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2013年8月19日月曜日

イッヒッヒッ

「おまえの声にはみんながまんしてるんだ、「鉢の木会」というのは我慢会じゃねえぞ、おまえは抜けろ」(大岡昇平)

《吉田は、……「エッヘッヘッ」って調子だ》、《あいつ、「大岡さん、なんか言ってましたね、イッヒッヒッ」って言いやがった》……

ーー吉田健一をめぐる愉快な対談録の抜き書きにめぐりあったのだが、「格調高い」彼の文が、それで損なわれるわけではない。対談録はのちの引用として、まずは至高の酒飲みのありようのひとつが書かれる名文を挙げよう。

一体に人間はどういうことを求めて一人で飲むのだろうか。そうして一人でいるのに飲むことさえも必要ではなさそうにも思えるが、それでも飲んでいれば適当に血の廻りがよくなって頭も煩さくない程度に働き出し、酒なしでは記憶に戻って来なかったことや思い当らなかったことと付き合って時間が過ごせる。併しそれよりも何となし酒の海に浮かんでいるような感じがするのが冬の炉端で火に見入っているのと同じでいつまでもそうしていたい気持を起こさせる。この頃になって漸く解ったことはそれが逃避でも暇潰しでもなくてそれこそ自分が確かにいて生きていることの証拠でもあり、それを自分に知らせる方法でもあるということで、酒とか火とかいうものがあってそれと向かい合っている形でいる時程そうやっている自分が生きものであることがはっきりすることはない。そうなれば人間は何の為にこの世にいるのかなどというのは全くの愚問になって、それは寒い時に火に当り、寒くなくても酒を飲んでほろ酔い機嫌になる為であり、それが出来なかったりその邪魔をするものがあったりするから働きもし、奔走もし、出世もし、若い頃は苦労しましたなどと言いもするのではないか。我々は幾ら金と名誉を一身に集めてもそれは飲めもしなければ火の色をして我々の眼の前で燃えることもない。又その酒や火を手に入れるのに金や名誉がそんなに沢山なくてはならないということもない。(吉田健一『私の食物誌』)


現在、禁酒中の身で、飲んでも水割りの米焼酎やらワインをグラス一杯程度やるのが関の山なのだが、魚介類の多くも食べると尿酸値を高め、痛風の発作が再発してしまう。禁酒節食の慰みとして、名文を味わうだけで我慢しよう。

新潟の筋子──「今でも新潟と聞くと筋子のことが頭に浮かぶ。それも粕漬けがいい。(中略)粕漬けだと筋子が酒に酔うのか他の漬け方では得られない鮮紅色を呈して見ただけで新潟の筋子だと思う。(中略)肴なしで飲める日本酒という有難い飲みものの肴にするのは勿体なくて食事の時に食べるものだという気がする。その上に白い飯の上にこの柘榴石のようなものの粒が生彩を放つ。」

氷見の乾しうどん──「これは実際に食べたことはないが京都の寺などで夏にやる米の食べ方に就て聞かされた話で、それは確か米を先ず炊いてから渓流の清水に浸して洗い落せるものは凡て洗い落し、その後に残った米粒の冷え切った核のようなものを椀に盛って勧めるというのだった。京都の酷暑を冒して食べに行ってもいいという気持にさせるもので、まだそれをやったことがなくても氷見の乾しうどんの味でその話が久し振りに頭に浮んだ。ただうどんの俤を止めるだけで他のものは一切なくなり、又その俤が滅法旨い味がするというそういう代物である。」

中津川の栗──「その甘味は栗のもので舌に触る粒が粗くて僅かに粘るのも栗を感じさせる。先ず旨い栗を食べているのに近くて栗というのは皮を剥くのが指に渋が付いたりして面倒であるが、これにはその心配もない。それでも菓子には違いなくてもこの菓子はつい箱を開けてまだ幾つ残っているか見たくなる。」

