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2013年11月28日木曜日

ヴァギナ・デンタータVagina dentata、あるいは卵と壺

What happens when a normal man, that is, a man who wants immediate sex, runs into a female version of the same thing, a woman who also wants to dive into bed straightaway, anywhere and everywhere? The chances are that the man will quickly lose interest and even take flight—in this case, with his non-proverbial tail between his legs. In the context of the psychoanalytical situation, I have often seen this happen with male analysands when the apparently biologically set roles were simply reversed. It was by no means unusual for the man to complain that he felt used and even abused, reduced to an object, a vibrator. In other words, he voiced exactly the same complaint as a woman would. Men are so afraid of female desire and pleasure that they have even created a scientific term for this, 'nymphomania'. This is ultimately no more than the scientific expression of the mythology of the vagina dentata (the vagina with teeth). (Love in a Time of Loneliness  THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE  Paul Verhaeghe)


フロイトのヴァギナ・デンタータVagina dentata(「有歯膣」、あるいは「歯の生えた膣」、「歯のある膣」)をすこし調べていたら、縄文土偶の記述にめぐりあう(もっとも直接にVagina dentataへの言及はない)



再生可能な人間の死体をシク(目)アン(ある)ライクル(死体)といい、再生不可能な人間の死体をシク(目)サク(なし)ライクル(死体)というのである。目は再生の原理なのである。この風習はその後日本にもある。例えば大仏開眼の行事や、或いは選挙でダルマに目を入れる風習などの中に残っているのである。

遮光器土偶の巨大な眼窩、それは私は再生の願いを表すものであると思う。遮光器土偶は巨大な眼窩と、かたくつむった目の取り合わせによって人々を驚かせている。それを遮光器と名づけたのは、実はそれは偶然にもユーモラス比喩であるが、恐らくそこに土偶と言うものがつくられる最も深い意味が隠されていたに違いない。(縄文の神秘   梅原 猛






ピカソが魅されたのもたしかに頷ける彫像群だ。

下のものは顔がハート型をしている。ハートは心臓の象徴だと通常はされるが、キャサリン・ブラックリッジの『ヴァギナ 女性器の文化史 』によれば、次の如し。

多くの学者が指摘しているが、西洋の究極の性のシンボル、ハートは、ヴァギナを表したものにほかならない。確かに生殖器が興奮し、自分の意志で陰唇が開いた状態にあるとき、ヴァギナの見える部分の輪郭は紛れもなくハートの形をしている。

この類のことについて、ジジェクはかならず言及しているはずだと思い、検索してみると次のような発言がやはりある。

My relationship towards tulips is inherently Lynchian. I think they are disgusting. Just imagine. Aren't these some kind of, how do you call it, vagina dentata, dental vaginas threatening to swallow you? I think that flowers are something inherently disgusting. I mean, are people aware what a horrible thing these flowers are? I mean, basically it's an open invitation to all insects and bees, "Come and screw me," you know? I think that flowers should be forbidden to children.
Slavoj Žižek, Dreamboat, Thinks Flowers Are "Dental Vaginas Threatening to Swallow You"



男性が花を好まないとは限らないが、女性が「ナルシシスティック」に好むようには、好まないだろう。

リルケの詩を思い浮かべてみよう、《薔薇 の花、純粋な矛盾、おびただしい瞼の下で誰の眠りでもないその悦楽》ーー「薔薇という隠喩項は、死という抑圧物、すなわちそこでは眠りが帰属する主体が不在であるという冷酷な現実を再帰させ、しかし次の瞬間、その眠りを再び多くの者の瞳へと回収させ、そこに「悦楽」‐幻想を残していく」と樫村晴香は書くが(「ドゥルーズのどこが間違っているのか」)、抑圧されているものは「死」だけではないはずだ。


ヴァギナ・デンタータに近いものとして、ラカンの「鰐の口」を想いだしておこう。
ラカンは母親の欲望とは大きく開いたワニの口のようなものであると言っている。その中で子どもは常に恐ろしい歯が並んだあごによってかみ砕かれる不安におののいていなければならない。

