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2013年11月8日金曜日

「スカートの内またねらふ藪蚊哉」

断腸亭日乗 昭和十九年甲申歳 荷風散人年六十有六

九月初七。午前驟雨雷鳴あり。無花果熟して甘し。近隣の南瓜早くも裏枯れしたり。鳳仙花白粉花秋海棠満開。萩木芙蓉の花また満開となれり。町会事務所にて鮭の鑵詰の配給をなす。噂によればこれらの鑵詰は初め軍部にて強制的に買上げをなせしもの。貯蔵に年月を経過し遠からず腐敗のおそれありと見るや町会に払下げをなし時価にて人民に売つけ相当の鞘を得るなり。軍部及当局の官吏の利得これだけにても莫大なりといふ。日米戦争は畢竟軍人の腹を肥すに過ぎず。その敗北に帰するや自業自得といふべし。これも世の噂なり。××氏に送る返書の末に、

世の中は遂に柳の一葉かな       残柳
秋高くもんぺに尻の大なり
スカートのいよよ短し秋のかぜ
スカートの内またねらふ藪蚊哉
虫ききに銀座を歩む月夜哉
亡国の調〔しらべ〕せわしき秋の蝉
秋蝉のあしたを知らぬ調かな

…………

「スカートの内またねらふ藪蚊哉」
ーーなんと味わい深き哉

俳句にはまったく不案内不粋の身だが、それにもかかわらず、ここには「一瞬よりはいくらか長く続く間」(大江健三郎)、その「ゆらめく閃光」(ロラン・バルト)を切り取ったものがあるとすることができる。

その効果は切れ味がよいのだが、しかしそれが達しているのは、私の心の漠とした地帯である。それは鋭いが覆い隠され、沈黙のなかで叫んでいる。奇妙に矛盾した言い方だが、それはゆらめく閃光なのである。(『明るい部屋』)

ここでツイッター上で拾った「痛快句」を挿入しておこう。

夕立やモヒカン濡れてワカメ酒(鈴木創士)

《ツイートの別な使い方。「ボット」のように、自由間接話法の、だれとも知れない声の仮の置き場所として使えないか》と高橋悠治はいうが、夜郎自大の「わたし」「ぼく」の跳梁跋扈や意味の過剰、湿って纏わりつく下品な抒情などへの清涼剤として、束の間を叙事する俳句・川柳のたぐいがもっとあってよいのではないか(もっとも才能の有無が際立つので、凡人にはなかなか遣り難いともいえる)。


寄り道から引き返し、「蚊」のキスに戻る。

・秋の蚊に踊子の脚たくましき(吉岡実)

・みんなは盗み見るんだ/たしかに母は陽を浴びつつ/ 大睾丸を召しかかえている/(……)/ぼくは家中をよたよたとぶ/大蚊[ががんぼ]をひそかに好む(吉岡実「薬玉」)

亜麻色の蜜蜂よ きみの針が/いかに細く鋭く命取りでも、/(……)/刺せ この胸のきれいな瓢を。/(……)/ほんの朱色の私自身が/まろく弾む肌にやってくるように!//素早い拷問が大いに必要だ。/…… (ヴァレリー「蜜蜂」中井久夫訳)

ヴァレリーの「カイエ」には蛇の絵が頻出する。中井久夫は、ヴァレリーの詩を翻訳する過程で、《ヴァレリー詩には独特の奇妙な毒が確かにあると私は感じている。それはしばしば行間から立ちのぼって、私の手を休ませずにはおかなかった。時には作業は何日も停滞するのであった》(「ヴァレリーと私」)としている。

あるいは、《上の傍線部分を、「鮮やかな緑の毒蛇よ きみの毒牙が/いかに細く鋭く命取りでも」と置き換えたい誘惑を感じた》、と。

ーーなどと引用していけば、詩句はやはり隠喩的読みを促すものがあり、俳句的な束の間の閃光の味わいとはいささか異なる。薮蚊の句から、「みんなは盗み見るんだ」ーー荷風のほとんど終生やむことのなったらしいその覗き見趣味に思いを馳せてみるなどという不粋な振舞いはやめておこう。


…………


《西欧はすべてのものを意味で湿らせてしまう》としつつ、ロラン・バルトは俳句への羨望を語っている(『記号の国』)。

俳句は、自分でもたやすく作ることができるとたえず思わせてしまうような、そんな幻想をあたえる性格をいくぶんかもっている。つぎの句(蕪村の)を見ると、自然に生れ出てくるエクリチュールにとって、この句ほど近づきやすいものがあるだろうか、と思ってしまう。

