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2014年1月25日土曜日

西脇順三郎の行分け

《行分けだけを頼りに書きつづけて四十年/おまえはいったい誰なんだと問われたら詩人と答えるのがいちばん安心/というのも妙なものだ》(谷川俊太郎「世間知ラズ」)

散文詩と詩、特に自由詩とはどうちがうのか。日本語現代詩を諧謔的に「改行された散文詩」という人がいる。しかし、私見によれば、改行には意味がある。まず、改行は一拍子あるいはそれ以上の休止を意味する。次に改行のたびに音はリズムもアリテラシオン(頭韻)もアソナンス(母音の響き合い)も質を変えてよい。意味も跳躍を許される。すなわち、改行は詩に転調、変調、飛躍、回帰を許す。そして、改行は朗読を、ゆるやかにであるが、指示する。特に、長い一行は早く、短い一行はゆっくりという読み方を促す。

しかし、散文詩は違う。定義からして基本的に一パラグラフが一行の詩と私はみなす。

もちろん、散文詩は詩としての肉体を持たないわけではない。実際、訳出の上で、原文を筆写し、音読を繰り返すことが突破口を開いた力の一つである。しかし、詩の訳出が軽い憑依状態であるとすれば、散文詩の訳出は数式を解くのに近いクールな快感を伴う営みであった。(ヴァレリー「散文詩九編」後記 中井久夫)

西脇順三郎の詩は助詞や副詞が行末にきたり行頭にきたりする。それはおそらく上に中井久夫が書いているようなことにかかわるのだろう。

しかし微妙でわからない箇所もある。おそらくすでに研究者の方がなんらかのことを書いているのだろう。いやもっとも基本的なことで、わからないのは詩に不案内なわたくしの鈍感さのせいなのか。

たとえば、西脇順三郎の「粘土」には、《槇の生垣の中でおなかの大きくなつた女/舌をつき出してヘラヘラと笑つた》と《それから生きのこつたツユ草のコバルト色/土人の染料を思わせる》と「が」の位置が行末と行頭にくる詩行が混在する。

前者の一行目は槇の生垣の中でおなかの大きくなつた女」としてほうが一行としての完成度は高い。だが「が舌をつき出してヘラヘラと笑つた」とするとその行は魅力は激減する。

後者は「それから」と冒頭にあるので、「が」を次の行に移したのか。「それから生きのこつたツユ草のコバルト色」とすると、かなりうるさい詩行となる。次の行は「土人の染料を思わせる」としたほうがこの行だけ読めばより生きるが、二つの行両方の美感の選択で後の行頭に「が」がつくようになったのだろうと推測する。

これはもちろん西脇順三郎の詩だけではない。だが体言止めで一行が終わり、そこで一拍子の息をついたあと、つぎの「が」や「を」、「の」などが来たときのハッとする快さは、わたくしの場合、西脇の詩からもっとも強く感じる。

他の詩人のものであるならば、たとえば冒頭に掲げた谷川俊太郎の詩句、《おまえはいったい誰なんだと問われたら詩人と答えるのがいちばん安心/というのも妙なものだ》--ここにある「……いちばん安心」での束の間の休息のあと、《というのも》と続くというのが、詩の醍醐味のひとつだろう。これはもちろん「音楽」の醍醐味でもあるのであって、ただし作曲家や演奏者によってそれを多く味あわせてくれるものとそうでないものがあり、それがわたくしの好みの分かれ目になることが多い。

もっともこれらは西脇順三郎の詩のある時期からの「自在さ」、その融通無碍といえばすむことであるのかもしれない。

《頭に浮んだイメージ、よみがえってきた記憶の切れはし、その瞬間にたまたま聞えてきた会話の断片》などが混淆して進みゆく詩行、《何か滔ゝと流れてゆく豊かな言葉の流れ、豊かなイメージの流れ》(松浦寿輝)、--その流れに身をゆだねて、快楽を味わえばよいのだろう。


