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2013年8月21日水曜日

隠れた詩人たち

ジャック=アラン・ミレールには「エル・ピロポEl Piropo」というベネズエラでの講演録(1979)がある。


Piropo=ピロポはスペイン語で、街頭で男性が女性に投げかけるほめ言葉、誘い文句、あるいは冷やかしなどであり、お家元のスペインなどの南欧では、下品な振る舞いとして廃れてしまっているようだが、南米ではまだ十分に生き長らえている(少なくともこの講演の当時は)。







ーーあんたのお母さん! 私の希望の処女! あんたの胸の二つのレモン! あなたの入江の道にあるよりももっと沢山のレモンをもっている! ……


ミレールはそこに「大文字の他者」への呼びかけがあり、詩のはじまりがあるという。

未知の女に声を掛け、ひとつのメッセージ、機知、彼女の魅力をたたえる短い詩を送ること。ピロポにおいては、男、ピロペアドールは相手の女を引き止めることは求めないし、奇妙なことに、同時にそれは根本的に無欲なもの、とされる。

《ピロペアドールとは、未知の女が自分の前を通り過ぎていくのを常に眺めている、そして自分の存在を認めてくれる一瞬の間、女を引き止めておこうとする不幸な男、それはla femmeの裡に体現されている他者Aに聞き入られることを放棄しない男です。》

巧みに投げかけれれたピロポの閃光、--そこに言語秩序のぐらつきを見、その無意味non-sensは一瞬の間、はっきりと確立した意味作用(法の意味作用)を揺るがす、これが遥かな豊かさの新鮮なsensを引き出す。

ピロポとは成功した機知です。

機知が成立するためには、メッセージがコードの中で既に認められ固定された形であってははなりません。機知はそこにひとつの違反を含むときに価値を持つのですが、ピロポはそれが風紀違反でもあることから二重の違反となっています。

機知(ピロポ)が成立するためには、ピロポが送られた相手の微笑みか笑いが必要です。このようにただの下品さ、さらには、言い間違いと飛び切りの機知とを区別するのは、私が相手とする他者の認可です。そしてピロポが本当に成功するには、送られる相手、つまり未知の女がそれを認めることが必要です。それは愛想の良い微笑みの場合もあり、彼女がそこから感じとろうとする侮辱の場合もあるのです。(Jacques-Alain Miller”El Piropo” 1981

あらゆる機知と同じように、ピロポには一方では、 言葉 langue のなかに受け入れられた表現、 考えの宝庫、他方では、 主体のこの他者 Autre に対して犯す違反ーー主体は同時にこの言語の大文字の他者 Autre に対して支持をも要請 するがーー、この両者の相関がある、と。



ラカンの数多くの新造語、ときには駄洒落のようなそれらは、プロポや詩のようであるのかもしれない、そしてララング(≒喃語)も。

lalangue(ララング)とはまず、喃語lalationと関連づけられ、当然、乳幼児に認められるものだが、母親がこれに加わる。母親も自分の赤ん坊には、「大人のことば」以外にも、赤ん坊が喋る喃語を真似てやはり喃語を喋る。母親は赤ん坊の欲望(ここでは、まずは、敢えて、要求とか欲求ということばを用いないで説明したい)を叶えようとする一方で、その母国語を教える。lalationからla langueへ入ってゆく、そこにlalangueができあがるとしてもよいであろう。(ラカン『ラ・トゥルワジィエーム』 La Troisième


《セミネールXX巻でラカンはDiureという新造語を発します。この語に込めたかれの主張は「神はことばdireのなかにしか存在しない」と要約できるでしょう。普遍論争(フランス語でquerelle universaux)に決着をつける試みはいろいろ可能なのでしょうが、ラカンのやり方は極めてエレガントだと白状しましょう。》(荻本芳信

