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2014年3月3日月曜日

あのね、

あのね、オレはあんまり同情がないの
あんた日本の若者たちの困窮状態知っているかい?
そっちの国で安楽な生活してやがって
とか言われてもね

これかい?

国立社会保障・人口問題研究所によると、20〜64歳の1人暮らしの女性の31.6%が年収125万円未満で暮らす「貧困」層とされる(2010年国民生活基礎調査を基に分析)。女性の生涯未婚率は2030年には23%に上るとも予想され、単身女性の貧困は今後より大きな社会問題になる可能性がある。(リアル30’s:選べてる?(4) 私の居場所どこかに

ほんとかねとは思うがね
95年以降は日本のことを知らないオレには
一人暮らしってのがわかんないな この年収で

いわゆる発展途上国と先進国とあいだの貧しさは
安易に比較はできないけどさ
日本の場合は逃げ場がすくないのだろうな親族とかの

米国でもこんな具合らしいからな

……貧困問題の核心は、先進国では、雇用が生み出されず、むしろ減少する傾向にあるために、労働者の立場が弱体化し、低賃金化が進行することにあるが、雇用の不足は、需要の物理的制約があるため、根本的な解決は難しいように思われる。 よく言われる、先進国は、低スキルの仕事は新興国に任せて、高スキルのクリエイティブな仕事に専念すればよい、といった意見は、人間の能力の普遍性を無視した暴論としか、私には思えないし、実際、あれだけの高度人材を揃えたアメリカでも実現していない。 

このまま、格差を拡大して、アメリカ型の社会になるのか、再分配機能を強化して、ヨーロッパ型の社会を目指すのか、日本の選択が迫られているように思われる。(アメリカの貧困問題と日本の選択 - 辻元

この最後の文は岩井克人の次の主張に共鳴する。

消費税問題は、日本経済の形を決めるビジョンの問題。北欧型=高賃金、高福祉、高生産性か。英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せずか。日本は岐路にある。(アベノミクスと日本経済の形を決めるビジョン

もしどっちつかずのあいまいな選択のままであるなら、自ずと米国型になっていくのではないか。それを避けるためには、消費税大幅増に視線をやらなければならないという主張とシミュレーションがある。


日本が設けることになるであろう最終的な消費税率は、どれだけ高いとしても 25%が限界だと思われる。それ以上となれば、日本の国民負担の大きさは明確に北欧国家グループに含まれることになるが、市場経済に対する考え方や官民の役割分担などの観点から、それを目指すことに合意が得られるとは考えにくい。他方、世界で最も高齢化していく先進国である日本において、米国型の社会保障や福祉の体系を目指すという国家像も受け入れられないだろう。日本が目指すべきは、おのずと欧州大陸主要国並みの負担と受益ということになる。改革シナリオのシミュレーション上は 2036 年度以降の消費税率を 25%と想定する。

今は詳しく引用しないが、このシミュレーションはこの140ページにあまる論のなかに書かれているように楽観的なシナリオなのだ。

ここで財政状態の悪化に伴うプレミアムの発生で長期金利が上昇する「悪い金利の上昇」は想定していない。これは、過去の経済構造に依存するマクロモデルの特性上、そうした恣意的なシナリオを予測に反映できないためである。しかし今後も財政赤字が改善しなければ、債務残高は現在よりもはるかに高い水準に達し、いつかは財政プレミアムが金利を大きく押し上げる局面を迎えるだろう。この点、本予測は実体経済の状況のみを反映した楽観的な見通しといえるかもしれない。

「悪い金利の上昇」、ーーそれは、別の観点から見たら次のようなことでもある。

大きなリスクとみているのは、デフレから脱却して景気が回復すれば、金利が上昇し、利払い負担が膨らむこと。「これまでは、デフレのもとで財政が奇妙な安定を保ってきたが、デフレから脱却して金利が上昇すると、財政の安定が崩れるというリスクがある。その際、成長率上昇による税収増と利払い費の比較になる。税収に比べて利払いが大きくなっているので、成長率が1%上がった場合、金利も1%上がると、税収増より利払い増が大きくなり、資金繰りが苦しくなる。(池尾和人ーー
アベノミクスと日本経済の形を決めるビジョン