近江の鮒鮨──「その幾切れかを熱い飯に乗せて塩を掛けて食べるのであるが、それにはその頭の所が最も滋味に富んでいるというのか妙であるというのか、そう言えば大概の動物が頭が旨いのはやはりそこに一番いいものが集っているのだろうか。(中略)人間も含めて凡て動物というものの体の構造から鮒も頭が全体に比べて少ししかないのが残念に思われる。」(吉田健一『私の食物誌』より)

《ワインと日本酒を比較し、ワインは食事と一緒が良いので、それほど長くは飲んでいられないが、日本酒は「一日でも二日でも、眠くなるまで飲める」「葡萄酒もいいのに当たると、飲むだけではなくて風呂桶をこれで波々と満して頭から浴びたくなる。」

新潟でたらば蟹を食べて「鋏の中の肉と胸の所の肉には月に照らされた湖の水面の涼しさ」があり、「川魚は一体に海の魚よりも女の感じがする」……》(吉田健一『酒肴酒(さけさかなさけ)』


本当を言うと、酒飲みというのはいつまでも酒が飲んでいたいものなので、終電の時間だから止めるとか、原稿を書かなければならないから止めるなどというのは決して本心ではない。理想は、朝から飲み始めて翌朝まで飲み続けることなのだ、というのは常識で、自分の生活の営みを含めた世界の動きはその間どうなるかと心配するものがあるならば、世界の動きだの生活の営みはその間止っていればいいのである。庭の石が朝日を浴びているのを眺めて飲み、そうこうしているうちに、盃を上げた拍子に空が白み掛っているのに気付き、又庭の石が朝日を浴びる時が来て、「夜になったり、朝になったり、忙しいもんだね、」と相手に言うのが、酒を飲むということであるのを酒飲みは皆忘れ兼ねている。(吉田健一『酒宴』)

…………


◆ユリイカ 2006年10月号特集=吉田健一(清水徹と松浦寿輝の対談)
松浦 真の「贅沢」というのはいったいどういうことなのか、日本人はいま模索中でしょう。バブル成金の頃にとんでもない錯覚があったとみんな反省しているわけで。

清水 それはそうですね。

松浦 そういう時に吉田健一を読むと、いろんなヒントがあるんじゃないか。

清水 さっきは三〇~五〇代と言ったけど、本当は一番おしゃれがさまになる二〇代半ばから三〇代にかけての人間が吉田健一を読むと美意識が磨かれていいんじゃないかと思います。

ーー二人の対談のこの箇所はたいしたことを言っているわけではない、おしゃれが一番さまになるのが「二〇代半ばから三〇代にかけて」などというのは、どうみても五〇代のオレには肯んじえないぜ

《「いき」の構造は「媚態」と「意気地」と「諦め」との三契機を示している。そうして、第一の「媚態」はその基調を構成し、第二の「意気地」と第三の「諦め」の二つはその民族的、歴史的色彩を規定している。》(九鬼周造)

洒落者はキッチュなあり様もあるだろうが、ここは「いき」という側面に限れば、野心の年代、二〇代から三〇代の連中が、第三の特徴を具えるのは至難の技ではないか。イッヒッヒッ

《「いき」の第三の徴表は「諦め」である。運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心である。「いき」は垢抜がしていなくてはならぬ。あっさり、すっきり、瀟洒たる心持でなくてはならぬ。》

本来、松浦寿輝は、先輩の清水徹の発言にちょっかいをいれるべきところなのではないかとは思うが、最近でも『時間』を引用して、東大退官講演をしているのだから、許しておこう。エッヘッヘッ