父母のことのみ思ふ秋のくれ

俳句は、羨望をおこさせる。どれほど多くの西欧の読者が夢みたことだろうか。手帳をたずさえて、あちこちで「印象」を書きとめながら歩きまわることを実生活でしてみたいものだ、と。その「印象」記では、簡潔さは完璧さを保証するものとなり、素朴さは深遠さを証明するものとなるだろう。(……)

俳句においては、意味は一瞬の閃光、光の浅い傷跡にすぎない。シェイクスピアは「見えない世界を照らしだした閃光とともに、意味の光が消えてゆくとき」と書いていたが、俳句の閃光にはなにも照らしださないし、明らかにもしない。

※ここでの「シェイクスピア」は翻訳者石川美子さんによれば、実際はワーズワースの自伝詩『序曲――詩人の魂の成長』から。


ロラン・バルトの『記号の国』における日本文化の顕揚はあくまでバルトのフィクションであり、意味過剰の西欧文化にたいしての意味の中断、あるいは非―意味のユートピアへの憧憬として捉えるべきというのは、少なくともバルト読みたちの「常識」だろう。バルトの書を日本文化論としてとらえて批判するのは愚の骨頂である、と。

俳句がロラン・バルトのいうようなものかどうかは、俳句について殆ど無知のわたくしにはわからない。ただ短歌の心情的・抒情的な「意味」の吐露、ときに粘つくその重とは異なった印象を受けることが多い(短歌だって、ときに素朴・おおらかな万葉歌集、あるいは、小林秀雄の「西行」、あるいは折口信夫や子規の歌論などを読んで感心した程度だから口幅ったいことはいうつもりはないが)。

言うまでもないことだが、短歌というものは天皇を頂点とする文化のヒエラルキーにつらなる言葉によって形成される詩形で、浅田彰風に言うならば、さだめし、「土人の詩」ということにでもなろうか。(金井美恵子『本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬ』)

――このように短歌にひどい悪口をいう金井美恵子だって俳句についての悪口は言わない。それは彼女が敬愛の念を漏らす二人の作家、ロラン・バルトや、俳句的な詩句もある吉岡実に遠慮してかどうかは知らねど。


実際、《四人の僧侶/畑で種子を播く/中の一人が誤って/子供の臀に蕪を供える/驚愕した陶器の顔の母親の口が/赭い泥の太陽を沈めた》(吉岡実「僧侶」)やら、《水べを渉る鷭の声に変化した女の声を聴く》(「感傷」)などは、ほとんど俳句の変種が挿入されていると読める。

それは吉岡実が崇敬する西脇順三郎の詩句のかなりの箇所が俳句的であるのと同様。

たとえば西脇から出典を示さずに断片をいくつか拾ってみよう、--要するに気に入っている詩句を順不同に抜き書きしてあるもののなかからであり、そこでは出典が記されていないためだがーー、有名過ぎる「(覆された宝石)のやうな朝」のようなものは除きつつ。

・露にしめる /黒い石のひややかに /夏の夜明け
・もう秋は四十女のように匂い始めた
・野原をさまよう時 /岩におぎようやよめなをつむ/ 女のせきがきこえる
・黒い畑の中に白い光りのこぶしの木が /一本立つている
・まだこの坂をのぼらなければならない/とつぜん夏が背中をすきとおした
・石垣の間からとかげが /赤い舌をペロペロと出している
柿の木の杖をつき /坂を上つて行く /女の旅人突然後を向き /なめらかな舌を出した正午
・けやきの木の小路を/ よこぎる女のひとの /またのはこびの/ 青白い/終わりを
・ちようど二時三分に /おばあさんはせきをした /ゴッホ


さてここで公平を期すために、――つまり短歌を貶すつもりでは毛頭ないことを示すためにーー、次の文を掲げる。

俳句と短歌とで見ると、俳句は遠心的であり、表現は撒叙式である。作家の態度としては叙事的であって、其が読者の気分による調和を、目的としているのが普通である。短歌の方は、求心的であり、集注式の表現を採って居る。だから作物に出て来る拍子は、しなやかでいて弾力がある。読者が、自分の気持ちを自由に持ち出す事は、正しい鑑賞態度ではない。ところが芭蕉の句はまだ、様式的には短歌から分離しきって居ない。それは、きれ字の効果の、まだ後の俳句程に行って居ない点からも観察せられる。芭蕉の句に、しおりの多いのも、此から出て居る。併しながら元々、不離不即を理想にした連俳出の俳句が、本質の上に求心的な動きを欠いて居る事は、確かである。(折口 信夫『歌の円寂する時 』)

