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2014年2月18日火曜日

再・読とは傑作ねえ! 何よ! そんなもの、とんでもない

……カンブルメール夫人が、「再読すべきだわ、ショーペンハウアーが音楽について述べていることを」といっているのを耳にはさむと、彼女ははげしい口調でこう言いながらその文句に私たちの注意をうながした「再・読とは傑作ねえ! 何よ! そんなもの、とんでもない、だまそうとしたってだめなの、私たちを」老アルボンはゲルマントの才気の形式の一つを認めてにっこりした。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳 文庫 P532)

三度は再読してますだって?
念入りに読んでいますだって?
「何よ! そんなもの、とんでもない、だまそうとしたってだめなの」
五六度再読したら己れが読めてないことに気づくかもな
まだそこまでいってないんだな
オレはフロイトの好みの論文
たとえば『快感原則の彼岸』とか『文化への不満』は
十度は読んでいるがね
たいして長いものではないけどさ
読めば読むほどわからない処がふえるなあ
ところでまさか
あれらの書が哲学じゃないなんて言わないだろうな?

フロイトのあらゆるテクストのうちで、傑出した書物たる『快感原則の彼岸』は、おそらくこれこそ哲学的と呼ぶほかない考察のうちに、最も直線的に、しかも驚くべき才能をもって、透徹せる視線を注いだテキストであるに違いない。(ドゥルーズ『マゾッホとサド』蓮實重彦訳)

それに翻訳者たちをみてみたらいい
テクストを骨までしゃぶる作業だよな翻訳は。
彼らがテクストをことごとく理解しているかい?

結局誰にせよ、何事からも、従って書物からも、自分がすでに知っている以上のものを聞き出すことはできないのだ。体験上理解できないものに対しては、人は聞く耳をもたないのだ。ひとつの極端な場合を考えてみよう。ある書物が、人がたびたび経験することができないばかりか、ほんの稀にも経験できないような体験ばかりを語っているとするーーつまり、その書物が、一連の新しい経験を言い表わす最初の言葉であるとする。この場合には、全く何も耳にきこえない。そして何もきこえないところには何も存在しない、という聴覚上の錯覚が起こるのである。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)


アランはアリストテレスを十八回読破したと自ら言う
トルストイの『戦争と平和』を十回以上
『谷間の百合』、『パルムの僧院』、『赤と黒』に至っては
実に五十回以上も読み返したと
それであってもアランがすべてを理解しているわけじゃない

私はバルザックのために戦ってきた。時どきこんな人にお目にかかるのだが、『谷間のユリ』は実にたいくつだ、ということを私に証明するせっかちな読者がある。ところが私には、あの作品が『イリアッド』ないし『ハムレット』にもひけをとらぬことの証明ができない。じつは私はそう心得ているのだが。しかし、そういう読者に対して、あなたは読まないで話していますね、ということならいつでも証明できる。私は崇高なくだりをいくつか挙げてみるが、彼はそういう箇所に気づいていさえいないのである。(アラン『プロポ』「読者のつとめ」杉本秀太郎訳)

まあそこまで言うまい
忙しい「現代」なんだから
でも書物でも芸術作品でも
自分の器量を超えた部分は
ないも同然だってことだよ
うぬぼれちゃいけない

フランスの詩人ポール・ヴァレリーは、私の人生の中でいちばん付き合いの長い人である。もちろん、一八七一年生まれの彼は一九四五年七月二十日に胃癌で世を去っており、一八七五年生まれの祖父の命日は一九四五年七月二十二日で、二日の違いである。私にとって、ヴァレリーは時々、祖父のような人になり、祖父に尋ねるように「ヴァレリー先生、あなたならここはどう考えますか」と私の中のヴァレリーに問うことがあった。医師となってからは遠ざかっていたが、君野隆久氏という方が、私の『若きパルク/魅惑』についての長文の対話体書評(『ことばで織られた都市』三元社  2008年、プレオリジナルは1997年)において、私の精神医学は私によるヴァレリー詩の訳と同じ方法で作られていると指摘し、精神医学の著作と訳詩やエッセイとは一つながりであるという意味のことを言っておられる。当たっているかもしれない。ヴァレリーは私の十六歳、精神医学は三十二歳からのお付き合いで、ヴァレリーのほうが一六年早い。ただ、同じヴァレリーでもラカンへの影響とは大いに違っていると思う。ヴァレリーの『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』にあるように、それぞれ自分の器量を超えた部分は、いかにも、ないも同然である。(中井久夫「ヴァレリーと私」)

《ヴァレリー詩には独特の奇妙な毒が確かにあると私は感じている。それはしばしば行間から立ちのぼって、私の手を休めさせずにはおかなかった。時には作業は何日も停滞するのであった》

ーーこう書く中井久夫だが、テクストの毒を感じるようにならなくちゃな

中井久夫にも「毒」のようなものがある
エラッソウニ! だね
《威張っている人なんかは、今度は怖くないぞということでこうやってますなあ》(「「身体の多重性」をめぐる対談」--鷲田清一とともに」)