冬の朝が晴れていれば起きて木の枝の枯れ葉が朝日という水のように流れるものに洗われているのを見ているうちに時間がたって行く。どの位時間がたつかというのではなくてただ確実にたって行くので長いものでも短いものでもなくてそれが時間というものなのである。それをのどかと見るならばのどかなのは春に限らなくて春は寧ろ樹液の匂いのように騒々しい。そして騒々しいというのはその印象があるうちは時間がたつのに気付かずにいることで逆に時間の観念が失われているから騒々しい感じがするのだとも考えられる。例えば何か音がしていれば時計の音が聞こえなくてその理由が解っていても聞こえる音の為よりも時計の音が聞こえないで落ち着かないということもあり得る。併し時計の音を挙げるのも必ずしも的確ではなくて時間がたって行くのを刻々に感じる状態にあるから、或は刻々の観念も既になくて時間とともにあるから時計の音も聞こえて来る。或はその音が聞いている方に調子を合せる。( 吉田健一「時間」)

これが吉田健一の「文体」の基調なのであり、冒頭近くに挙げた酒を飲む話でも、あるいは以下の文でもそうだ。

日差しが変って昼が午後になるのは眼に映る限りのものが昼から午後に移るのでその光を受けた一つの事件もその時間の経過によって人間の世界に起った一つの出来事と呼んで構わない性格を帯びる。もし時間が凡てを運び去るものならばそこに凡てがなくてはならない。そういうことを考えていて唐松は一般に陳腐の限りであるように思われて脇に寄せられていることがその初めの意味を取り戻して時間のうちにその手ごたえがある形を現すのを見た。それが例えば人生であって人間が生れて死ぬまでの経過はそれとともに時間が運び去つた一切があつてその人間の一生と呼ぶ他ないものになり、そういう無数の人間の一生がその何れもが人間の一生であるという印象を動かせなくしてそこに人生がその姿を現す。又一日は二十四時間でなくて朝から日が廻って、或は曇った空の光が変って午後の世界が生じ、これが暮れて夜が来てそれが再び白み始めるのが、又それを意識して精神が働くのが一日である。そのことを一括して言えばそれが生きるということだった。吉田健一『埋れ木』

…………

ここで松浦寿輝の吉田健一批評(=吟味)の文を掲げておこう。吉田健一の評論は、そのいくつかの傑作小説に比べて、アンビバレントな感やらときに凡庸感を与えないでもないのは、最後の引用で大岡昇平の指摘するところでもある。

 「この頃聞かされる最も愚劣な言い方の一つに今は人工衛星の時代というのがあって人工衛星だからどうしたのか,それで人間が息もしなければ酒も飲まなくて男女の縺れも消え去ったのかという所まで書けばそれだけでも書き過ぎになる」. (吉田健一「山運び」,『怪奇な話』所収)

 「新しさ」をめぐる言説がしばしば「愚劣な」響きを帯びるという現象は「新しく」も何ともないものであり,1976年に書かれた短篇小説の一節で吉田健一が指摘しているのもまさしくそのことなのだが,では,そうした事態に対して吉田健一が洩らす紋切型の感想が,似たような「愚劣さ」を免れているとはたして断言できるのか.

 ここで,「人工衛星」の代わりに「マルチメディア」なり「ヴァーチュアル・リアリティ」なりを代入することはもちろん可能である.その場合,この文章はそのまま,同種の「愚劣さ」の1990年代ヴァージョンに対する反応の,典型的なものの一つとして,今日でも十分以上に口当たり良く通用しうるだろう.しかし,問題は,この種の「愚劣さ」が古めかしい以上に,それを「愚劣」と決めつけたうえで「だからどうしたのか」と切り返す批判の型そのものもきわめて古めかしいものであり,楽天的な期待と退嬰的なノスタルジーとによってかたちづくられる補完的な調和の構図そのものが,楽天的な退嬰性,ないし退嬰的な楽天性を免れていないという点なのだ.

