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2013年11月13日水曜日

人が二十年もかかって考えた処を、一日で理解したと思い込む人々

ああ、きみにも返事しなくっちゃな
無視しているわけじゃないんだがね

…………


固有名詞をあげずに書いた「10月29日」の記事に何度かコメントを貰っており、同じ方なのか、次第に強い口調になるので、この場で返答めいたものを書く。

無視しているわけではないのだが、わたくしはその著書を読んでいないので返事のしようがない。ただ著者のツイッター上での振舞いについての齟齬を書いただけだ。著者のツイートについても、その一部は、以前、固有名詞をあげて、それなりの顕揚をしているんだぜ(参照:日本人の精神構造・社会構造の鍵概念をめぐる)。まあオレが顕揚してもしかたがないのだけれど、それはオレが悪口いってもしかたがないのと一緒で、そんなにキニスンナヨ! よっぽどファンなのかね、彼の。


…………

発見は何物でもない。困難は、発見した処を血肉化するにある。(ヴァレリー「テスト氏との一夜」)

「僕以外の人が、僕の思想を伝えられて受ける利益はと言えば、これもまたたいしたあものではあるまい。(中略)誰でも他人から学ぶ場合には、自分で発明する場合ほどには、何事にせよ充分によく考えることも、これを自分のものにすることもできない。これは、この問題においては、いかにも本当のことで、僕は非常に優れた精神を持った人々に、僕の意見の二、三をしばしば説明してみたが、話している間は、彼らもきわめてはっきりとわかっているように思われるが、彼らがそれをくり返す時には、いつもほとんど決まって、彼らはそれを変えてしまう、僕の意見とははや言えないほどのものにしてしまうのを、僕は見たのである」

ここにデカルトのセプティシスム(懐疑論:引用者)を読むような人は、次の特徴のある文にも彼の皮肉しか読めないであろう。

「僕が、それを明らさまに演繹してみたくないというわけは、人が二十年もかかって考えた処を、二言三言聞いただけで、一日で理解したと思い込むような人々、そういう人々は明敏なほど失敗も多く、真理から遠ざかる連中だが、そういう人々が、これを機会に僕の原理と信じ込んだものの上に、無法極まる哲学を築き上げ、その罪を僕に帰することを恐れたためである」

デカルトには自分の二十年の思い出を純化することのほか何物も必要としなかった。そして弁証家の空しい修辞から離れて、この世のもので最も公平に配分された全く単純な本然の理性をつかむことが人間にどんなに難しいかを警告し、読者から無言で遠ざかるのである。

「人が二十年もかかって考えた処を、一日で理解したと思い込む人々」、もしこの言葉に、皮肉な意味を読みとることが間違いだとしたら、デカルトが言いたい処は、明瞭なはずである。つまり彼にとっては、自分の考えた処と考えるに要した二十年の歳月とを切り離すことができない。物を考える方法を述べるとは、自分の「生活の絵」を拡げてみせることに他ならないのである。これが有名なCogitoの真意ではないか。

(……)当時の教会や大学に対してデカルトが払った顧慮は周知のことであり、彼はしばしば仮面を被っていたと言われるが、どこまでが彼の仮面であり、どこまでが彼の素面であったか、そういう穿鑿が仕事をはっきりさせるとも思われぬ。脱げば素面が現われるような仮面を、人間は人生で被ることはできまいから。人間は、めいめい自分にしっくり合った仮面を被る他あるまいから。(小林秀雄「「テスト氏」の方法」)