ほんとうかどうか、医学界のボスには、誤字訂正をしても激怒するのがあるそうで、こういう手合いを相手にしていると、編集者もたまらないであろう。私も面白くないので、医学系出版界とは積極的に関係を持たない方針である。(中井久夫「執筆過程の生理学」『家族の深淵』1995

ふとしたはずみでかつての「楡林達夫」の
《執拗な反抗を止めない微かに慄える怒り》が行間から立ちのぼる
同じ業界の「学者面」した連中に対してだけではないが。

現地は精神科医はもう間に合っているようだということを厚生省の現地本部は中央へ報告しているが、これは人間の疲労度を知らない話である。最初の三日間というのは大体食料補給無しで頑張ってるが、被災地で自己激励してやれるのは三日であり、三日以後になると過剰な自己激励で躁状態になり、ついには躁病になり急に鬱に転じて自殺した人も残念ながらいないわけではない。だいたい三日経つと視野狭窄が起こり、とにかく目の前の仕事をやるというふうになってくる。それで頑張れるのが七日で、七日目になるとやはり士気の低下が目立ってくる。

私はこの時に九州の大学にとにかく緊急に来てくれと要請した。どうして九州かというと、九州人というのはこういう時、理屈をいわないであろう、助けてくれといって断らないだろうというのが私の読みであった。おそらく東京だと大会議を開くのではないかと思った。これはたいへん失礼な推測だがやはりそうであった

九州は「二時間後に送る」「一切の費用は自己負担でやる」「費用は君達に心配かけない」と言ってきた。このことの最大の効果は、とにかく援軍が来る、そう聞くと残ったスタミナを安心して使い果たせるのである。(中井久夫「災害がほんとうに襲った時」)

中井久夫の精神科医の自己規定は
傭兵と売春婦だった
そしてそのモデルは神谷美恵子さんだったのだろう

中井久夫の神谷美恵子賛には
《いかに献身的な医師も、どこか「いつわりのへりくだり」がある。ある高みから患者のところまでおりて行って“やっている”という感覚である。》
とあり、だが神谷さんは違うと書かれることになる

エラッソウニ! を「毒」というべきか
熱さ、情熱、闘争の意思といおう
それ以外は?
さあね

《晩年のゲーテは『ファウスト』を決してドイツ語では読まなかった。読んだのはもっぱらネルヴァルのフランス散文詩訳である。おそらく、おのれの書いた原文の迫るなまなましさから距離を置きたくもあり、翻訳による快い違和感を面白がりもしていたのであろう。》(中井久夫「訳詩の生理学」)

ーー自らの作品にだってこういうことがあるらしい

すでに出版された自著への態度は人によって非常に異なるようである。私は普通、改訂はしない。読み返すこともほとんどない。書店に入っても著書が並んでいる本棚の前は避けて通ってしまう。私にはまだ手にとって火傷するほど「熱い」のである。

翻訳の場合にはこの過敏症はない。特に訳詩となると、これは少し間を置けば何度読み返しても飽きないし、少しずつ訂正してしまう。書店に並んでいるとほっとしてその書店を祝福したくなる。これはおそらく私が翻訳という安全な隠れ蓑を着て私の著作家としてのナルシシズムを安全無害に放電しているのであろう。もし私の詩集という実在しないものが書店に並べば私はその前をとおりにくいのは他の著作以上だろう。 (中井久夫「執筆過程の生理学」)

(ここだけ私の医師に顔を出させてもらうが、彼はストレートであり、敢えていえばおそらくmasturbatorでもあったろう)、とヴァレリーのことを括弧つきで書く中井久夫もいる。

私が別に臨床医という仕事を持っていることは、この場合に大きな救いとなっている。専業著者であれば私は発狂しそうな気がする。しかし、臨床医であるということには大きな制約もある。私が訳詩で止まって詩を書かないのはなぜかと聞かれることがあるが、才能は別としても、もし詩を書こうとすれば、そのために、私は分裂病患者の診察の際に重要な何ものかを流用せざるをえなくなり、患者にたいへん申し訳ないことになるであろう。私は何も一般論として精神科医と詩人とが両立しないと言っているのではない。私の器量では双方が一つのうつわに収まらないという確実な感触があるというのである。》(中井久夫「執筆過程の生理学」『家族の深淵』所収)

あるいはこうもある。

もし経済的に恵まれていたならば、私はペルシャ文学などのあまり人のやらないものをやって世を送るだろうに、と大学進学のときに思った。ある外国の詩人の研究家になろうかと思ったこともある。この二つの思いは時々戻ってきた。しかし五十歳を過ぎてから、私はかなり珍しい文学の翻訳と注釈を出し、また、例の詩人の代表作を翻訳してしまった。さすがにこれが出版されたとき、私(の人生)はこれ一つでもよかったくらいだ、後はもう何でもいいという気に一時はとらわれた。(中井久夫「私の死生観」(『精神科医がものを書くとき〔Ⅱ〕』広栄社 所収)