もうラカンは放り出して、フロイトしか読まぬようにしようと決心しかけたこともある。だが、結局わたしは抗しがたい力に惹かれるようにして、謎めいたラカンに戻ってくる。すると突然に、あのディスクールから一条の光が射し、ちょうど飛行機が雲をつらぬいて飛ぶときのように、一片の青空が垣間見える、たったひとつの言い回しが永遠の響きを奏で、ひとつの段落が、ほかの著者だったら二十頁もついやしたであろうほどの豊かな内容を凝縮しているように思われる。狂気、喜び、自由——人間の本質について語るこの声は、深い感動をもたらして、その親しげで快い響きを聞いていると、ちょうど、わたしたちそれぞれの内にあって、ずっと以前から言葉が見出されるのを待っていた思想が、みずから口を開いて語りはじめたかのようだ。そうなると、テクストを読みすすむわたしは、あちこちで、おかしな、楽しい、さわやかな話に行き会うだろう。彼の気取りと見えていたものは、いまや気取りのパロディーとなり、彼の晦渋さはユーモアの効果にほかならぬように見えはじめ、一行ごとに、禅の著作を浸しているのと同じ、あの声なき笑いが聞こえてくる。
――モーリス・パンゲ「文人ラカン」(工藤庸子訳

…………

ひとが世界と初めて接する感覚のひとつに母親の心音や血液の流れる音があるのだろう。

胎内はバイオスフェア(生物圏)の原型だ。母子間にホルモンをはじめとするさまざまな微量物質が行き来して、相互に影響を与えあっていることは少しずつ知られてきた。(……)味覚、嗅覚、触覚、圧覚などの世界の交歓は、言語から遠いため、私たちは単純なものと錯覚しがちである。それぞれの家に独自の匂いがあり、それぞれの人に独自の匂いがある。いかに鈍い人間でも結婚して一〇日たてば配偶者の匂いをそれと知るという意味の俗諺がある。

触覚や圧覚は、確実性の起源である。指を口にくわえることは、単に自己身体の認識だけではない。その時、指が口に差し入るのか、指が口をくわえるのかは、どちらともいえ、どちらともいえない状態である。口―身体―指が作る一つの円環が安心感を生むもとではないだろうか。それはウロボロスという、自らの尾を噛む蛇という元型のもう一つ先の元型ではないだろうか。

聴覚のような遠距離感覚でさえ、水の中では空気中よりもよく通じ、音質も違うはずだ。母親の心音が轟々と響いていて、きっと、ふつうの場合には、心のやすらぎの妨げになる外部の音をシールドし、和らげているに違いない。それは一分間七〇ビートの音楽を快く思うもとになっている。児を抱く時に、自然と自分の心臓の側に児の耳を当てる抱き方になるのも、その名残りだという。母の心音が乱れると、胎児の心音も乱れるのは知られているとおりである。いわば、胎児の耳は保護を失ってむきだしになるのだ。

視覚は遅れて発達するというけれども、やわらかな明るさが身体を包んでいることを赤児は感じていないだろうか。私は、性の世界を胎内への憧れとは単純に思わない。しかし、老年とともに必ず訪れる、性の世界への訣別と、死の世界に抱かれることへのひそかな許容とは、胎内の記憶とどこかで関連しているのかもしれない(私は死の受容などと軽々しくいえない。死は受容しがたいものである。ただ、若い時とは何かが違って、ひそかに許しているところがあるとはいうことができる)。(中井久夫「母子の時間、父子の時間」『時のしずく』所収)






音楽がすべての芸術のなかで特権視されることがあるなら(ニーチェのように)、それは胎内で最初に接した感覚としての心音や血の流れる音にかかわるのではないか。もっとも胎内で指をくわえる円環の感覚も根源的なのであれば、触覚という面を忘れてはならない。彫刻の製作者とは、究極的には卵や壺をなぞるようにして、「盲人として」あらねばならない、とアランは『彫刻家との対話』のなかで語っている。あるいは谷崎潤一郎の『盲目物語』や『春琴抄』などの触覚的エクリチュール、--そこには視力の喪失によってのみ可能となるような特異な官能性が漲った文章があり、たとえば『春琴抄』の佐助は、自ら両眼を針で突き刺して盲目となった晩年、「しばしば掌を伸べてお師匠様の足はちやうど此の手の上へ載る程であつたと云ひ、又我が頬を撫でながら踵の肉でさへ己の此処よりはすべすべして柔らかであつたと」と語る。しかしこれらは(少なくとも彫刻は)視覚としてのイメージが前提とされている(谷崎の文章には視覚が前提とされているとは言い切れぬ部分があるかもしれない)。音楽、音にはそのような前提はない。