漫画に恐ろしいワニの口から逃れるために、つっかえ棒をするシーンがある。ラカンはそれに倣って、このワニの恐ろしい口の中で子どもが生きるには、口の中につっかえ棒をすればよいと言う。ファルスとは実はつっかえ棒のようなもので、父親はこのファルスを持つ者である。そして父親のファルスは子供の小さいファルス(φ)ではなく、大きなファルス(Φ)である。つまり正義の騎士が万能の剣をたずさえて現れるように、父親がファルスを持って子供を助けてくれるのだ。(「ファルス」と「享楽」をめぐって

さて、いまはフロイトのいうヴァギナ・デンタータについては触れない。『性欲論三篇』などに書かれていたはずだが、あまり憶えていない。そのうち読み返したら書くかもしれない。

各地に伝説はあるようだ。

スー族のインディアンは、ラミアー伝説と同じような物語を語った。美しい魅惑的な女が若い戦士の愛を受け入れて、雪の中で契った。雪が晴れてみると、女は一人で立っていた。男は彼女の足もとで蛇にかじられ、一山の骨と化していた。
アイヌの伝承に、「昔、最上徳内が探検し発見した、メノココタンという島の住民は、全員女性で、春から秋にかけて陰部に歯が生え、冬には落ちる。最上が「下の口」を検めたところ、刀の鞘に歯形がつく程度の咬力があった」(南方熊楠)

そのほかにここにやや詳しい→ 







ここでは、以前、メモして投稿しないままにある文を、ほとんど関係がないが、以下に続ける。要するに、縄文土偶の画像をみていたら、古代キクラデス諸島の彫刻を想起したということだ。

…………


《秘訣とは卵のあの曲面ですよ。なぜなら、陶工の轆轤がまずはじめに形を仕上げていれば、見かけ倒しの部分はもうなくなっているから。》

「だから、いつでもかならず素材が話しかけるのだといえる。それに、精神に話しかけるのはほかでもない、素材を扱っている手であり、そのとき手は、素材を介して、精神に話しかけるのだ。これが芸術の、いや少なくとも造型芸術のお作法ではなかろうか。要するに、腹案が作品に先行しているらしいとはいっても、腹案と作品とのあの関係、私の名づけて工業的といっているあの関係は、諸芸術においては、もう一つの別の関係に、完全に従属している。これが腹案だったのかと悟らせてくれるのは、じつはほかでもない作品なのだ、という関係のほうが、立ちまさっているわけだ。作品を作ってみて、自分の表現したかったことに誰よりも先に教えられ、また誰より先におどろくのは、当の芸術家なのだから、この関係はずいぶん逆説的なものだ」(アラン『彫刻家との対話』杉本秀太郎訳)

アランの対話者は、アンリ・ナヴァルという今ではほとんど無名の、メダル職人から叩き上げた彫刻家で、彼はロダンの彫刻を次のように批判している、「ロダンの親指、あれはどうもいけない。親指というやつは、光線をたよりに肉付けしますから。ところが、じっさいに形を作ってゆくのは人指し指なんです」、と。

ナヴァルは素材を介して精神に働きかけるのは造型芸術だけがそうなのだろうか、たとえば音楽家は? と問う。

 「たしかにあなたのいうとおりだ」と私は答えた「彫刻よりも音楽において、あらかじめの計算が不快を与える割合が少ないなどとはいえない。それに、すばらしい歌の土台になるのは、いつのばあいにも歌い手の身体の均衡状態だ。同じ状態にとどまりつづけることはできず、しかも何か屈折運動というべきものによらずには、いつまでも同じ状態を脱することができない。屈折運動は、上首尾に起こることもあれば、しなやかさを欠くことも、ゆったりとした休息に通じることも、また盛上りの不足を埋めあわせるようにはたらくこともある。そしてじつはこれこそ、音楽と彫刻とのあいだに成り立つアナロジーの好例だ。アナロジー、つまり相似といったが、これを類似ということとけっして混同してはいけない。思想があらわれるのは、アナロジーをとらえた時なのだ。ただ私にはこんな気がするのだが、私が作家の仕事を考えようと思うなら、これよりもっともっと隠された事情に触れなければならないのではないか。なぜなら、作家もまた、彼なりのやり方でではあるが、偶然を活用して美をうみ出すすべを、じつによく心得ているし、またそんなことは詩人においてはほとんど自明のことがらだ。散文作家のことになると、私にはどうもよく分らない。とはいっても、時どき私の感知することだが、散文作家は、野獣をとらえようと待伏せしている特定の形式をにべもなくしりぞける。散文における特定の形式は、いざとなれば詩における形式よりもはるかにうまく森を叩いて野獣を狩り立てる。それが散文作家には気にくわないのだ。……」