上のデカルトの『方法序説』は小林秀雄自身が訳したのだろう、同じ箇所を手もとの野田又夫訳から抜き出しておく。


私の思想の伝達ということから人々が受けるであろう利益を考えてみると、これもまたあまり大きいものではありえない。(……)あることを他人から学ぶ場合には、みずから発見する場合ほど十分に、そのことを理解しそれをわがものにすることができないものだ(……)。そしていまわれわれの問題としている事がらに関してはまったくそのとおりであって、私は自分の意見のいくつかを、非常にすぐれた精神の人々にたびたび説明したことがあり、私が話している間は彼らはきわめて判明に私の意見を理解しているように思われたにもかかわらず、それを彼ら自身の口からもう一度いう段になると、彼らはほとんどつねに、それを変えてしまい、私としてはもうそれを自分の意見だとは認められないようにしてしまうのであった。(デカルト『方法序説』野田又夫訳 中公文庫P82-83) 
……その演繹をここではわざとしないのだ、ということを人々に知らせるためにほかならない(……)。なぜしないかといえば、人が二十年もかかって考えたことのすべてを、それについて二つ三つのことばを聞くだけで、一日でわかると思いこむ人々、しかも鋭くすばやい人であればあるほど誤りやすく、真理をとらえそこねることが多いと思われる人々が、私の原理だと彼らが信ずるものをもとにして、何か奇矯な哲学をたてるきっかけになり、そういう哲学が私のあやまちにされる、というようなことを防ぐためなのである。(同P238)


ここで「二十年もかかって」、とあるのは、『方法序説』はデカルトの処女作と言っていいものであり、しかも彼の四十一歳の作品であるためであろう。


…………

二十年とはいわなくても、自らの思索の十年近くなのだろう、その成果の「作品」を、ブログやらツイッターでの数日間しか読んでいない者の反応をみて右顧左眄するなどの振舞いはまったく馬鹿気ている、というのがわたくしの言いたいところだった。そしてこれは古い世代の妄念にすぎないのかもしれないと繰返しておこう。


いまでは人文学の危機やら出版危機やらでかつてのように書物が売れないせいなのかどうかは知るところではないが、すぐれた書き手までもが、批評家から編集者に鞍替えした人物と同じような振舞いをして、それに全く恥じないかの如くだ、--ってのもあるな

もちろん、詩や、小説や、旅行記を書き綴ることがその主要な関心からそれていったりはしなかったが、それにもまして彼が心を傾けていたのは、作品をいかに世間に流通させるかという点にあった。つまりマクシムは、新しく刊行される文芸雑誌の責任者の一人として、当時の文学的環境にとってはまだ未知のものであった幾つかの名前を、集中的に売りだそうとしていたのである。つまりマクシムは、雑誌編集者に仮装することで文学との関わりを持とうとしており、それが成功するか否かが、彼にとって最大の関心事だったのだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)


それなりに有能な思想家・小説家と思われる人物でも(ここは敢えて固有名詞をあげれば、たとえばラカンや中井久夫のよき読み手でもある佐々木中氏)、レストランで食事をとる前にツイッター上に写真を貼り付けるなどの振舞いが頻発する。食事に魅惑されているのなら、ひとはそんなことをするものだろうか。退屈しているか、ツイートの眺め手たちへの媚態、あるいは親しみをもたせるための販促活動にしか思えない。

あるいは記憶違いでなければ、たしかドゥルーズのこのすぐれた研究者・書き手が、旅行中に風景や食事写真などを貼り付けるなどということがあった。これも同様。だがそんな人物が、現在、《つながりすぎ、動きすぎで「接続過剰」になってはいないか。関係をほどよく切断・接続しつつ、「個体」として生きた方がよいのではないか。》などと語ることになる。あれらをツイートの読み手との「つながり」の振舞いとしなくてなんだろう。それとも、ほどよい「接続」とでもいうのだろうか。

このドゥルーズの文をどう読むのだろう。

旅をするとは、何かを言うためにどこかに出かけて行き、また何かを述べるために帰ってくることにほかならない。行ったきり帰ってこないか、向こうに小屋でも建てて住むのであれば話しは別ですけどね。だから、私はとても旅をしようという気になれない。生成変化を乱したくなければ、動きすぎないようにこころがけなければならないのです。トインビーの一文に感銘を受けたことがあります。『放浪の民とは、動かない人たちのことである。旅立つことを拒むからこそ、彼らは放浪の民になるのだ』というのがそれです。(ドゥルーズ「哲学について」『記号と事件』)