嗅覚も始原のもののひとつだろうが、残念ながら匂いの芸術というものはいまだないので(たぶん?)、エクリチュールで我慢しなければならない。
匂いを嗅ごうとする欲望のうちには、さまざまの傾向が混じり合っているが、そのうちには、下等なものへの昔からの憧れ、周りをとり巻く自然との、土と泥との、直接的合一への憧れが生き残っている。対象化することなしに魅せられる匂いを嗅ぐという働きは、あらゆる感性の特徴について、もっとも感覚的には、自分を失い他人と同化しようとする衝動について、証しするものである。だからこそ匂いを嗅ぐことは、知覚の対象と同時に作用であり ──両者は実際の行為のうちでは一つになる ──、他の感覚よりは多くを表現する。見ることにおいては、人は人である誰かにとどまっている。しかし嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう。だから文明にとって嗅覚は恥辱であり、社会的に低い階層、少数民族と卑しい動物たちの特徴という意味を持つ」。(M.ホルクハイマー、Th.W.アドルノ『啓蒙の弁証法』)

谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で、厠への愛を語るとき、そこには青葉や苔の匂いがあり、静けさのなかに虫や鳥、水の音があり、薄暗い闇とやわらかな光の感覚があり、そこには、もうひとつの母胎がある。

私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難みを感じる。茶の間もいゝにはいゝけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。それらは必ず母屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに教えられ、それは寧ろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。そうしてそれには、繰り返して云うが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻りさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。私はそう云う厠にあって、しとしとと降る雨の音を聴くのを好む。殊に関東の厠には、床に細長い掃き出し窓がついているので、軒端や木の葉からしたゝり落ちる点滴が、石燈籠の根を洗い飛び石の苔を湿おしつゝ土に沁み入るしめやかな音を、ひとしお身に近く聴くことが出来る。まことに厠は虫の音によく、鳥の声によく、月夜にもまたふさわしく、四季おりおりの物のあわれを味わうのに最も適した場所であって、恐らく古来の俳人は此処から無数の題材を得ているであろう。



《幸福に必要なものはなんとわずかであることか! 一つの風笛の音色。――音楽がなければ人生は一つの誤謬となるにちがいない》(ニーチェ「偶像の黄昏」)

ニーチェが「暗い森や洞穴の薄明の中」と書くとき、母胎内もそのひとつとしよう。


夜と音楽。--恐怖の器官としての耳は、恐怖心をもつ時代の、すなわちこれまで存在した中で最も長かった人間の時代の生活様式に応じて、夜においてのみ、暗い森や洞穴の薄明の中でのみ、現在見られるように立派に発展することが出来た。明るいところでは、耳はそれほど必要ではない。それが原因で、夜と薄明の芸術という音楽の性格が生まれるのである。(ニーチェ『曙光』250番)

もちろん胎内を至福の世界とするのは幻想かもしれず、すくなくともあまり繰り返せば、紋切型の様相をしめさないではない。胎児が母のおなかを蹴るのは、こんな窮屈な場所からはやく出してくれ、と内心叫んでいるのかも。

しかし、フロイトがいうように胎内とは次のようであるには相違ない。

神経症者が、女の性器はどうもなにか気味が悪いということがよくある。しかしこの、女の性器という気味の悪いものは、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である。冗談にも「恋愛とは郷愁だ」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女の性器、あるいは母胎であると見ていい。(『無気味なもの』)

