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2014年3月27日木曜日

「毒サソリ」と「毒ヘビ」の戦い

私が思うに、最も傲慢な態度とは「ぼくの言ってることは無条件じゃないよ、ただの仮説さ」などという一見多面的な穏健さの姿勢だ。まったくもっともひどい傲慢さだね。誠実かつ己れを批判に晒す唯一の方法は明確に語り君がどの立場にあるのかを「独断的に」主張することだよ。

――というのは私の意訳だが、『ジジェク自身によるジジェク』は邦訳があるにはかかわらず手元にない。

I think that the most arrogant position is this apparent, multidisciplinary modesty of 'what I am saying now is not unconditional, it is just a hypothesis', and so on. It really is a most arrogant position. I think that the only way to be honest and to expose yourself to criticism is to state clearly and dogmatically where you are. You must take the risk and have a position.

ジジェクの「相対主義」批判と言ってよいだろうが、これを安易にそのまま受け取るとひどい目にあう。たとえば、すくなくとも次の文とともに読むべきだろう。

人は何かを変えるために行動するだけでなく、何かが起きるのを阻止するために、つまり何ひとつ変わらないようにするために、行動することもある。これが強迫神経症者の典型的な戦略である。現実界的なことが起きるのを阻止するために、彼は狂ったように能動的になる。たとえばある集団の内部でなんらかの緊張が爆発しそうなとき、強迫神経症者はひっきりなしにしゃべり続ける。そうしないと、気まずい沈黙が支配し、みんながあからさまに緊張に立ち向かってしまうと思うからだ。(……)

今日の進歩的な政治の多くにおいてすら、危険なのは受動性ではなく似非能動性、すなわち能動的に参加しなければならないという強迫感である。人びとは何にでも口を出し、「何かをする」ことに努め、学者たちは無意味な討論に参加する。本当に難しいのは一歩下がって身を引くことである。権力者たちはしばしば沈黙よりも危険な参加をより好む。われわれを対話に引き込み、われわれの不吉な受動性を壊すために。何も変化しないようにするために、われわれは四六時中能動的でいる。このような相互受動的な状態に対する、真の批判への第一歩は、受動性の中に引き篭もり、参加を拒否することだ。この最初の一歩が、真の能動性への、すなわち状況の座標を実際に変化させる行為への道を切り開く。(ジジェク『ラカンはこう読め!』54頁)

たとえば、ひとはツイッターで自分の立場を鮮明にして「誠実さ」を誇示するために、ある事件にたいして脊髄反応的にある立場を表明するとする、たいした「知識」もなく「情報」も収拾せず。だがジジェクの言っているのは、そんな短絡的な態度ではない。《真の批判への第一歩は、受動性の中に引き篭もり、参加を拒否することだ》。

たとえば《支配的イデオロギーと支配しているかに見えるイデオロギーとを混同しないように注意する》ことが、われわれに出来ているだろうか。

こうした状況のもとでとくに大切なことは、支配的イデオロギーと支配しているかに見えるイデオロギーとを混同しないように注意することだ。われわれは、これまで以上に、ヴァルター・ベンヤミンが遺してくれた注意事項を心に留めなければならない。その注意事項とは、ある理論(あるいは芸術)が社会闘争に関わる自分の立ち位置をどのように決定するかを訊ねるだけでは不十分であり、それが闘争においてどのようなアクチュアルな機能を発揮しているかもまた問われねばならない、というものである。 例えば、セックスで真のヘゲモニーを掌握している考え方は家父長制的な抑圧などではなく自由な乱交であり、また芸術で言えば、悪名高い「センセーショナル」展覧会と銘打ったスタイルでなされる挑発が規範に他ならなず、それは体制に完全に併合されてしまっている芸術の典型事例である。アイン・ラントは、彼女の最近のノン・フィクション作品のタイトル「資本主義──この知られざる理念」や「経営トップ──アメリカ最後の絶滅種族」に見られるように、公式イデオロギーそれ自体の強調が自己への最大の侵犯へ反転するといったある種ヘーゲル的な捻りを加味することで、こうした論理をその結論にまで押し上げている。 (ジジェク『迫り来る革命 レーニンを繰り返す』)

…………

ところで鈴木健(『なめらかな社会とその敵』の著者)の震災直後のツイートがいまでも印象に残っている。

要は専門家のもっている専門てほんとに狭くって、世界に数人〜数十人しか分かる人がいない。それでも業界外に位置づけを説明するために自分が数千人から数十万人のコミュニティに属しているように説明する。素人から期待される質問に答えようとするととたんに擬似専門家になる。

こういうことを気にしだしたら何も語れなくなってしまうということがある。真の専門家以外は無言というわけにもいかないので、まあだから逆にひとは語ってしまうということはあるのだろうが、見解を表明させる前に発酵させろ、ということなんだろうな、まずは。

ところが今はファストフード的消費者や発言者ばかりなのだ。ツイッターという場は、それをさらに育成する場であると思わざるをえないことが多いな(もちろん、いまオレが書いているブログも似たようなものだというのは自覚しているがね)。