…………

粘土  西脇順三郎 

われわれはもう何も考えないのだ
十月の初め三人の男が
洋服をきて下総の
湖水地方を歩いた
トネ河とツクバを左にみて
きのこの出る丘陵の腹に巣をくつている部落
から部落とつたつて
アリストテレスの話をしながら
歩いたのだ
農家の庭をのぞいて道を
きくと役所のあんちやん
だと思つたのか眼をほそくしてこわがつた
「どぶろくをつくつてはいけませんぞ」と
いうような言葉をラテン語で考えてみた
槇の生垣の中でおなかの大きくなつた女が
舌をつき出してヘラヘラと笑つた
やせこけた狐色の犬が向うをむいてほえた
それから生きのこつたツユ草のコバルト色
が土人の染料を思わせる
桃色のアザミの花がほんのりとしている
もはやわれわれは金銭以外のことは
考えない
和同開珍の地金で造つたような
異様なものがころびそうな
あみだ堂の柱にかかつていた
それを如何にしてぬすめるかその方法を
思つてみると合法的に不可能な夢
どの部落もはいつて行くと
この世にも珍しい香りにむせんだ
「見よこの人を」空をみあがるとキンモクセイの黒い
大木が老人のように立つている
田園の憂鬱の源泉
サボテンのメキシコの憂鬱
ウパニシャッドの中へ香水をたらしたようだ
われわれは海豹のように鼻をあげて
のそのそ歩いて行つた
どこへ行くのだと読者は思うだろうが
われわれは三つの部落を通りぬけて
粘土の山の上にある部落へ行くのだ
特に関東最大なタランボウの木のある家
へ行くのだ
アテネの女神のような髪を結つたそこの
おかみさんがすつぱい甘酒とミョウガの
煮つけをして待つているのだ
ピカソならこの家のポムプにはさすがに
よろこぶのだ
また数丈の粘土の中から鉄管が
石灰の白い水を汲みあげる
コップをすかしてみよ天然のどぶろく
なぜわれわれはこゝへ来たのか
俗人の好奇心はうるさい
疎開していた三馬と豊国と伊勢物語と
ニイチエの全集とメーテルリンクの蜜蜂の生活
をとりに来たのだ
カヤの大木が鷲の巣と一緒に
雷にやられていた
あたりが明るくなつていた
戦時と違つてわれわれはもはや
カヤの木はそれ程憧れない
天使の頭がじやまになつて少しも
天国がみえない
柿と栗を土産にもらつて帰るのだ
江戸の町人の神話の源泉もこの粘土からだ。
「また来んべ」

ーー 『近代の寓話』所収

…………

ここで、現代日本の詩に特有のことかもしれないが、押韻や定型を云々する以前に、詩は音読されねばならないかどうかが問題である。詩は必ずしも音読する必要はないかもしれない。これは、その人がどういう感覚によって詩を作りあるいは味わっているかという問題があって、当否で答える問題ではないと思う。ここで、音読とは、聴覚だけの問題ではないことを言っておくにとどめよう。たとえば、舌と喉頭の筋肉感覚があり、口腔の触覚を始めとする綜合感覚もある。私は、リッツォスの「三幅対」の第三において「接吻の直後にその余韻を舌を動かしながら味わっているひとの口腔感覚」を、音読する者の口腔に再現しようとしたことがある。


きみの舌の裏には、カレイの稚魚がいる。
ブドウの種がある。桃の繊維がある。
きみの睫毛の投げかける影には
暖かい南国がある……

(リッツォス『括弧Ⅰ』「三幅対」三「このままではいけない?」)


もし、音読を詩の必要条件の一つとするならば、いや、詩は時に読まれるべきものだとするなら、改行とは音読をガイドする働きを持っているかもしれないという仮説が生まれる。私は、改行とは、第一に、読む速度をそれとなく規定するものであると考える。長い行ほど早口で読むようにと自然に人を誘導すると私は思う。

視覚的言語が二つの要請を音声に与える。一シラブル(正確には一モーラ)をほぼ同じ速度で読ませようとする「文字」と、一行全体がほぼ同じ時間内に読まれる権利を主張する「行」とのせめぎあいである。これはシラブル数が不定な詩においては特に著しい。その結果として、読後の緩急が決ってくる。この緩急は、行の末端が作り出す上り下りによって、読者にあらかじめ示唆されている。
(……)

私の訳詩は思い入れをこめた緩急な朗読を予想していない。私は、現代日本語の美の可能性の一つは、速い速度で読まれることによる、母音と母音、子音と子音、あるいは母音と子音の響き合いにあるのではないかと思っている。(……)日本語のやや湿った母音は単独ではさほど美しくなくとも、その融け合いと響き合いとが素晴らしい美を醸成することを、私は信じている。
(……)

私は、詩の読まれる速さが、単純に一行の字数で決まるといっているのではない。まず、わが国においては、詩のたいていは漢字かな混じり文である。複雑な漢字は、その存在そのものが一字で二音以上である可能性を示唆し、読む者に、ゆるやかに読もうという姿勢を取らせる。また、漢字の多い行は、当然短くなる。これも、短い行はゆるやかに、という示唆のために、ゆるやかに読む姿勢を強化するだろう。

(中井久夫「詩の音読可能な翻訳について」『精神科医がものを書くとき Ⅱ』広栄社 所収)