隠れた詩人だよ、どうみたってあの文体
ここで「おれの心はムクロ」を想い起こしてもよい

フランスの詩人ポール・ヴァレリーは、1894年、彼が精神病的とさえ憶測される二年間を通過した後、生涯、朝四時に独り起きだしてコーヒーを沸かし、八時まで、現在の「カイエ」と称される膨大なノートを執筆した。詩作も、この暁の純粋で孤独な時間になされた。(……)

人はいうであろう、読書が経験と相会わなければすべては虚しいと。しかし、もし相会う場所が表層であれば、それは、読者が経験を追認するという、文学消費者、つまり読者、の通常体験になるであろう。作家にいざなわれている若者も、読者として出発するのだが、経験と読書との出会いの場の少なくとも一部が、リルケが「詩人の仕事は蜜蜂のように経験の花粉を集めて蜜を作る営みである」と考えていたように、いったん言葉をこえた深層に至ることが必要条件である。「受肉」のためには意識の表層からいったん消失する必要がある。(中井久夫「「創造と癒し序説」――創作の生理学に向けて」『アリアドネからの糸』所収)

 「受肉」のためには忘れなくちゃいけない
《蜜蜂のように経験の花粉を集めて蜜を作る営み》以外にも
マルテにはつぎのようにある
……思い出を持つだけでも、まだ十分ではない。思い出が多くなれば、それを忘れることもまたできなければならない。忘れられた思い出がいつかふたたび戻ってくる日を、辛抱強く待たねばならない。なんとなれば、思い出はそれだけでは、まだ何物でもないのだ。それがぼくたちの内部で血となり、まなざしとなり、身のこなしとなり、名もないものとなって、もうぼくたち自身と見分けがつかなくなってはじめて、いつかあるきわめてまれな時刻に、ひとつの詩の最初の言葉が、それらの思い出のただなかから立ちあがって、そこから出て行くということが考えられるのだ。(リルケ『マルテの手記』)

詩人だけのことじゃないんだろうが
われわれ凡人やお勉強家の研究者には関係ないかもな
最近では読まないうちから知ったかぶりする連中ばかりだから
むしろその手合いに悪用される「忘却」にならないように心配をしなくちゃならない


ところでヴァレリーの早朝に起きる習慣ってのは
ニーチェの影響があるのかどうかは分からないが

《日のはじまる早朝、清新の気がみなぎって、自分の力も曙光と共にかがやいているのに、本を読むことーーそれをわたしは悪徳と呼ぶ!》(『このひとを見よ』)

を想いだしておこう。


《私はニーチェが言っていることを気にかけない。ニーチェが考えねばならないことに関心がある。》

ヴァレリーは、そのニーチェ言及の最初期、次のように書く。

《むさぼるように私は『曙光』の断章を読みました。ニーチェを読むときに役立つ、あのあらゆるひねくれた感情を込めながら。》(1901)

そして最晩年(死の二年前の『カイエ』、おそらくヴァレリー最後のニーチェへの言及)。

《ニーチェを読むーーニーチェ(かれはイデオロギーの分野で私のもっとも高く評価するもののひとりだが)にある詐りのものはーーかれが他者に付与する重要性――論争術、――およびいろんな理論立てを思わせるものすべてである。かれはすでに「文学史」中に席を与えられた物事をあまり眼中におきすぎる。――ソクラテスとカントを制服した「彼」が、だ。――/それから魔術的な語の『生』。しかしこれに助けを呼ぶのは安易というものだ。》

ーーという具合だ

《本を読むことーーそれをわたしは悪徳と呼ぶ!》
の個所をもうすこし長く引いておこう
つまりはただ書物を「ひっかきまわして検索する」ことだけしかない学者はーー並みの文献学者で日に訳二百冊は扱わねばなるまいーーしまいには、自分の頭でものを考える能力をまったくなくしてしまう。本をひっかきまわさなければ、考えられないのだ。彼が考えるとは、刺激(――本から読んだ思想)に返答するということーー要するにただ反応するだけなのだ。こういう学者は、すでに他人が考えたことに然りや否を言うこと、つまり批評することに、その全力を使いはたしてしまってーー彼自身はもはや考えない……自己防衛本能が、彼においては、ぐにゃぐにゃになってしまったのだ。そうでなければ、書物に抵抗するはずだ。学者――それは一種のデカタンだ。――わたしは自分の目で見て知っているが、天分あり、豊かで自由な素質をもつ人々が、三十代でもう「読書ですり切れ」、火花――つまり「思想」を発するためにはひとに擦ってもらわねばならないマッチになりさがっている。――一日のはじまる早朝、清新の気がみなぎって、自分の力も曙光と共にかがやいているのに、本を読むことーーそれをわたしは悪徳と呼ぶ!――  ――(ニーチェ『このひとを見よ』)