しかし荷風などの漢文体起源の文章を読んでいると、短歌よりも俳句的なものに魅惑されるということはある。

俳句とは如何なるものかという問に対して先生の云った言葉のうちに、俳句はレトリックのエッセンスであるという意味の事を云われた事がある。そういう意味での俳句で鍛え上げた先生の文章が元来力強く美しい上に更に力強く美しくなったのも当然であろう。また逆にあのような文章を作った人の俳句や詩が立派であるのは当然だとも云われよう。実際先生のような句を作り得る人でなければ先生のような作品は出来そうもないし、あれだけの作品を作り得る人でなければあのような句は作れそうもない。後に『草枕』のモニューメントを築き上げた巨匠の鑿のすさびに彫んだ小品をこの集に見る事が出来る。(寺田寅彦『夏目先生の俳句と漢詩』)


ところで『彼自身によるロラン・バルト』に次のような文がある。

「いろいろの本の企画」の項には、そのひとつとして、

『偶景(アンシダン)』(ミニ=テクスト、短い書つけ、俳句、寸描、意味の戯れ、すべて木の葉のように落ちてくるもの)

「それはどういう意味か」の項には、

千の偶発事(アンシダン)を記述して、しかもそれこら一行の意味を引き出すことも差し控えるような。それはまさに俳句の本になるだろう。

花輪光氏は、「偶景」について、上の『彼自身』、あるいは『新=批評的エッセー』の叙述から、次のようにまとめている。(ロラン・バルト『偶景』 解題代わりの小論「小説家ロラン・バルト?」より)

偶景(incident)――偶発的な小さな出来事、日常の些事、事故(アクシダン)よりもはるかに重大ではないが、しかしおそらく事故よりももっと不安な出来事、人生の絨毯の上に木の葉のように舞い落ちてくるもの、日々の織物にもたらされるあの軽いしわ(プリ)、わずかに書きとめることができるもの、何かを書くために必要となるちょうどそれだけのもの、表記のゼロ度、ミニ=テクスト、短い書つけ、俳句、寸描、意味の戯れ、木の葉のように落ちてくるあらゆるもの。

ここに「事故よりももっと不安な出来事」とある。この「不安」を花輪氏はどのような意味で使っているのかは窺いしれないが、バルトとも親しい関係にあったラカンにとっての「不安」とは、現実界reelに近づき過ぎたとき生じるものである。ここではラカンの「不安」セミネールの長ったらしい説明ではなく、ジジェクの簡潔な文を引用しよう。

ラカンによれば、不安は欲望の対象=原因が欠けているときに起こるのではない。不安を引き起こすのは対象の欠如ではない。反対に、われわれが対象に近づきすぎて欠如そのものを失ってしまいそうな危険が、不安を引き起こすのだ。つまり、不安は欲望の消滅によってもたらされるのである。(スラヴォイ・ジジェ ク:『斜めから見る』:p27)

ゆらめく閃光、その欲望の裂け目を掠め取る俳句的手法は、現実界(リアル)の深遠を垣間見る試みである、としておこう。「裂け目の光のなかに保留されているもの」(ラカン)の出現―消滅をわずかに書き留めるのだ。そこでは「享楽の垣根における欲望の災難[Mesaventure du desir aux haies de la jouissance]」(ラカン)があり、秀句は「欲望」ではなく「享楽」--現実界的なものーーの審級に属するものが多いのではないか。

その表記のゼロ度、意味の戯れは、現実(リアリティ)でも、象徴界、あるいは想像界の領域でもない。ーー《見えない世界を照らしだした閃光とともに、意味の光が消えてゆく》


さて『偶景』は、けっきょく生前出版されなかったが、そのテクストのいくつかは『テル・ケル』誌に掲載することを考えて印刷できる状態にあったようだ。

没後発表された『偶景』からロラン・バルトの俳句的なエクリチュールをいくつか引いてみよう。


モロッコにて、最近のこと……

・列車のバーテンダーが、ある駅で降り、赤いジェラニウムの花を摘み、水を入れたコップにさして、汚れた茶碗やナプキンを放り込んでおくかなり汚い物入れとコーヒー沸しの間に置いた。
・二人のアメリカの老婦人が背の高い盲目の老人を力づくでつかまえ道を渡してやる。しかし、このオイディプスはお金の方を好んだであろうに。金、金、相互扶助ではなく。 
・手はもうすでに少し分厚いが、華奢で、ほとんどなよなよした少年が、突然シャッターのようにすばやく、男であることを表す仕草――爪の裏でたばこの灰を落とすーーをする。
・一人の立派なハジ。短い灰色のひげをよく手入れし、手も同様に手入れし、真白い上質のジェラバを優雅にまとって、白い牛乳を飲む。
しかし、どうだ。鳩の排泄物のように、汚れが、きたないかすかなしみがある。純白の頭巾に。