 「……それだけでも書きすぎである」という高を括った言いかたには,「技術」に対して「人生」を対置すればどちらが優位に立つかは常識に照らして自明と見なしている者の余裕が漲っている.「今」の顔を装った若造りの「古めかしさ」は,「古めかしさ」そのもののうちに居直った健康な常識を前にしたとき恥じ入って引き下がるほかあるまいとする自信が,吉田健一の言葉に或る傲岸な調子をまとわせているのだ.しかし,この余裕ある自信はもちろん普遍的な真理を代表しうるものではない.しばしば人は,人生の叡知によって以上に「愚劣さ」によって生きるのである.それはまさしく,『時間』や『変化』に見られるような吉田健一の晩年の文章体験そのものの教えるところなのではなかったか.

 だから,ここでの問題は,「今はマルチメディアの時代」「今はヴァーチュアル・リアリティの時代」といった物言いを常識的な叡知の名の下に嘲笑することではなく,「新しさ」をめぐって取り交わされる言説には,古来,きわめて貧しい種類しかないという呆気ない事実を確認することにある.「新しさ」をめぐる言説は,結局,囃し立てるかシニックに構えるか,「技術」を讃えるか「人生」に開き直るか,といった貧しい二元論に還元されるほかないのが通例なのだ.21世紀の地平を開くと言われる視覚メディアを主題とする場合であろうと,同じ貧しさの再現を免れることは難しいだろう.それとも,息をしたり酒を飲んだりはともかく,「男女の縺れ」すなわち恋愛やエロスの関係性に関して「電子的レアリスム」がわれわれの「人生」そのものに或る決定的な変化を導き入れるといった場面が,出 来しうるのだろうか.しかしここでもまた,軽々しい預言を語ることは慎んでおきたい.(松浦寿輝「電子的レアリスム」

ここに書かれるように、いつの時代でも老いた人間が、新奇なものを貶すのは「紋切型」であり、あるいは高みから眺める「余裕」というのはうさんくさい。気概ある若い読み手が反撥するのは充分予想される。そしていささか長々しく引用したのは、その反撥でさえ紋切型=凡庸であることが巧みに示されており、ドゥルーズが次のように呟くのも、その意味合いである、《耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。》(『シネマ Ⅱ』)あるいは現在のインテリの紋切型表現の典型は、「そんなのは昔からのクリシェ(紋切型)ですよ」と言い放つことなのだ(参照:フローベールの『紋切型辞典』をめぐって


もっとも「余裕」をめぐっては次のような言い方がある。《私の人生観はわりと単純で、善人と悪人というんじゃなくて、余裕のある人間と、余裕のない人間とがあるんだろうと。それは程度の差もあるし質もあるだろうけど、私はそう考え、そういう軸で人をみている。》(中井久夫「家庭の臨床」『「つながり」の精神病理』所収)だがこの「余裕」とは高みからではなく、横にずれて眺めるユーモアとしての余裕だろう。高みからのそれはイロニーの様相を示す。吉田健一の文章をユーモアとしてとる見方がないでもないはずだ。ヘーゲルのいう「教養人」の余裕はイロニーとしての余裕である。

ある人間が教養人がある人間であればあるほど、それだけますます多く彼は直接的直観のなかに生きているのではなくて、自分のあらゆる直観の場合に、同時に想起のなかに生きているのである。それで、彼は新しいものをほとんど全く見ないで、たいていの新しいものの実体的内実はむしろすでに熟知されたあるものなのである。教養がある人間は同様にとくに自分の心象に満足し、直接的直観の必要をほとんど感じない。(ヘーゲル『精神哲学』船山信一訳)