「しかし、文筆家にとって、充実した、しかも切れ目のない形は、どこにあるのです。いったいどこに、卵の丸みがあるのです。壺のあの回転性は、どこにあるのです」

「詩の作品になら、卵の丸みは、はっきり見てとれる」と私は応じた「詩節〔ストローフ〕がそれだ。リズムがそれだ。脚韻、脚韻の一糸乱れぬ並びがそれに当る。ソネの形式は、前もって壺を用意している。壺をゆがめないで飾りをつけることができるかどうか、それが問題なのだ。大した仕事ではない。たしかに容易な仕事といってもかまわない。だがしかし、悲歌あるいは叙事詩の、あの響きのよくて、しかも少しの飾りもない形は、いったいどんな種類の形といえばよかろう。『イーリアス』というあの偉大な壺をどういえばいいだろう。まずはじめに詩があり、詩人はその表面に憤怒、死、復讐が、何度もくり返してはじまり、その都度互いにからみ合ってめぐり舞う姿を描き出したのだが。底の底までとらえることは、とてもできないことだ。とはいっても、散文にも、かならず一種の歌は聞こえる。フレーズの円環というべきかもしれないが。ただし、私にいわせるあんら、散文作家はそういう形をずたずたに切ってしまうという点で、詩人からきっぱり区別されるものだ」

彫刻家は像を判断しようと身を引いた。彼が千里のかなたへ遠ざかったような気がした。彼はこういい放った「そうだ、彼は形をずたずたに切る。だが、それこそがまさに形を連続させるひとつのやり方なのだ」(対話三)

この対話録は、『芸術論集』(諸芸術の体系)や、詩と散文の相違を問う詩と散文について」『精神と情念に関する81章』所収)の後になされたものだが、『芸術論集』などでは、《脚が悪い者だけがしつかりと見る。かうして、 散文は、正義と同様に、脚を引きずりながら進む。》やら、《散文には媚がない。耳の期待をうらぎる。散文は絶対に歌おうとはしない。あの巫女の痙攣など散文は知らない。》とされている。

『彫刻家との対話』で新しいのは、それらの著述にはみられない「卵と壺」のモチーフが繰り返し現れていることだ。

さて、ロダンに対する評価はさておき、ここで敢えてリルケの『ロダン』から引用してみよう。

詩句の中には、文字面からとび出していて、書かれたというよりは、むしろ造形されたように見える箇所があった。詩人の熱い両の手の中で融けてしまっている言葉や、言葉の群があった。浮彫の手ざわりをもった行があり、また、こみ行った頭飾のついた円柱のように、不安な思想の重荷を担っているソネットもあった。(……)彼(ロダン)はボードレールを自分の先駆者だと感じた。顔面によってはまどわされず、そこでは生命がはるかに大きく、恐怖に充ち、休息を知らないところの、身体の方を探し求めたひとりの人間をそこに感じたのであった。(高安国世訳)

ーーこの文に限れば、リルケはアランとほとんど同じようなことを言っているようにみえる。

…………



高田博厚はアランの頭像を制作している。彼は、1930年頃から27年ほどパリに暮らし、ロマン・ロランやコクトーなどとも交遊があり、あるいは加藤周一、森有正、朝吹登水子などのエッセイにしばしば出てくる。娘は田村隆一の元夫人。若い頃、自伝『分水嶺』を熱心に読み、少し無理をして高田博厚のブロンズ製の女のマスクを手に入れたことがある。ごく小さなものなのでそれほど高価ではなかった。学生生活の仕送り三ヶ月分程度だ。リルケの『ロダン』にいかれていた頃だった。もっとも「ロダンの親指、あれはどうもいけない」なら、高田博厚の親指はもっといけない。


