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2013年8月20日火曜日

二つのロンド

ぼくの母はピアノが上手だった/小学生のぼくにピアノを教えるときの母はこわかった/呆けてから毎晩のようにぼくに手紙を書いた/どの手紙にもあなたのお父さんは冷たい人だと書いてあった/お父さんのようにはならないで下さいお願いだから/五年前に母は死に去年父も死んだ/……(谷川俊太郎「ザルツブルグ散歩」『モーツァルトを聴く人』所収)

 …………


喪主挨拶

一九八九年十月十六日北鎌倉東慶寺

 祭壇に飾ってあります父・徹三と母・多喜子の写真は、五年前母が亡くなって以来ずっと父が身近においていたものです。写真だけでなくお骨も父は手元から離しませんでした。それが父の母への愛情のなせる業だったのか、それとも単に不精だったにすぎないのか、息子である私にもはっきりしませんけれども、本日は異例ではありますが、和尚さんのお許しをえて、父母ふたりのお骨をおかせていただきました。母の葬式は父の考えで、ごく内々にすませましたので、生前の母をご存知だった方々には、本日父とともに母ともお別れをしていただけたと思っております。

 息子の目から見ると、父は一生自分本位を貫いた人間で、それ故の孤独もあったかもしれませんが、幸運にかつ幸福に天寿を全うしたと言っていいかと存じます。本日はお忙しい中、父をお見送り下さいまして、ありがとうございました。


杉並の建て直す前の昔の家の風呂場で金属の錆びた灰皿を洗っていると、黒い着物に羽織を着た六十代ころの父が入ってきて、洗濯籠を煉瓦で作った、前と同じ形で大変具合がいいと言った。手を洗って風呂場のずうっと向こうの隅の手ぬぐいかけにかかっている手ぬぐいで手を拭いているので、あの手ぬぐいかけはもっと洗面台の近くに移さねばと思う。父に何か異常はないかときくと大丈夫だと言う。そのときの気持はついヒト月前の父への気持と同じだった。場面が急にロングになって元の伯母の家を庭から見たところになった瞬間、父はもう死んでいるのだと気づいて夢の中で胸がいっぱいになって泣いた。目がさめてもほんとうに泣いたのかどうかは分からなかった。(「父の死」より『世間知ラズ』所収)





六十年生きてきた間にずいぶんピアノを聴いた
古風な折り畳み式の燭台のついた母のピアノが最初だった
浴衣を着て夏の夜 母はモーツァルトを弾いた
ケッヘル四八五番のロンドニ長調
子どもが笑いながら自分の影法師を追っかけているような旋律
ぼくの幸せの原型


(……)
五分前に言ったことを忘れて同じことを何度でも繰り返す
それがすべての始まりだった

何十個も鍋を焦がしながらまだ台所をうろうろし
到来物のクッキーの缶を抱えて納戸の隅に鼠のように隠れ
呑んべだった母は盗み酒の果てにオーデコロンまで飲んだ
時折思い出したように薄汚れたガウン姿でピアノの前に坐り
猥褻なアルペジオの夕立を降らせた
あれもまた音楽だったのか

その後口もきけず物も食べられず管につながれて
病院のベッドに横たわるだけになった母を父は毎日欠かさず見舞った
「帰ろうとすると悲しそうな顔をするんだ」
CTスキャンでは脳は萎縮して三歳児に等しいということだった
四年七ケ月病院にいて母は死んだ

病室の母を撮ったビデオを久しぶりに見ると
繰り返されるズームの度に母の寝顔は明るくなり暗くなり
ぼくにはどんな表情も見わけることができない
うしろでモーツァルトのロンドイ短調ケッヘル五一一番が鳴っている
まるで人間ではない誰かが気まぐれに弾いているかのうようだ

うつろいやすい人間の感情を超えて
それが何かを告げようとしているのは確かだが
その何かはいつまでも隠されたままだろう
ぼくらの死のむこうに

――「二つのロンド」より






そもそも音楽を「客観的に」聴くなどということがありうるのか。谷川俊太郎のように母の記憶にかかわった曲があれば、他のどんな曲とも比較を絶するかけがえない曲となる。そうでなくても、たとえば感受性は深くて免疫のまだ薄い年頃のある記憶にかかわれば、呪文のように作用する。それは過去をひらく魔法の鍵なのだ。「開け、胡麻!」ピアニストのわずかな指のタッチや歌唱の声のニュアンスが、ある過去の「一瞬よりはいくらか長く続く」時空を開示する、痛みはあっても、ある高揚感を伴って。かりに後にいくらすぐれた演奏家がでてきたって、換えがたい演奏というものがある。詩だってそうだ。

音楽は昔から私にとってなくてはならぬものだった。今も私は時に音楽に縋らずには生きていけないと思うことがある。だが音楽に対する疑問もまた若いころから私にはあった。二十代ですでに私は音楽に淫することをみずから戒めていた。

ここに収めた作のほとんどは、前集『世間知ラズ』と平行して書いていたものである。音楽に憧れながら詩を書いてきた私には、詩に対する疑問と音楽に対する疑問が、そのまま自分という人間に対する疑問に結びついている。その点で本集と前集は兄弟分みたいなものだろうと思う。

――『モーツァルトを聴く人』「あとがき」より

谷川俊太郎は『世間知ラズ』(1993)で、「詩は/滑稽だ」と書き、つまりその時期が「詩への疑念が最も深まった」ということらしいが、わたくしは1995年に日本を出ているので詳しいことは知らず、しかし90年代前半は谷川俊太郎の詩集を過去のものも含めてかなり集中的に購入している。そしてその頃から谷川俊太郎は詩集を上梓することがすくなくなったらしい。いわゆる谷川俊太郎自ら語る「スランプ」期だ。『世間知ラズ』所収の「夕暮れ」にはこうもある、《だが自分の詩を読み返しながら思うことがある/こんなふうに書いちゃいけないと/一日は夕焼けだけで成り立っているんじゃないから/その前で立ちつくすだけでは生きていけないのだから/それがどんなに美しかろうとも》。


《自分が愛するからこそ、その愛の対象を軽蔑せざるを得なかった経験のない者が、愛について何を知ろう》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部「創造者の道」手塚富雄訳)――「すべての芸術のうちで音楽は最低の地位を占める」より


…………





「まだ」  谷川俊太郎


死を知らせる短い手紙が
路傍の名も知らぬ小さい花のように思えた
窓の外の豪奢な夕焼けを見ながら
死んだ友人の控えめな笑顔を思った

あっちにも日常はあるのか
それとも永遠しかないのだろうか
終わりのない雑事に紛れて
私は忘却への一歩を踏み出す

スカルラッティに身をまかせていると
心がゆるやかに波打つ牧草地に出た
霧雨のような後ろめたさに包まれて
私はまだ 生きている

佇む一頭の馬に自分をなぞらえて