いずれにせよ、吉田健一はこの態度に尽きるものではないのは、冒頭から引用された文章であきらかだ。それを松浦寿輝は《しばしば人は,人生の叡知によって以上に「愚劣さ」によって生きるのである.それはまさしく,『時間』や『変化』に見られるような吉田健一の晩年の文章体験そのものの教えるところなのではなかったか.》と評言しているわけだ。ここでの「愚劣さ」は、いま引用された文の冒頭から書かれる「愚劣な」、あるいは「この種の愚劣さ」という意味から反転しており突如同じ「愚劣=凡庸」が蓮實重彦のいう「愚鈍さ」に豹変している。いや、わたくしにはそのように読みたくなる、とだけしておこう。そのように錯覚して読むのは、吉田健一の晩年の文章体験とは、《ギュスターブ(フローベール)のように書くことの無根拠と戯れる愚鈍さ。無知に徹することで物語を宙に迷わせること。この凡庸な時代に文学たりうる言葉は、何らかの意味でその種の愚鈍さを体現している。》(蓮實重彦)と同質のものであり、松浦寿輝自身、ほぼ『電子的レアリスム』と同時期に書かれた文に、《フローベールは、カテゴリー的認識の崩壊を代償とすることで初めて得られるこうした無媒介的な官能の豊かさ》(「死体と去勢ーーあるいは「他なる女の表象」)としており、この同じ論文には、フロイトの「不気味なもの」、その意味の反転をめぐる叙述もある(フロイトが指摘したのは、「不気味なもの( unheimlich)」とは本来「親密なもの( heimlich)」だった)。

晩年の吉田健一の文章体験とは、凡庸/愚鈍の二項対立における愚鈍さであり、凡庸さとは《無根拠に言葉と戯れうる愚鈍さを欠いたものの不幸にほかならない。》(『凡庸な芸術家の肖像』)


上に抜き出された吉田健一の文章のいくつかは、「無媒介的な官能の豊かさ」、あるいは「書くことの無根拠と戯れる愚鈍」なスタイルの圧倒的な魅力があるのであり、さらにはまた、下の大江健三郎との対談で、《小津安二郎の映画の老夫婦の会話は、中身が紋切り型であっても、スタイルがあり、それがディグニティにつながる》と浅田彰が語っているが、吉田健一にもその気味合いがある。もっとも批評家であるならば、それだけではマズイのではないか、という問いは当然生まれる。だが制作者には「良性の紋切型」というものがあるのだろう。たとえば、柳宋悦の「用の美」の議論を想い起こしてもよい(「雑器の美」)。

あるいは、スタイルをめぐっては次の文をまずは想起しておこう。
芸術家は、物Dingを作る、美しい物でさえない、一種の物を作るのだ。人間が苦心して様々な道具を作った時、そして、それが完成して、人間の手を離れて置かれた時、それは自然物の仲間に這入り、突如として物の持つ平静と品位とを得る。それは向うから短命な人間や動物どもを静かに眺め永続する何ものかを人間の心と分とうとする様子をする。(アラン『プロポ』)

ーー画家や彫刻家は言うまでもなく、音楽家も詩人も小説家も一種の物を創り出す人間であり、思想家であってもそうだ、「鑿を振り上げる外にどうしようがあるのか」(小林秀雄)そういう行為が思想だ。「思想といふ一種の物を創る仕事」「文体を欠いた思想家は、思想といふ物に決して到る事は出来」 まい、と。(参照:アランと小林秀雄)dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/4267/1/92304_278.pdf

スタイルについて

浅田:現在は資本主義や、核抑止のシステムが大きな転換点にさしかかっている。展望は見えないけれど、だからといってペシミスティックになる理由は何もない。むしろ僕は、ほとんど無根拠なオプティミズムを持っています。

大江:根拠がないというあなたの言い方に、むしろ確信が感じられます。それは浅田さんの経済学者・思想家として生きてこられた上での、学問と生活に根ざしたスタイルから僕が感じることなんです。

浅田:それはあやしいけれど、スタイルというのは重要です。立ち居振る舞い、文章でいえば文体。大きな価値体系が信じられなくなった場所で現れてくるのは、多分そうしたスタイルです。審美主義的なダンディズムでも硬直した倫理でもない、美学イコール倫理学のようなもの。M・フーコーが晩年、古代ギリシャに帰って考えようとしたのは、そういうものではないでしょうか。