『彫刻家との対話』に戻れば、次のようにある。

すでに指摘したように、芸術家が自分の精神をとりとめのない観念遊戯に忙殺させておき、製作中の作品について先走って考えるゆとりを自分で封じておくのは、これはなかなか巧妙な策略なのである。そしてこの点にういて私は独りごちたのだが、芸術家たちに時として見かけるあの強烈な情念のあらわれは、普通そう思われているよりもはるかに彼らの芸術とは無関係なものにちがいないのだ。あの愛欲の気苦労が心を占めているからこそ、身についた手仕事に即して手が思うさま活動するのである。それに考えてみればなるほど、恋敵の死について思いめぐらすほうが、大理石の表現について瞑想するよりもずっと好ましい。そんな瞑想をしていると、きっと大理石をはみ出る結果になるだろうから。私は乱暴なこういう考察を口に出すことは控えておいた。はじめてここに書きとめる。というのも、今ならこの考察の含む毒をほとんど一滴のこさず抜きさることができるから。意地の悪い思考は、相手をえらびはせず、芸術家だからといって手加減しはしない。それにまた反対に、美しい作品は犯罪計画を吹きとばしてしまう。こうして私の夢想の中を暗殺の刃をにぎった人かげが通りすぎるのを見送ってから、じつはその人かげは兄弟かと思うほどわが彫刻家とよく似ていた……。(対話三)

芸術の受け手が、芸術家の伝記やら、その作品以外の私事によって、評価をしてしまうことを戒める文としても読めるだろうし、作品の作り手が、芸術家が美とはなにか、とか、その表現のあり方に「瞑想する」振舞いへの警告とも読める。そんな暇があるなら、表現の素材に沈潜し、その素材との戯れの只中から僥倖のように「表現」をもたらすことに努めよ、とも読める。

同時代人の、アランと親しいヴァレリーの文を挿入するならば次の如し。

……私にとっては、或る人間について重要に思われることは彼の生涯における偶発的な諸事件ではなく、彼の生れとか、彼の恋愛事件とか、種々の不幸とか、その他、彼について実地に観察することができる事実の殆どすべては、私には何の役にも立たない。すなわちそれらの事実は、或る人間にその真価を与え、彼と彼以外のあらゆる人間との、また彼と私との決定的な相違を生ぜしめている事柄について、私に何事をも教えてはくれない。

そして私としてもしばしば、この種類の、我々の認識を実質的には少しも深めはしない生活上の消息について、相当な好奇心を抱くことがあるのだが、私の興味を惹く事柄が必ずしも私にとって重要なものであるとは限らないのであって、これは私だけでなく、だれの場合にしても同じことが言える。要するに、我々は、我々を面白がらせることに対して常に警戒していなければならない。(ヴァレリー『ドガ・ダンス・デッサン』 吉田健一訳)

『彫刻家との対話』にはヴァレリーも登場する。

ある日のこと、さながら地獄界に降るようにしてアトリエの階段をきたのは、あの「詩人」だった。いつも何か怒ったような顔をしている彼だ。しかし不機嫌はたちまちほぐれ、彼はにこやかになった。( ……)

こうするうちに、自分の技倆に深くたのむところのある詩人は、詩作というあの長期労働を引き合いに出した。必要なのは、辛抱づよさということだ。不成功におわることがいくらでもあるということ、半成功は不成功よりなおはるかに危険なものだということ、彼はそういった点を説明してくれた。「まさに一歩ごとに、あの何ひとつ書かれていない丸い表面をふり返らねばならない。そうしてあの表面にぴっちり貼りついているような装飾の軌跡を作り出すことは、まずむつかしい。だからこそ、厳密な定型詩でなければ、仕事というものも案出というものも、私には考えられない。定型詩というものを、私は海のあの水位というものにたとえたい。海水は諸大陸のあいだをめぐり、諸海洋を区分しているのに、海の水位は、何物とも一致しない。しかも水位がすべてを決定している。規則に寸分たがわぬ定型詩などというものは、一行たりともありはしないのだ。しかし規則というものは、あの切れ目なく、また歪めようもない海の表面にもひとしい。その表面にわれわれがちっぽけな山々を、つまり語というものになった第二の素材を肉付けするわけだ。それにまた、何もかも詩によって言いつくされるわけでもない。というのも、あの上塗りが、何か意味をおびぬことには、詩にはならないのだから。必要なのは、ただ辛抱づよさだけだ、そう痛感したことが私には何度もあった。しかも、そう痛感したのは、きまって自分に辛抱が掛けているときだった」