今では「旅」とは「何かを述べるために帰ってくること」――《そう宣言することの率直な凡庸さは、こんにちではもはや凡庸さとは意識されることもなく希薄に共有されてしまっている》(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)とでもいうよりほかない。


《つながりすぎ、動きすぎで「接続過剰」になってはいないか。関係をほどよく切断・接続しつつ、「個体」として生きた方がよいのではないか。》(「ギャル男」哲学者が感じる 東京五輪の危うさ)という示唆あふれる文の重要な標的のひとつは、SNS、わたくしが知っているのはツイッターだけだが、そこでの「つながりすぎ」、絆による同族意識、『仲良し同士』の慰安感を維持することが全てに優先している「共感の共同体」なのではないだろうか。

詳しいことは著書を読んでいないのでわからないが、《関係をほどよく切断・接続しつつ、「個体」として生き》ることとは、蓮實重彦が 1999年4月12日、東京大学総長としての式辞で語った望まれるべきコミュニケーションにあり方の指摘と似たようなものを感じる。

・気心の知れた仲間同士の親しいうなずきあいとは異なる外部の力学
・共感とは異質のある種の齟齬感
・同調からくる納得ではにわかに処理しかねる違和感
・親密さではなく、むしろそれをこばんでいるかにみえる隔たり

そしてあれらのすぐれた書き手さえがツイッターでやっているコミュニケーションというのは、これにひどく反するように思えるってことだ。

これは著書への批判じゃなくて、すくなくとも、《つながりすぎ、動きすぎで「接続過剰」になってはいないか。関係をほどよく切断・接続しつつ、「個体」として生きた方がよいのではないか。》って考え方は大いに流通したほうがいいには相違ない、書物が大いに売れたほうがいい。

それともちろん「動きすぎてはいけない」ってのは、オレのドゥルーズのすくない読書範囲からすれば、たぶん「蜘蛛」にかかわるのだろうよ

しかし、器官のない身体とは何であろうか。クモもまた、何も見ず、何も知覚せず、何も記憶していない、クモはただその巣のはしのところにいて、強度を持った波動のかたちで彼の身体に伝わって来る最も小さな振動をも受けとめ、その振動を感じて必要な場所へと飛ぶように急ぐ。眼も鼻も口もないクモは、ただシーニュに対してだけ反応し、その身体を波動のように横切って、えものに襲いかからせる最小のシーニュがその内部に到達する。(……)そのたびごとに、或る性質を持ったシーニュに対する器官のない身体の包括的で強度は反作用として存在する無意志的な感受性、無意志的な記憶作用、無意志的な思考。『失われた時を求めて』の粘着性のある糸にひっかかる小さな箱のそれぞれをなかば開けるか閉じるために動くのは、この身体=巣=クモである。語り手の奇妙な可塑性。……(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「狂気の現存と機能――クモーー」の章)

オレの「誤読」の範囲では、うえの蜘蛛の文章は、次の「ゆるくもつ杖」と翻訳するのだけれどね。

身体についていえば、物理学者ニールス・ボーアが好んで使った譬えのように杖を持つ人がゆるく杖を持つ時、杖の動きは地面の凹凸を反映し、杖は観測対象に屈する。逆に堅く持つ時、それは観測主体の動きを反映する。彼の場合、「杖」は「観測手段」であるが、これを「身体」と置き換えてもほぼ成り立つと私は思う。(「中井久夫「医学・精神医学・精神療法は科学か」『徴候・記憶・索引』所収」)

