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2014年2月9日日曜日

マンゴーの花

灌漑用水路のまっすぐな流れだって
水が流れていくのを眺めるのはよいものだ
「二十年ほど前は
まだコンクリートの堤防
を作らない人間がいた。
あのすさんだかたまったシャヴァンヌの風景があった。」(西脇順三郎)
息子と石切り遊びをした
用水路は向う岸の藪まで三十米はある
橋の上流もすこし下流もコンクリートの堤防
なのにこの一キロほどは今も地肌のまま
果樹園がかたまってある地域だからか




マンゴーの花が匂う
シナモンのような香

庭の十本ほどのマンゴーの樹は
すべて切り倒してしまった
のは妻がマンゴーにかぶれるからだ
樹には赤蟻が大量につき
ウルシオールに似たマンゴールを運ぶ
物干竿や紐を伝わって
日干しのシャツやジーンズにもぐりこむ
この赤蟻に噛まれるとひどく痛い
蟻を殺虫剤で処理してしまえば
果実のつきが極端に悪くなる
未受精の処女の花の使者





海辺のホテルのシナモンの香
をふくませたタオルで
顔を拭ったらみるみる赤くなった
休暇が一日台なしになった
田舎育ちにもかかわらず
妻はマンゴーシナモン中毒
樹木や花には未練はないが
花のにおいには未練がある


もっとも花時にはバイクを小径に走らせれば
家々の庭木のマンゴーの花のにおいに包まれる

「どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる」
この茨木のり子の「六月」は一連目のほうがもっといい
「どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
鍬を立てかけ 籠をおき
男も女も大きなジョッキをかたむける」

しきりにすすめられるままに、私は今にも崩れそうなその実の一つを恐々手のひらの上に載せてみた。円錐形の、尻の尖った大きな柿であるが、真っ赤に熟し切って半透明になった果実は、あたかもゴムの袋のごとく膨らんでぶくぶくしながら、日に透かすと琅玕の珠のように美しい。(……)
私はしばらく手の上にある一顆の露の玉に見入った。そして自分の手のひらの中に、この山間の霊気と日光とが凝り固まった気がした。(……)
津村も私も、歯ぐきから腹の底へ沁み通る冷たさを喜びつつ甘い粘っこい柿の実を貪るように二つまで食べた、私は自分の口腔に吉野の秋を一杯頬張った。思うに仏典中にある菴摩羅果もこれほど美味ではなかったかも知れない(谷崎潤一郎『吉野葛』)

と美濃柿の熟柿を愛でる谷崎の文の
仏典中の菴摩羅果〔あんもらか〕とはマンゴーのことだが
季節には安価にふんだんと手に入り
マンゴーかぶれの細君もぱくぱく食べる
熟す前の青い実さえ細切りにして食べる
魚醤で煮つけた魚に付合わせる
当初は珍しかったそれも
刺身のつまの大根の千切り
と今ではあまり変わらない