ーーー古代キクラデス諸島の彫刻Cycladic Sculptures

キクラデス彫刻の頭だけのレプリカが、いま手もとにある。かつてルーヴルで手に入れたものだが、卵にみえもし、亀頭にもみえる。

さて「対話二」にはこうもある。

休憩時間に、シャルトル大寺院の彫像、エーゲのギリシア人の彫刻、中国の仏像の写真をながめていた彫刻家がいう。

「これらには、どこかに共通したところがあります。卵型、壺の丸み、これが共通点です。面のどの起伏も、どの凹みも、すべてあの偉大な法則に服従しているでしょう。ところが、そうだからこそ、何か表情が出ている。表情、そういっていいでしょうね。ただし、何も表現していない表情。そういえますね」

「そういっていい」と私は答えた「いや、そういわねばならない。というのも、言語で説明できそうな感情を彫刻が表現しているとき、われわれは彫刻の外にいるわけだから。それでは完全にレトリックの分野に出て、調子のいいことをしゃべっているだけのことになる。だから私としてはこういいたいと思うのだが、ほんとうの彫刻というものは、ある存在の形体以外のいかなるものも絶対に表現していない。存在の形体、つまり存在のもっとも深い内部という意味だよ。そういう深みから、存在の形はうみ出されて来るし、また奇型の形成を拒否しつつこの世に押し出されもしたのだから」


言葉遣いの古臭い箇所はあるだろう、いまひとは「深い内部」という表現は避けるようになって来ている。「どこか深いところから根源的な声が呼びかける」、などという、ヘルダーリンやリルケ的な表現に胡散臭さを感じてしまうようになっている。ーー「もっとも深い内部」とは実は表面だというのが二〇世紀後半以降の語り口だ。

《表面》について考えながら、たとえば表面とその派生的な表現について、表面、表面的、表面化する……。

あるいはまた次のような事実について。
表面的、いいかえれば表面であるというこの単純な事実がなぜ、同時に貶しめられた意味を、少なくとも暗黙のうちに、つねにになわされてこなければならなかったのか。(……)

だが表面とはなにか。それは存在のあらゆるカテゴリーをのがれるなにものかではないだろうか。表面は存在論の文脈から抜け落ちる、それは、表面が、ほとんど定義によって、存在論の対象となりえないからだ。表面は厚みをもたず、どんな背後にも送りとどけず(なぜならその背後もまた表面)、あらゆる深さをはぐらかす―そのとき、ひとは軽蔑をこめて表面的と形容するだろう。

深さのない表面、決して背後に送りとどけることのない表面。《われわれは表面をどこまでも滑ってゆく―横へ横へ、さもなければ上へ、あるいは下へ、それとも斜めに? だが、決して奥へ、あるいは底へではなく……》あるいはチェス。いうまでもなく、『鏡の国のアリス』はチェスの問題として構成されているのだ。(宮川淳『紙片と眼差とのあいだに』より )

もっともこれは、いまここにはない失われた風景としての「深さ」がロマンティックに探求され過ぎ、そのため平板でのっぺらぼうな「表面」への侮蔑、無関心、盲目がそこらじゅうに蔓延っていたことの批判という文脈でも読む必要があり、いまでは、そこらじゅうにプラスチックのような表面的魂が蝟集しているさまに辟易せざるをえないならば、「深さ」という死語をもういちど復活させたいと願うひとびとがいてもおかしくない。




リルケには、「深く」という語を使いつつも、「きわめて変化に富んだ傾斜を持つ一種独特なこの表面」という表現がある。

……作品はロダンの手を離れると、全くまだ一度も人の手をふれたことのないもののようです。光と影はこの物の上では、もぎたての果実の上でのように、いっそうのやわらかさを持ち、朝風にはこばれて来たようにいっそうの動きに充ちているのです。(……)

或るところでは光はゆるやかに流れているかと思うと、或るところでは滝のように落ちており、あるいは浅く、あるいは深く、あるいは鏡のように輝くかと思えば、またにぶく淀んでいる、--きわめて変化に富んだ傾斜を持つ一種独特なこの表面によって、そういうふうに光が動きを余儀なくさせられるのです。こういう作品の一つにふれる光は、もはやただの光でいることができません、もはや偶然の方向を持つことはできないのです。物が光を所有することになり、自分のもののように使うことになるのです。

明確に決定された表面を持つことから、こういうふうに光を獲得し、わがものとすることを、彫刻的事物の本質的な性質の一つとしてロダンは再認したのです。(……)ロダンは光の獲得を自分の発展の一部とすることによって、太古からの伝統の中へ身を置いたのでした。