あるいは、フロイトの「自由にただよう注意」でもいい。


さらにはまた「友情」の扱いだな、あの著者のツイートでの片言隻語でわからないのは。

真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらく創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密の圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともに、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「アンチ・ロゴス」の章) 
哲学者には、《友人》が存在する。プルーストが、哲学にも友情にも、同じ批判をしているのは重要なことである。友人たちは、事物や語の意味作用について意見が一致する、積極的意志のひとたちとして、互いに関係している。彼は、共通の積極的意志の影響下にたがいにコミュニケーションをする。哲学は、明白で、コミュニケーションが可能な意味作用を規定するため、それ自体と強調する、普遍的精神の実現のようなものである。プルーストの批判は、本質的なものにかかわっている。つまり、真実は、思考の積極的意志にもとづいている限り、恣意的で抽象的なままだというのである。慣習的なものだけが明白である。つまり、哲学は、友情と同じように、思考に働きかける、影響力のある力、われわれに無理やりに考えさせるもろもろの決定力が形成される、あいまいな地帯を無視している。思考することを学ぶには、積極的意志や、作り上げられた方法では決して十分ではない。真実に接近するには、ひとりの友人では足りない。ひとびとは慣習的なものしか伝達しない。人間は、可能なものしか生み出さない。哲学の真実には、必然性と、必然性の爪が欠けている。実際、真実はおのれを示すのではなく、おのずから現れるのである。それはおのれを伝達せず、おのれを解釈する。真実は望まれたものではなく、無意志的である。((ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「思考のイマージュ」の章)

友情ってのは、動きすぎるってことじゃないのか

…………

何にも増して私が遠ざけるべきものは、精神をさしおいて唇が選ぶあの言葉、会話で人がよく口にするようなユーモアたっぷりな言葉、他人との長い会話のあとで、人が自分自身に向かってわざとらしく発しつづける言葉、そしてわれわれの精神をうそで満たすあの言葉の数々である。(……)一方、真の書物は、白昼と雑談との子ではなくて、晦冥と沈黙との子でなくてはならない。そして、芸術は人生を正確に再構成するものであるから、人が自分自身の内部に到達してとらえた真実のまわりには、つねに、詩の雰囲気が、ひそやかな神秘が、ただようだろう。それこそは、われわれが通ってこなくてはならなかった薄明のなごりにほかならず、深度計ではかったように正確に記録された標示、ある作品の深さの標示にほかならぬであろう。(プルースト「見いだされた時」井上究一郎訳)
社交の快感は、嫌悪を催すたべものをのみくだしたときのようなむかつきをひきおこすのが落ちでだし、友情にしても、それは一つの見せかけである、というのも、友人と一時間おしゃべりするために、仕事を一時間放棄する芸術家は、どんな道徳的理由からそうするにしても、実在しない何物かのために一つの実在を犠牲にしていることを知るからである。(同上)
……というのは、彼といっしょにしゃべっているとーーほかの誰といっしょでもおそらくおなじであっただろうがーー自分ひとりで相手をもたずにいるときにかえって強く感じられるあの幸福を、すこしもおぼえないからであった。ひとりでいると、ときどき、なんともいえないやすらかなたのしい気持に私をさそうあの印象のあるものが、私の心の底からあふれあがるのを感じるのであった。ところが、誰かといっしょになったり、友人に話しかけたりすると、すぐ私の精神はくるりと向きを変え、思考の方向は、私自身にではなく、その話相手に移ってしまうので、思考がそんな反対の道をたどっているときは、私にはどんな快楽もえられないのであった。ひとたびサン=ルーのそばを離れると、言葉のたすけを借りて、彼といっしょに過ごした混乱の時間にたいする一種の整理をおこない、私は自分の心にささやくのだ、ぼくはいい友達をもっている、いい友達はまたとえられない、と。そして、そんなえがたい宝ものにとりまかれていることを感じるとき、私が味わうのは、自分にとって本然のものである快感とは正反対のもの、自分の薄くらがりにかくれている何かを自分自身からひきだしてそれをあかるみにひきだしたというあの快感とは正反対のものなのであった。(『花咲く乙女たちのかげに 二』)