…………

《「つた……」とは、当麻の庵室に籠もった藤原南家郎女のもとについに「彼の人」滋賀津彦が訪れる、その接近の音であった。実際、「つた」は動詞「伝ふ」にも通じているはずであり、「耳に伝ふやうに来る」音の至純形態にほかなるまい。》と松浦寿輝は書く。

擬声語とは――「つた つた つた」のみならず、「ぽたぽた」であろうが、「ひらひら」であろうが、「ぬめぬめ」であろうが「さやさや」であろうが、ありとあらゆる擬声語は、すべて跫音なのである。 生と死との間をさまよっている者の足が、そのゆるやかな歩みの一歩ごと、言語という「基底材」を蹴ってゆくにつれて、そのつどそこに生起しては消えてゆく音が、オノマトペなのだ。日本語のオノマトペが、「ぽ・た」なり「ひ・ら」なり、多くの場合二音を単位として反復されるのはいったいなぜなのか。それが跫音だからなのではないだろうか。(松浦寿輝『折口信夫論』)

心音や呼吸音は、就寝時には三拍子、興奮時には二拍子、歩行のリズムは二拍子といわれることもあるが、詳しくは分らない。オノマトペを三拍子にすると、より心地よくなる(安心感をうむ)ということはあるのかもしれない。音の至純形態の跫音のひとつは母の心音や呼吸音だろう。

言語リズムの感覚はごく初期に始まり、母胎の中で母親の言語リズムを会得してから人間は生れてくる。喃語はそれが洗練されてゆく過程である。さらに「もの」としての発語を楽しむ時期がくる。精神分析は最初の自己生産物として糞便を強調するが、「もの」としての言葉はそれに先んじる貴重な生産物である。(中井久夫「「詩の基底にあるもの」――その生理心理的基底」『家族の深淵』所収)

ここでの「もの」としての発語が、そしてその洗練されたものとしての喃語が、ひとの根源的な産出物のひとつなのであり、「詩」の基底にはそれがある。ここでアントナン・アルトーの「舌語グロソラリ」を想い起こしてもよい、ge re ghi/regheghi/geghena/a reghena/a gegha/riri/……


中井久夫によれば、「もの」としての語、その物質的側面とは、語が単なる意味の担い手なのではなく、まずは音調があり、発語における口腔あるいは喉頭の感覚、あるいは舌が口蓋に触れる感覚、呼気が歯の間から洩れる感覚など主に触覚的な感覚もあれば、舌や喉頭の発声筋の運動感覚もある。

これらは、全体として医学が共通感覚と呼ぶ、星雲のような感覚に統合され、またそこから発散する。音やその組み合わせに結びついた色彩感覚もその中から出てくる。

さらにこのような状態は、意味による連想ばかりでなく、音による連想はもとより、口腔感覚による連想、色彩感覚による連想すら喚起する。その結果、通用の散文的意味だけではまったく理解できない語の連なりが生じうる。精神分裂病患者の発語は、このような観点を併せれば理解の度合いが大きく進むものであって、外国の教科書に「支離滅裂」の例として掲載されているものさえ、相当程度に翻訳が可能であった。しばしば、注釈を多量に必要とするけれども。(「「詩の基底にあるもの」――その生理心理的基底」)

※附記:

《私が別に臨床医という仕事を持っていることは、この場合に大きな救いとなっている。専業著者であれば私は発狂しそうな気がする。しかし、臨床医であるということには大きな制約もある。私が訳詩で止まって詩を書かないのはなぜかと聞かれることがあるが、才能は別としても、もし詩を書こうとすれば、そのために、私は分裂病患者の診察の際に重要な何ものかを流用せざるをえなくなり、患者にたいへん申し訳ないことになるであろう。私は何も一般論として精神科医と詩人とが両立しないと言っているのではない。私の器量では双方が一つのうつわに収まらないという確実な感触があるというのである。》(中井久夫「執筆過程の生理学」『家族の深淵』所収ーー「おれの心はムクロ」より)