いずれにせよ、《社会保障システムを維持し、財政破綻を回避するためには、政府支出の抑制と国民負担増が必要である》のだよな

高齢化先進国の日本の場合、老年人口指数で言えば、既に 2010 年時点で 100 人の現役世代が 35 人の高齢者を支えており、2020 年には 48 人、2050 年には 70 人を支える必要があると予想される(いずれも国連推計であり、社人研推計ではより厳しい)
賃金対比でみた給付水準 (=所得代替率) は、 現役世代と引退世代の格差―老若格差―と言い換えることが可能である。この老若格差をどうコントロールするかが、社会保障給付をどれだけ減らすか(あるいは増やすか)ということの意味と言ってよい。少子高齢化の傾向がこのまま続けば、いずれは就業者ほぼ 1 人で高齢者を 1 人、つまりマンツーマンで 65 歳以上人口を支えなければならなくなる。これまで 15~64 歳の生産年齢人口何人で 65 歳以上人口を支えてきたかといえば、1970 年頃は 9 人程度、90 年頃は 4 人程度、現在は 2 人程度である。医療や年金の給付が拡充され、1973 年は「福祉元年」といわれた。現行制度の基本的な発想は 9 人程度で高齢者を支えていた時代に作られたものであることを改めて踏まえるべきだ。

というわけで、これしかないらしいぜ→ 《年金・高齢者医療・介護に関する賃金で測った実質給付を今より 3割減らして平均代替率を 57.7%とすれば、 2030 年頃までは消費税率を 10%台半ばに抑制し、 2050年時点でも消費税率を代替率一定ケースの約 7 割に抑制できる。》

社会保障費3割「以上」削減して、若者の貧困すくうしかないってわけだな
それとも消費税30%程度にするか。

まあいいさこういう話は
雑誌や新聞にあの手この手で書かれているはずだから


こっちの話は下手に書くと
美談のメロドラマになるからね
あんまり書きたくはないし
まあ半ば虚構の物語としてもらってもいいけどね
二十年前にこの国に逃げ出したときは
極貧状態のなごりがあったわけでね


妻の父方の家系は隣国との国境の町ではかつての名家で、その町の日本からも旅行者のある大きな仏寺では仏の名の次の曽祖父の名が唱えられる。かつては町の中央に銅像があったらしい。妻の父はいわゆる蕩児で、南北に分かれた戦後の混乱期に嫌気がさし隣国に出稼ぎにいってそのまま帰ってこない。妻の母は六人の子供を抱えてひどい貧窮に陥った。長女である妻と次男は小学校を修業しているが、その下の子どもたちはそれぞれ親族の家にひとりづつ預けられろくに学校も行っていず(小学校三年程度まで)、幼い頃から畑仕事などの手伝いをしている。妻も叔母とともに故郷の町を離れ幼くして隣国の路上市場で温麺を売ったり、海辺の町の漁村で網作りしたり、大都市の外国人向けバーに潜り込んだりーー無給なのだがチップで暮らしていたわけで、1ドルのチップを十人の客から貰ったら当時のこの国の平均月収が30ドル程度だったことを考えたら大金であり、わたくしのような客が原価0.5ドルの国産ビールとピーナッツのつまみを3ドルで飲んで5ドルのチップを渡す……などということがあったらやたらにモテルーー、という生活を送っている。後にわたくしと結婚後、妻は、妹弟たちが十代半ば前後の年齢になってからようやく小学校は卒業させたが彼らは小さなクラスメートと混じって学ぶのを恥じ中学には進むことを拒んだ(末妹はまだ幼くて年齢に支障がない時期に援助できたので中学校まで)。当時はGNPの差が日本とは百倍近く差があり、わたくしの乏しい資産でもなんとか補助できたというわけだ。弟妹たちはいまはそれぞれ結婚して子どもをふたりづつ持っており(末妹はひとり)、旧正月に集まれば、彼らとその配偶者だけで十二人の若い男女と十一人の甥姪たちということになる。