再度、ドゥルーズの文を抜き出せば、下にあるように、観察/感受性、哲学/思考、反省/翻訳、友情/恋愛、会話/沈黙した解釈、ことば/名などの二項対立があって、「動きすぎてはいけない」や「蜘蛛」は、二項対立の後者を顕揚するものであるはずだ。そして、「しっかり握った杖/ゆるく持った杖」もこの流れのなかにある。


『失われた時を求めて』は、一連の対立の上に築かれている。プルーストは、観察には感受性を対立させ、哲学には思考を、反省には翻訳を対立させる。知性が先にたち、《全体的な魂》というフィクションの中に集中させるような、われわれのすべての能力全体の、論理的な、あるいは、連帯的な使用に対して、われわれがすべての能力を決して一時には用いず、知性は常にあとからくることを示すような、非論理的で、分断されたわれわれの能力がある。また、友情には恋愛が、会話には沈黙した解釈が、ギリシア的な同性愛には、ユダヤ的なもの、呪われたものが、ことばには名が、明白な意味作用には、中に包まれたシーニュと、巻き込まれた意味が対立する。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「アンチ・ロゴスと文学機械」の章)


まあこれらは、ほとんどドゥルーズを読んでいないものが書く戯言かもしれないがね(プルースト論とマゾッホ論だけだからな、比較的熱心に読んだのは)。まあだから気にすんな、アバヨ!




…………

附記:式辞抜粋 平成11年1999年4月12日 
                                        東京大学総長 蓮


わたくしは、いま、わたくしの心と体とをとらえている極度のこわばりを、あえて隠そうとは思いません。むしろ、この緊張を、一つの解読さるべき記号として、あなたがたに受け止めていただきたいとさえ願っております。というのも、その緊張に向けて存在をおしひろげ、その波動に身をゆだねることそのものが、こうした儀式に特有の時間と空間のもとで成立するコミュニケーションの一形態にほかならぬからであります。そもそも、儀式とは、見せかけの華麗さが空疎な形式を視界から一瞬遠ざけることで成立する、壮大な退屈さの同義語ではありません。通過儀礼の一つとして、とりあえずは耐えておくべき無駄な時間でもありません。なるほど、日本における儀式の多くは、そうした印象を与えかねない単調さをことさら恥じてはいないかにみえます。また、そこでは、日常のさりげなさからは思いきり遠い公式の言葉が仰々しく口にされがちであります。しかし、本来、儀式の場に流通する言葉には、気心の知れた仲間同士の親しいうなずきあいとは異なる外部の力学が働いており、それが有効に機能した場合、そこには、共感とは異質のある種の齟齬感が、同調からくる納得ではにわかに処理しかねる違和感が、あるいは、親密さではなく、むしろそれをこばんでいるかにみえる隔たりの意識が、意味の生成に深くかかわるものとして浮上してまいります。いま、あなたがたにあえて緊張の共有を求めたのは、わたくしと同じ状況に身をおいてほしいからではありませんし、それを想像の世界で鮮明に思い描いていただきたいからでもありません。むしろ、それがきわだたせる隔たりの意識に触れ、そうした記号にも、何らかの社会的な意義がそなわっていることを理解していただきたかったからにほかなりません。 


※追記

「文は人なり」という言葉は、たいした言葉で、なんのかの言いながら、文学の研究法も鑑賞法も、この隻句を出ないと見えるものであるが、この簡明な原理の万能を信ずるためには、作者との直かのつきあいなぞない方が好都合である。古典の大きな魅力の一つは、作者が死にきり、したがって作品をいちばん大切な土台として、作者の姿を思い描かざるを得ない魅力である。

友だちの作品には、いつもなまなましい友だちの姿態がつきまとっている。「文は人なり」の原理は簡単には通用しないのである。ある作が、いかにも彼らしいと思えば、眼の前にある彼の行為のなまなましいままに、言わば逆に「人は文なり」の感をなす。友だちの言行は、しばしば彼の作品より鋭く強く豊かである。おそらく友情というもののする業だ。(小林秀雄「島木健作」『作家の顔』所収ーー参照:「人は文なり」の時代


続き→ 11月15日