構築といった作業をずっとやっていくのが、ゴダールの軌跡だったんですね。シチュアシオニストの言葉で言うと、「スペクタクルの社会」を「スペクタルの社会」の内部からそのメカニズムを通じて批判するということにもなっていく(その点でシチュアシオニストから見るとゴダールは「スペクタクルの社会」に取り込まれているということにもなるわけですが)。1970年代半ばからものを考えはじめた僕たちの世代にとって、このゴダールの戦略は当たり前というか非常に理解しやすいものでした。裸の現実があるとか、それを正確なイメージとして写し取るとか、そういう構えは古臭い社会主義リアリズムなどに通じる「素朴唯物論」として馬鹿にされていた。メディアのなかのイメージの無限(自己)反射の次元にとどまり、それを内側からずらしていくゴダール的な戦略のほうが、新しく、しかも現実的に見えたんですね。それに対してストローブ=ユイレは、いや「juste une image」 とだけは言えない、「une image juste」がある、と頑固に信じていた人たちだと言えるのではないか。むろん、彼らは、自然らしい演技を自然らしく撮影すればいいと考えるナチュラリスト(自然主義者)ではない。にもかかわらず、やはり現実というものに正しい角度から正しくキャメラを向けて正しいイマージュとして写し取ることが絶対に必要だと信じているリアリスト、ある意味で旧左翼的な「素朴唯物論」に戻りかねないようにさえ見えるリアリズムを断固として守り抜くリアリストだと思うんです。(ただ、付言すれば、本当は事態はもっと込み入っている。1997年の講演のときから僕がこの文脈で考えていたのは、ルイ・アルチュセールの『哲学と学者の自然発生的哲学』という、ある意味でドグマティックとも言える特異なテクストであり、そこにおける「真理(vérité)」と「正しさ(justesse)」の区別です。アルチュセールによれば、科学的命題の「真理(vérité)」が現実のデータによる実証・反証で確定されるとしても、哲学的テーゼの「正しさ(justesse)」の場合はそうはいかない。哲学は科学的なものとイデオロギー的なものの間に介入して境界線を引く実践であり、理論における階級闘争なのであって、その「正しさ(justesse)」は階級闘争のなかにおける立場によってはじめて決定される、ということになる⦅とすると、科学的命題の「真理(vérité)」もそう簡単には決定できなくなる⦆。旧ソ連のルイセンコ事件などを想起すれば、これは科学の政治的歪曲につながりかねない危険な定式化であるとも言えるでしょう。そういうアルチュセール的な意味での「正しさ(justesse)」――たんに現実との正確な対応という意味での「真理(vérité)」ではなく――に即してストローブ=ユイレにおける「une image juste(正しいイメージ)」ということを言ってみたので、「素朴唯物論」に近く見えもするかれらの立場は実はつねに高度に政治的である、あるいはかれらは「素朴唯物論」を政治的に選択している、と言うべきでしょう。それに関連して、ストローブ=ユイレが同じ映画でもさまざまなヴァージョンをつくってしまうということがある。これは一見すると「正しいイメージ」はない、という態度の表れのようにも見えます。「真のイメージ(une image vraie)」はない、という意味なら、その通りでしょう。いかし、「正しいイメージ(une image juste)」は必ずあると考えるからこそ、彼らはいっそう「正しいイメージ」を求めて妥協を知らず複数のヴァージョンまでつくってしまうのであって、そんなことは考えずに済むのなら最初のヴァージョンで十分ということになるでしょう)。

 ともあれ、一方で、僕は、メディアによるメディアの批判と再構築をずっとやってきたゴダールの仕事がまさに巨大な万華鏡のような『映画史』に集大成され、そこからまた別の形で新しい映画が生まれてくる、その過程を強い関心をもって見てきたわけですが、他方で、それに対するもうひとつの極として、正しい現実に正しい角度から正しくキャメラを向けて正しく捉えることにとことんこだわり抜いたストローブ=ユイレに、ある重しのような役割を期待し続けてきた。ゴダールがイメージの乱反射のなかでいわば上へ上へと浮遊していくとき、ストローブ=ユイレが現実に根ざした正しいイメージにこだわって大地を歩み続ける、それがいわば映画空間の両極を張っているというのが、ぼくの大雑把な構図でした。




……ストローブ=ユイレがやってきたことは、ある意味で、67年の『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』でレオンハルトやアルノンクールたちと協働したときから本質的に変わっていないとも言える。むしろ不思議なのは、レオンハルトやアルノンクールらの仕事が音楽の領域ではわりに当たり前のこととして受け入れられるようになったのに対し、ストローブ=ユイレの仕事が映画の領域ではますます孤絶していくように見えることの方だという気さえします。(講演「ダニエル・ユイレ追悼――ストローブ=ユイレの軌跡 1962-2006」2006年12月9日 浅田彰