実際そこには、リュクサンブール美術館にある『思い』とよばれる、あの石塊の上のうつむいた顔のように、自分自身の光を持った石があります。この顔は影になるまで前に傾いて、石の白い微光の上にささえられていますが、この石の輝きのために影は融け去り、一種の透明なうすら明かりへと移って行くのです。(リルケ『ロダン』高安国世訳)

ところで卵と壺の顕揚ーーでは、針金のようなジャコメッティの作品をなんといえばよいのだろう。だが、ジャコメッティは古代エジプト美術に魅了されていたことを忘れてはならない。





ロダンの彫刻が光をわがものとするのであれば、ジャコメッティの作品は空間をわがものとする言い方ができるのではないか。あるいはそのまわりを流れる空気の質を変えてしまうもの、と。ゴッホがデッサンについて語る言葉を援用すれば、《目には見えない鉄の壁を貫いてひとつの通路を開く》やり方。





デッサンするとはどういうことなのか? どうやってそれをやり遂げるのか? それは目には見えない鉄の壁を貫いてひとつの通路を開くという行為であり、その壁は人が感じることとなし得ることの間にあるらしい。いかにしてこの壁を通り抜けなければならないのか? というのもそれを強く叩いても何の役にもたたないし、私の考えではこの壁をじょじょに浸蝕し、ヤスリを使って、ゆっくりと、辛抱強く、それを通り抜けなければならないからである。(ゴッホ-ーー「鈴木創士の部屋」より)





…………


《昭和十六年の夏、私は出征することになった。リルケの《ロダン》と万葉集と《花樫》がとぼしい私の持物だ。》(吉岡実「死児」という絵〔増補 版〕)

こうあるように吉岡実の、少なくとも若年期の「私の一冊」は、リルケ「ロダン」だったようだ。

リルケの詩よりもこの著書に惹かれたらしいが、たとえば詩人としては遅咲きと言えるかもしれない吉岡実の比較的若い頃の詩には、リルケの詩の影響だって十分に窺われる。(『静物』は第二詩集で、36歳のとき私家版二百部が刊行されている。とはいっても十年間ほど書き溜めたものらしい)。


果実  リルケ

それは地中から実りを目ざしてのぼりにのぼった。
そして静かな幹に黙りこみ
あざやかな開花とともに炎となって
そしてふたたび静かになった。

ひと夏のあいだ夜も昼も
やすみなくいそしむ樹木のなかで成熟し
みまもりつづける周囲にむかって
やがて殺到するわが身をさとった。

そしていまやまるまるした楕円の
ふくらみを見せ円熟を誇ると
それはすべてを断念し果皮のうちの
自らの中心にすべりおちてゆく。

――(神子博昭「詩の暗さーーヘルダーリン、リルケ、ツェラン」より)



静物    吉岡実

夜の器の硬い面の内で
鮮やかさを増してくる
秋のくだもの
りんごや梨やぶどうの類
それぞれは
かさなったままの姿勢で
眠りへ
ひとつの諧調へ
大いなる音楽へと沿うてゆく
めいめいの最も深いところへ至り
核はおもむろによこたわる
そのまわりを
めぐる豊かな腐爛の時間
いま死者の歯のまえで
石のように発しない
それらのくだものの類は
いよいよ重みを加える
深い器のなかで
この夜の仮象の裡で
ときに
大きくかたむく


ある人は、わたしの詩を絵画性がある、または彫刻的であるという。それでわたしはよいと思う。もともとわたしは彫刻家への夢があったから、造型への願望はつよいのである。

詩は感情の吐露、自然への同化に向かって、水が低きにつくように、ながれてはならないのである。それは、見えるもの、手にふれられるもの、重量があり、空間を占めるもの、実在―――を意図してきたからである。だから形態は単純に見えるにしても、多岐な時間の回路をもつ内面構成が必然的に要求される。能動的に連繋させながら、予知できぬ断絶をくりかえす複雑さが表面張力をつくる。

だからわたしたちはピカソの女の顔のように、あらゆるものを同時に見る複眼をもつことが必要だ。中心とはまさに一点だけれども、いくつもの支点をつくり複数の中心を移動させて、詩の増殖と回転を計るのだ。暗示・暗示、ぼやけた光源から美しい影が投射されて、小宇宙が拡がる。(吉岡実「わたしの作詩法?」より)

もっともその詩が、真に彫刻的となったのは、「僧侶」以降だろう。