妻とは大都市で出会ったのだが、彼女の希望で結婚後は弟妹たちを養育しやすい都市部から三十キロほど離れた埃舞う田園地帯に住むことになった。畑地で一区画五百坪を三千ドルほどで購入し家を建て、また後義母を引き取り家付きの小さな土地を四千ドル程度で購入。今は近くに出来た工場団地の働き手向けに家の裏にアパートを建てその賃貸収入で暮らしている。七年ほど前義父をも引き取った。脳溢血になって女に逃げられ半身不随の義父の最後の四年は前妻の世話で生活し逝去した。結婚時妻は「わたしの夢は父と母がもう一度いっしょに暮らすこと」と執拗に語ったがそれが曲りなりにも実現したわけだ。


結婚するとき驚いたのは妻には正式の戸籍がないことだった。1974年という戦争末期に生れてなんらかの事情で届出なしで育っており、後に他人から借りた仮の戸籍を得てそれは1977年生である。だがこれは当時はそれほど珍しくないことらしく、ただ結婚時それを他人の戸籍から父方の戸籍に移すのにひどく手間取った。移した後も、戸籍上は1977年生まれであり、当時三十八歳のわたくしは一九歳の少女と婚姻したことになる。


どうもこうやって書くと
嘘っぽいんだよな
今は昔の話だけれどさ
わたくしの住まいの周りも
家が建て込んだよ

「過去をふり返るとめまいがするよ
人間があんまりいろいろ考えるんで
正直言ってめんどくさいよ

(……)
それでとーーちょっともう続けようがないなこの先は」

(ーー谷川俊太郎「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」より)


…………

附記:「これはいつまで続くんだろうね。」がそろそろ続かなくなって来たという側面があるのだろう、冒頭の話だがね。この国は「兵量攻め」に遭った連中ばかりだから逞しいってのはあるぜ。

斎藤) ひきこもりの最高年齢がちょうど私と同じ年齢で、世代論は避けたいと思ってはいても、やはりそこには何かがあるという気がします。共通一次試験と特撮・アニメの世代ですね。例えば「働かざるもの食うべからず」といった倫理観を自明のこととして理解できず、むしろ働けなければ親が養ってくれると思っている。

中井)先行世代がバブルにいたるまで蓄積し続けたから、寄生できるんだね。

斎藤)経済的飢餓感も政治的な飢餓感もない。妙に葛藤の希薄な状況がある。ある種、欲望が希薄化しているようなところがあるわけです。なにがなんでもこれを表現せねばならない、というようなものもないんですね。

中井) これはいつまで続くんだろうね。その経済的な前提 というのは、場合によったら失われるわけでしょう。震災だってある。欠乏したとき、いったいどうなるのか。

斎藤)ひきこもりの人たちというのは、日常に弱くて、非日常に強いところがあります。父親が事故で亡くなったりすると、急に仕事を探し始めたりして、わりと頑張りがきくところがある。だから、必然的な欠乏が早くくれば救われるということはありますね。

浅田)治療者としての斎藤さんは拙速な「兵量攻め」には反対しておられるけれども、一般的には、欠乏に直面して現実原則に目覚めるのが早いのかもしれませんね。(批評空間2001Ⅲ-1 「共同討議」トラウマと解離(斎藤環/中井久夫/浅田彰)ーー父なき世代(中井久夫

ーーこの三者でさえ、「本音」は黒字強調個所にあるはずだ。

…………

日本国民の中国、朝鮮(韓国)、アジア諸国に対する責任は、一人一人の責任が昭和天皇の責任と五十歩百歩である。私が戦時中食べた「外米」はベトナムに数十万の餓死者を出させた収奪物である。〔…〕天皇の死後もはや昭和天皇に責任を帰して、国民は高枕ではおれない。(中井久夫「「昭和」を送る――ひととしての昭和天皇」)