さらに重ねて『彼自身によるロラン・バルト』における「俳句」という語が出現する箇所を引けば、「想起記述」は、まさに俳句である、とある。

私が《想起記述》を呼んでいるものは、被験者が、稀薄な思い出を《拡大もせず、それを振動させることもなしに》ふたたび見いだすためにおこなう作業―――享楽と努力の混合―――である。それは俳句そのものだ。《伝記素》とは、つくりものの想起記述以外の何ものでもない。私が自分の愛する著作者に想定する想起記述である。

これらのいくつかの想起記述は、程度の差はあるがともかく、みな《つや消し》である(意味作用を発揮していない、すなわち意味を免除されている)。それらをうまくつや消しのものにすることに成功すればそれだけ、それらは想像界からうまく逃れることになる。

「想起記述」とは中井久夫の説く幼児型記憶の記述に近い。そして幼児型記憶は、トラウマ的なものであり、やはり「現実界」に属する(参照:ロラン・バルトの想起記述と中井久夫の幼児型記憶


最後にロラン・バルトの想起記述のいくつか。

《おやつのときの、つめたい砂糖入りミルク。古い白い茶碗の底に、陶器のきずがひとつあった。かきまわすときにスプーンに当たったものはそのきずだったか、それとも、溶け残りか洗い残しの砂糖のこびりついたものだったろうか。》

《市街電車に乗って、日曜日の夜、祖父母の家から帰る。晩ごはんの居間の、暖炉のそばで、ブイヨンと焼いたパンだった。》

《夏の宵、なかなか日が暮れないとき、母親たちは小道を散歩していた。子どもたちがそのまわりでじゃれていて、まさに祭りであった。》

《こうもりが一匹、部屋へはいって来た。それが髪にとまりはしないかと、おびえた母親は自分の背中に彼をかかえて、ふたりは敷布を頭からかぶり、そして、火ばさみでこうもりを追い払った。》


中井久夫の幼児期記憶の記述をもひとつ。

《母親がガラスの器にイチジクの実を入れてほの暗い廊下を向こうから歩いてくる》

…………

最近、自己主張の少ない端正なバッハのシンフォニアの演奏録音(1963)に出逢うことができたのでーーこのアナトリー・ヴェデルニコフの演奏を俳句的なものなどとするつもりはないがーー、ここに貼り付けておく。







※俳句的な音楽なら、まずはシューマン(そしてウェーベルン)が想起させられるのは、ロラン・バルトや奥泉光が言う通り。そしてシューマンがバッハの曲に多くを学んでいるのはこれも周知の通り。

「シューマンはね、突然はじまるんだ。ずっと続いている音楽が急に聴こえてきたみたいにね。たとえば野原があったとして、シューマンの音楽は見渡す限りの、地平線の果てにまで広がっている。そのほんの一部分を、シューマンは切り取ってみせる。だから実際に聴こえてくる音楽は、全体の一部分にすぎないんだ」(奥泉光 『シューマンの指 』)


断章は(俳句と同様に)《頓理》である。それは無媒介的な享楽を内含する。言述の幻想、欲望の裂け目である。文としての思考、という形をとって、断章の胚種は、場所を選ばず、あなたの念頭に現れる。それはキャフェでかもしれず、列車の中かもしれず、友だちとしゃべっているときかもしれない(それは、その友だちが話していることがらの側面から突然出現するのだ)。そういうときには、手帳を取り出す。が、その場合書きとめようとしているものは、ある一個の「思考」ではなく、何やら刻印のようなもの、昔だったら一行の「詩句」と呼んだであろうようなものである。 何だって? それでは、いくつもの断章を順に配列するときも、そこには組織化がまったくありえないとでも? いや、そうではない、断章とは、音楽でいう連環形式のような考えかたによるものなのだ(『やさしき歌』、『詩人の恋』)。個々の小品は、それだけで充足したものでありながら、しかも、隣接する小品群を連結するものでしかない。作品はテクストの外にしか成立しない。断章の美学を(ウェーベルン以前に)もっともよく理解し実践した人、それはだぶんシューマンである。彼は断片を「間奏曲」と呼んでいた。彼は自分の作品の中に、間奏曲の数をふやした。彼がつくり出したすべては、けっきょく、《挿入された》ものであった。しかし、何と何の間に挿入されていたと言えばいいのか。頻繁にくりかえされる中断の系列以外の何ものでもないもの、それはいったい何を意味しているのか。 断章にもその理想がある。それは高度の濃縮性だ。ただし、(“マクシム〔箴言、格言〕”の場合のように)思想や、知恵や、真理のではなく、音楽の濃縮性である。すなわち、「展開」に対して、「主調」が、つまり、分節され歌われる何か、一種の語法が、対立していることになるだろう。そこでは《音色》が支配するはずである。ウェーベルンの《小品》群。終止形はない。至上の権威をもって彼は《突然切り上げる》のだ! (ロラン・バルト『彼自身によるバルト』)