このブログを検索

2013年10月21日月曜日

痛風亭馬乗 十月廿一日

陰ときに晴。雲低く溽暑甚し。午前医者を訪う。当地はバクシー(博士)と呼ぶ。血圧係、血液係の看護婦等可憐なり。

尿酸高値に復す。ひと月ほど前七度まで下がりしが本日は九度超なり。暫時食事療法緩めし首尾覿面ともいうべし。日本酒飲みたしが米焼酎に戻すべし。







荷風風文語体むつかし。


断膓亭日記巻之二大正七戊午年  荷風歳四十

十二月廿二日。築地二丁目路地裏の家漸く空きたる由。竹田屋人足を指揮して、家具書筐を運送す。曇りて寒き日なり。午後病を冒して築地の家に徃き、家具を排置す、日暮れて後桜木にて晩飯を食し、妓八重福を伴ひ旅亭に帰る。此妓無毛美開、閨中欷歔すること頗妙。

十二月廿三日。雪花紛々たり。妓と共に旅亭の風呂に入るに湯の中に柚浮びたり。転宅の事にまぎれ、此日冬至の節なるをも忘れゐたりしなり。午後旅亭を引払ひ、築地の家に至り几案書筐を排置して、日の暮るゝと共に床敷延べて伏す。雪はいつか雨となり、点滴の音さながら放蕩の身の末路を弔ふものゝ如し。

十二月廿五日。終日老婆しんと共に家具を安排し、夕刻銀座を歩む。雪また降り来れり。路地裏の夜の雪亦風趣なきにあらず。三味線取出して低唱せむとするに皮破れゐたれば、桜木へ貸りにやりしに、八重福満佐等恰その家に在りて誘ふこと頻なり。寝衣に半纒引きかけ、路地づたひに徃きて一酌す。雪は深更に及んでます/\降りしきる。二妓と共に桜木に一宿す。





……時分をはかりて酒を飲みすぎたせゐか、これではあんまり長くかゝつて気の毒なり、形を替へたらば気もかはるべしと、独言のやうに言ひて、おのれまづ入れたなりにて横に身をなぢれば、女も是非なく横になるにぞ、上の方にしたる片手遣場なきと見せかけて、女の尻をいだきみるに堅ぶとりて円くしまつた肉付無類なり。

 およそ女の尻あまり大きく引臼の如くに平きものは、抱工合よろしからざるのみか、四ツ這にさせての後取は勿論なり、膝の上に抱上げて居茶臼の曲芸なんぞ到底できたものにあらず。女は胴のあたりすこしくびれたやうに細くしなやかにて、下腹ふくれ、尻は大ならず小ならず、円くしまつて内股あつい程暖に、その肌ざはり絹の如く滑なえば、道具の出来すこし位下口(したくち)なりとて、術を磨けば随分と男を迷し得るべし。(『四畳半襖の下張』)


荷風散人は襖の下張ではなきしも枕屏風に鴎外、漱石の書簡を張りしなり。なんと贅沢な御仁であるか。

《此日糊を煮て枕屏風に鴎外先生及故人漱石翁の書簡を張りて娯しむ》(断腸亭日記巻之三大正八年歳次己未


郷里近辺に茶臼山なる行楽地あり。当時飯田線は扉の開閉が手動なりし。茶臼にはしばしば遠足などでも出かけし又高校時代の女友達も茶臼近くの北設楽郡設楽(シタラ)町の出自で山育ちの豪農の娘なり。茶臼の如き形のよい尻をもち、可憐に、来てシタラ、シタラとふたつ続けて微笑む如し。魔羅不如意の昨今ことさら懐かしきかな。

《キスしながら、膝にまたがっている娘のパンタロンの下に両掌を差し入れて、腰から尻を撫でさすっている。余分の脂肪はないすべすべして小さな尻、清らかさと、結晶体のようなエロティシズム。そのうち右手が平らな腹へと滑り込む。幾日もかけて、指は腹から下腹へと前進する。陰毛の上のへりに、指がさわる。とくに憤慨しない。それからは、陰毛のへりにふれることがルーティンになる。いったん克ちとった陣地は、奪い返されないから。しかし、さらに下方へ進む指は決して許されない。こちらを傷つけぬ、明快な優しさの拒否。地形を推量するように、範囲が確定されている。》





《抱きあって、ソファに横になる。パンタロンの下に潜り込んだ手が、パンティにそってというより、視覚的なイメージとしてハイレッグスの水着のへりを辿るように、骨盤の下辺から腿の付け根へと降りてゆく。ついに性器にふれてしまえば、決然と拒まれるだろう。やりなおしはできなくなるかも知れない。注意深く、錘りが腿の外側へ指をつねに方向づけているように。しかもその指のゆっくりした進展に切実なエロティシズムをあじわいながら。性的なオスの能動性は、ただキスのみに、またスボンごしに娘の腿にふれているペニスのたかぶりにのみ生きている。いつまでも、そのままキスしている。》