…………

次は中井久夫が『日時計の影』の「あとがき」で謙遜して次のように書く、すなわち《…拙い翻訳ながら、私の訳詩の中では最良のものかと、ひそかに思っている。翻訳をしながら、また読み返しながら、涙がごみあげてきたのは、他にも絶無ではないが、訳者を泣かせるパワーがいちばん大きかったのはこの詩である》とするエリティスの長詩(一から十四節まであるが、ここでは冒頭と五だけ)を抜き出す。

…………


アルバニア戦線に倒れた少尉にささげる英雄詩

オディッセアス・エリティス  中井久夫訳


太陽が初めて腰をおろしたところ、
時が処女の瞳のように開いたところ、
風がハタンキョウの花びらを雪と散らしたところ、
騎兵が草の葉を白く光らせて駆け抜けていったところ、

端正なスズカケの樹冠がしなうところ、
高く掲げた長旗がはためいて、水と地とに尾を揺らすところ、
砲身の重さに背が曲がるのではなく、空の重みに、世界の重みに背がしなうのである。

世界は光る、きらりと、
朝まだき露の滴が山裾の野に光るように。

今、影が伸びる、神のため息のように、長く、いっそう長く。

今、苦悶が総身に覆いかぶさり、
骨の浮いた手が、花を摘んでは握りつぶす、一本 また一本と。
水無瀬の河の涸れ谷に憂いのみ多くして、歌は死に、声は絶え、
居並ぶ岩の列は髪ひややかなる僧のごとく、声を殺して
たたなわる原野を横ざまに切る。

身も心もこごえる冬。不運に不意を打たれる予感。
猪背〔ししせ〕の虚国〔むなくに〕の山並のたてがみ。

空の高みに禿鷹は舞う、高く高く、空の小さなパン屑を取り合って。



太陽よ、太陽は万能ではなかったか?
鳥よ、鳥は絶えず動いてやまない喜びの瞬間ではなかったか?
かがやきよ、かがやきは雲の大胆ではなかったか?
庭よ、庭は花の泰楽堂ではなかったか?
暗い根よ、根は泰山木を吹くフルートではなかったか?

雨の中で一もとの樹がふるえる時、
魂の立ち去った身体を不幸の女神が黒ずませてゆく時、
狂った者がおのれを雪で縛る時、
ふたつの眼が涙の流れにゆだねられる時、
その時、鷲は若者のゆくえを尋ねる。
鷲の子は皆、若者がどこへ行ったかときづかう。
その時、母はわが子のゆくえを尋ねて溜息をつく。
母たちは皆、その子のゆくえをきづかう。
その時、友は尋ねる、わがはらからのゆくえを。
友は皆、いちばん若いはらからのゆくえをきづかう。
指が雪に触れれば指は雪の熱さにたじろぎ、
その手に触れれば手は凍りつき、
パンを噛めばパンは血を滴らし、
空の深みを見やれば空は鉛の死の色となる。
なぜだ、なぜ、なぜなぜなぜ、死は体温を与えず、なぜ、こんな聖餐でもないパンが血を流し
なぜ、こんな鉛の空があるのだ、いつも太陽が輝いていたところに?


…………


最後に、冒頭近くに中井久夫のヴァレリー「散文詩九編」後記から引用したが、そこでは《詩の訳出が軽い憑依状態であるとすれば、散文詩の訳出は数式を解くのに近いクールな快感を伴う営み》とあった。そのヴァレリーの散文詩九編の最後のもの訳を挙げる。

眠る者の奇怪な声、その声の語り、それは思わせる、何かをしようとするのだが、身体全体は動かせても、個々の腕なり手なりは動かせない人を、――そういう人は一つの塊となり果てた身体を動かして欲する形におおまかなりとも近づこうとするが、自分の対象に到達するだけの機敏さを発揮する自由がない。

だが、睡眠者のこの無能に近づかなければならない。それは、永遠の無能力だ。あの、目醒めの時に知る無能力感、(たとえば)私たちに憑きまとう観念に到達できないという無力感だ。私たちの精神的四肢(てあし)はぎこちなさすぎて、そういう観念を捕捉できない。思出はなかなか精確にならない。苦悩はやすやすと分析による根本的解消ができない。理想、美しい詩、数学の解にはおいそれと近づけない。

だから、内側に秘められた意志は、手段がかくも貧しく、対象への適用がかくも難しく、間接かつ無効な作業がごく当たり前なのだ。目標は完璧に明白、素材は私の中にあるのに、私のもっとも強烈な欲望にさえ、素材をそれに従わせる行為が全然存在しない。偶然の機会でよしとし、特別ツイている一夜にすべてを委ね、時間が経ち、忘却が訪れるのを頼みにせねばならぬとは……。厳密な修正は、それ一つ行うにも世界中の事物の総体を勘定に入れねばならないーー、修正のために材料は全部あそこにあるというのに。(ヴァレリー『カイエ』ⅤⅡ 7以下1918 中井久夫訳)