大江:僕は文学を通してスタイルを考えてきました。それはさまざまに現れますが、一つは「声」としてです。小説を読んで書き手の「声」が聞こえてくる時、その作品と作家にはスタイルがあるのです。外国人にとって日本人という個々の作品から「声」は発見しにくいのではないか。
 クンデラが、与えられ、よくわからなくても使うことができ、すぐ取り換えられる「紋切り型思想」を批判したことがあります。つまり、あなたのいわれたテクノロジーのタイプの紋切り型のスタイルが日本を席巻しています。

浅田:小津安二郎の映画の老夫婦の会話は、中身が紋切り型であっても、スタイルがあり、それがディグニティにつながる。

大江:エジプトの神話時代の彫刻、インカやマヤの芸術のように、確固としたスタイルをもつものはなぜディグニティ、威厳を感じさせるのでしょうね。

浅田:柔軟に変化しながらも、どうしても譲りえない、そんなシンギュラリティ(独自性)が出てきたとき、ディグニティと呼ぶのかもしれませんね。

 (平成2年5月1日朝日新聞夕刊  対談 大江健三郎&浅田彰)


この大江健三郎と浅田彰のいささか過剰な蜜月も、次の発言によるのかどうかは知らねど、いつの間にか水泡に帰しているという印象を受けたことがあった(少なくとも一時的には。--その後の消息は知らない)。

浅田)大江健三郎は、文学には言葉の壁があるのに対し、息子の音楽は世界中の人に即座に伝わるって言うんだけれど、それは逆でしょう。

柄谷)音楽はまた別の言語であって、評価はもっと厳しいよ。

浅田)音楽の中でみれば、あれはハンディキャップを背負ったアマチュアの心温まる達成ではあるけれど……。

柄谷)しかし、プロの作品ではない。

坂本)評価できない。

浅田)その点、大江健三郎の小説は、どんな翻訳であれ、普遍性をもった本物の作品だよ。
柄谷)本人がそう思うべきだ(笑)。

坂本)本人は痛いほどわかっているはずだけど。

浅田)でも、そういうことがわからずに、徹底してずれているのが、大江健三郎の才能かもしれない。……

(「「悪い年」を超えて」坂本龍一 浅田彰 柄谷行人 座談会 『批評空間』1996Ⅱ-9)


《アカリさんのCDは、それが美しいと口にする必要もないことだが、と一種の欠語法を用いて主題を示してからーーいま考えてみると、CDの評価について言質をとられぬように、という慎重さだったのかも知れないーー、最近ニューヨークに本拠を置く日本人の作曲家兼俳優が、ポリティカル・コレクトネスで知的障害者の音楽を押し通されちゃたまらない、と最先端の文化英雄相手に話していたが、とさらにも含みのありそうな言い方をするのだ。》(大江健三郎『取り替え子』2000)


……私はそのとき坂本龍一と話したこと(重い障害をもつ子どもを立派な大人にまで育て上げたことはパーソナルには素晴らしいことで感嘆に値するものの、そのこととアーティスティックな評価は別であり、大江光の音楽はあきらかに大江健三郎の文学のような普遍性を持たない)をまったく撤回する気はないが、それに対する大江健三郎の怒りを理解し、尊敬しさえする。驚くべきことは、時として正当な、だが時として被害妄想に傾く場合もある、いずれにせよ個人的なレヴェルでの生々しい怒りと悲しみから出発しながら、この小説が見事な普遍性をもった作品として立ち上がってくることだ。(浅田彰【大江健三郎「取り替え子」】




さて吉田健一の「イッヒッヒッ」をめぐって引用する。

…………

埴谷 「鉢の木会」自体が割れてきたということ?