《……腿の付け根にそって辿ってゆく指が、下着のへりの進路からいつか迷ってしまう。激しく下肢をこすりつけあっていた間に、娘のおシャレした薄い下着がよじれたのだろう。ためらいながら、すでに許されているコースに戻ろうとして、人さし指の腹が、ぼってりと厚みのあるところに乗る。その皮膚の端が濡れているのを感じる。指の腹は陰毛のへりでさわっていた柔毛とは別の、たくましく縮れた太い毛を押さえる。娘は断乎腹をよじって、指のみならず掌全体を、腿の外へと追いやる。

――規則を、約束を破ってはいけない、と勇気にみちた声がいう。いま娘の性器は濡れて、外縁に溢れてさえいたと、発見の喜びが鼓動になって搏つ。キスだけのエロスが、強靭な、全身的なものに変っている。》




《……一度だけ、パンタロンを脱ごうという合意ができる。ベッドに横になってのことで、はずみにパンティも剥ぎとられた。性器は見ないが、臍のまわりの、丸く薄い餅(ピン)のような脂肪と、やはり真丸な陰毛が見える。身体を重ねあわせてをみよう、窮屈そうだから太いものをーー今日はとくにフトいーー腿の間にいれてもいい、と娘はいう。経験がある者のように(あるいは経験がないゆえにか)娘は膝を高くかかげさえしたが、ペニスは挿入されない。娘の掌に射精することを許されたが、彼女の言葉を使うならそれはセックス以上だが、セックスではなかった。これまでで最高に気持がいいのに、イカなかった、と後から娘はいっていた。そのすべてをふくめて、思いだすと生涯で一、二のエロティックな経験だった。》(大江健三郎『取り替え子』)


……「肝心のとこがもう一つけけん。そやけどよく唸りはる女や」

スブやん、情けなく溜息をつけば、伴的はなぐさめるように、「京都の染物屋の二号はんや、週に二へんくらい旦つく来よんねん、丁度この二階やろ、始ったら天井ギイギイいうよってすぐわかるわ、もうええ年したおっさんやけど、達者なもんやで」

ちょいまち、とズブやん大形に手を上げ伴的をとめる、女がしゃべったのだ。

ーーあんた、御飯食べていくやろ、味噌汁つくろか。

男はモゾモゾと応え、ききとれぬ。と、突拍子もない声がズブやんの鼓膜にとびこんできた。

ーーお豆腐屋さん! うっとこもらうよオ。

男再び何事かしゃべり、女おかしそうに笑う。やがてドタドタとアパートの階段を乱暴にかけ上る音。ドアのノック、咳ばらい。

ーーそこに置いといて頂戴、入れもんとお金は夕方に一緒でええやろ、すまんなア。

しば静寂の後、再び床板きしみ女は唸り、ズブやんあっけにとられるのを、伴的ひと膝にじりよって、「やっとる最中に飯のお菜たのみよったんや、ええ面の皮やで豆腐屋も」(野坂昭如『エロ事師たち』)

豆腐屋が売る「うっとこ」とはなんぞや、ーーと頭をしばし捻りしが、ちょいと調べてみれば、関西方言の「私のところ、私の家」のことか、さてまたうっとこ手桶なる料理もありしなり。

「関西のお人は、なんしか、うちの派生の『うっとこ』もあての派生の『あっとこ』も使うてはるようなおぼろげな記憶がありますえ。」(京都弁!?

どうやら豆腐をほとの桶におさめて「やっとこ」を挿入し賞味する奇種のワカメ酒や女体盛りのたぐいではなし。然れども接木のさなかの豆腐とは人生の哀歓ひどく味わい深しかな。

《この小径は地獄へゆく昔の道 /プロセルピナを生垣の割目からみる/偉大なたかまるしりをつき出して /接木している》(西脇順三郎)


上になり下になりせっせと励む男など蜂か風のごときもの、ああ偉大なる女よとの感慨を催さざるべからず。《女は男の種を宿すといふが/それは神話だ/男なんざ光線とかいふもんだ/蜂か風みたいなものだ》(西脇)


当地はまだ豆腐の引き売り存続す。豆腐はおなじ漢字起源でトーフーなり。ラッパの音色や抑揚も日本と同じ。鳥語とともに早朝の楽しみなりし。女の声音は日本より一オクターヴ低しこと多しが最近はとんとご無沙汰なり。






ワカメ酒も日本酒ではなく米焼酎では味わいすこぶる劣るなり。

《舌をきられたプロクネ/口つぼむ女神に/鶏頭の酒を/真珠のコップへ/つげ/いけツバメの奴/野ばらのコップへ。/角笛のように/髪をとがらせる/女へ/生垣が/終わるまで》(西脇順三郎「第三の神話」)

ああいまではことごとく人生のTristis post Coitum(性交後の悲しみ)の如しで淋しきかな。

原始的淋しさは存在という情念から来る。
Tristis post Coitumの類で原始的だ。
孤独、絶望、は根本的なパンセだ。
生命の根本的情念である。
またこれは美の情念でもある。
                                    
――西脇順三郎『梨の女「詩の幽玄」』より