 大岡 最初は三島由紀夫と吉田健一との仲が悪くなったんだよ。会えば会うほど吉田の奇声にはみんな悩まされた。

 埴谷 おれもあれにはまいった。

 大岡 モーツァルトが聞いたら発狂するだろうという調子っぱずれな声でワアワアやるんだよ。

 埴谷 ことに酔っぱらってくるとひどかったよね。

(略)

 大岡 三島ばかりじゃなくて、吉田健一は吉田茂の息子だからね、おれとの仲も悪くなって、(略) というのはつまり、おれは当時吉田茂と同じ大磯にいただろう。茂は選挙会場へ下駄ばきのまま上がってきたり、海岸を独占したりめちゃくちゃだから、地元じゃ評判がよくない。こっちは外国から帰ってきて税金でギューギューいわされていて、なにからなにまで差し押さえられちゃっているというのに、年収は吉田茂のほうがおれより下なんだ(笑)。おれは頭来ちゃってね。

 埴谷 へえ、首相の吉田茂のほうが大岡昇平より年収が下なの? それはおそれいるね。

 大岡 そんなことをオーバーに書くからね。吉田健一だってやっぱりおもしろくないわけだよ(笑)。だから、おれが大磯へ行ったということでおれと吉田の仲がだんだん悪くなったということはいえる。

(略)

 大岡 そういうわけで吉田はかわいそうなんだ。だけどもちろん彼自身悪いところもあるんだよ。三島が家を新築したとき、お祝いにわれわれは招ばれたんだよ。三島の例のロココ風の家というのはおれもあまり気にいらないけれど、新築祝いに招ばれたんだから、いろいろほめるわけだよ。ところが吉田は、なにか置物を手に取って「おっ、これはどうも高そうなもんでございますね、エッヘッヘッ」って調子だ(笑)。料理が出てくると、「あっ、これはとても普段食えない」って(笑)。三島は東京会館のレストランからコックを呼んできてちゃんとした料理を出してるのに、吉田がその調子だから、三島はいやな顔をする。おれたちも困ってね。それで吉田を送って、吉川逸治が帰ってから、おれと中村光夫が残って三島を慰めたよ(笑)。

(略)

 おれの方は、虎の門の福田屋に集まったとき、またキャアキャア、例の声だ。それからあの頃吉田はひがみっぽくってね。三島とおれはとにかく流行作家だけど、吉田はおやじがいつまでも死なないから、始終翻訳してなきゃならない。いうことがいやらしいものだから、「おまえの声にはみんながまんしてるんだ、「鉢の木会」というのは我慢会じゃねえぞ、おまえは抜けろ」って言ったんだよ(笑)。そうしたらあいつ、びっくりしてね。そりゃそうだよ、吉田は発起人で、おれはあとで入れてもらったんだから(笑)。さすがにあいつも、「おれよりおまえ抜けろ」って言ったけど、おれのほうが先手を取ってるから、あいつの声は小さかった。だけど、おれは賞のときには福田にも票を入れたし、吉田にも票を入れた。みんな入れたよ。吉田の『ヨーロッパの世紀末』なんてのは、おれは下敷きの本を知っているから全然認めないけれどもね。ただ彼の小説は、おれは最初からずっと感心してた。

 埴谷 うん、あれは吉田だけにしかできない実に特殊な表現だね

 大岡 六七年に、おれは朝日の文芸時評をやってたから、あいつの小説を、あまりたいしたものじゃなかったけど、お愛想にほめたんだよ。そうしたら次の「鉢の木会」のときに、あいつ、「大岡さん、なんか言ってましたね、イッヒッヒッ」って言いやがった。本当にしゃくにさわる(笑)。それでおれ、中村に電話して脱退したんだ。



ーーもちろん、最近「ナチス発言」で物議を醸している麻布太郎氏は、「吉田茂の息子が吉田健一でその妹が. 麻生太郎さんの母親」ということになる。麻布氏に「イッヒッヒ」やら「エッヘッヘッ」が似合うかどうかは知るところではない。だが「わーわー騒がないで。」系ではあるようだ。(参照:佐藤優「麻生発言と政治エリートの反知性主義」