あなたは、あなたが批評しているところの著作がどのようなものであるかを全く無視している。あなたは論争の道筋を再構成する試みを全く放棄している。その代わりに、曖昧模糊とした教科書的な通則やら、著者の立場の粗雑な歪曲、漠然とした類推、その他諸々を一緒くたにして放り投げ、そして自身の個人的な従事を論証するために、そのような深遠に見せかけた挑発的な気の利いたジョークのガラクタに、道義的な義憤というスパイスを加えているのだ(「見ろ!あの著者は新たなホロコーストを主張しているみたいだぞ!」といったように)。真実など、ここでは重要ではない。重要なのは影響力である。これこそ今日のファストフード的な知的消費者が望んでいたものだ。道義的な義憤を織り交ぜた、単純で分かりやすい定式である。人々を楽しませ、道徳的に気分を良くさせるのだ。(スラヴォイ・ジジェク:彼の批判に応答して)

…………

「チェコスロバキアの社会主義政権とプロテスタント神学の関係について」のテーマで修士論文を書き、1988年から1995年まで在ソ連・在ロシア日本国大使館に勤務した元外交官佐藤優氏――かつて「外務省のラスプーチン」と呼ばれ五一二日間独房に拘置されたことでも知られる(柄谷行人『矛盾が共存、驚嘆すべき知性の活動』)――、その佐藤氏がウクライナ問題をめぐって語っている。

日本政府の態度を、《これは日本の情報収集、分析のレベルの高さと判断の冷静さを示すもので、今回、日本の外交は非常によくやっています。いちばんよくできているのが日本で、次がドイツです。》としている。もちろんこれさえ、かつての同僚や部下への過分の評価というバイアスがかかっているのかもしれないとは疑ってみることができる。だが、ツイッター上での並み居る「似非専門家」と、なんと発言内容の質が異なることか。



邦丸: クリミア半島に今、ロシア軍が入ってきたということについて、佐藤さんは雑誌などさまざまなメディアで発信していらっしゃいますが、ことはそう簡単ではないということですね。

佐藤: そうですね。簡単なアナロジーでいうと、「毒サソリ」と「毒ヘビ」が戦いをしているわけです。それに対してオバマ大統領は、毒サソリの味方をしているわけですね。日本は、毒サソリも毒ヘビもロクなもんじゃないから距離を置かせていただこうという立場をとっているわけで、そういう安倍政権の判断は現時点において100%正しいんです。(略)これは日本の情報収集、分析のレベルの高さと判断の冷静さを示すもので、今回、日本の外交は非常によくやっています。いちばんよくできているのが日本で、次がドイツです。

(略)今回のポイントになるのは、西ウクライナのガリツィア地方というところなんです。(略)この地方は、1945年にソ連軍が入ってくるまで、ソ連領になったことは一度もないんです。北方領土と同じですね。もともと、オーストリア・ハンガリー帝国の半島なんです。

そもそもウクライナというのは、ガリツィアのオーストリア領のウクライナとロシア領のウクライナを併せて、「ウクライナ」と呼んでいたんです。このウクライナの全域でウクライナ語が使われていたんですが、19世紀に、ロシアではウクライナ語をしゃべってはいけない、ウクライナ語の雑誌や新聞を出してはいけないという政策を打ち出して、これが100年以上も続いたんです。ですから、ロシアに住んでいるウクライナ人は、ウクライナ語を忘れてしまった。

ところが、ガリツィア地方では、オーストリア・ハンガリー帝国のハプスブルク家が多言語政策を採っていましたから、ウクライナ語の本、雑誌もあるし、リボフ大学でウクライナ語の教育をやったんですね。ナショナリズムの核は、あそこ(ガリツィア地方)なんです。そこに、1945年にソ連が入ってきた。面倒臭いことに、ガリツィア地方は宗教が違う。カトリックなんです。

邦丸: カトリックとロシア正教は違うんですね。

佐藤: 1054年に分裂しているんです。われわれの目にも違いがわかりやすいところで言うと、聖職者が袈裟を被っているのはどちらも同じなんです。しかし、ロシア正教では、下級のノンキャリアのお坊さんは結婚しているんです。一方、カトリックでは、お坊さんは全員、独身なんです。こういう大きな違いがあります。

(略)ところが、ガリツィア地方の西ウクライナのお坊さんは、カトリックなのに結婚しているんです。これは特別な例外として、儀式はロシア正教のやり方に則ってもいいけれど、ローマ法王をいちばん偉いと認めなさいということで、結婚も許されている。この人たちをカトリックのなかでも独自のユニエイト教会といいます。

邦丸: ユニエイト教会?

佐藤: 正確には「東方典礼カトリック教会」といいます。ところが、スターリンがこの人たちを無理やり、ロシア正教に合同させてしまったんです。

邦丸: ははあ。

佐藤: もうひとつ面倒臭い問題があって、第二次世界大戦ではウクライナ人は、ソ連とドイツのどちらについたと思いますか?

邦丸: ナチス側についた人たちがいるんですよね。

佐藤: はい。30万人がナチス側、120万人がソ連側だったんです。このナチス側の連中というのは、ユダヤ人虐殺をめちゃくちゃやっているんです。ポーランド人、チェコ人を殺した。西ウクライナではこの勢力が強いんですよ。この人たちは、ソ連に占領された(1946年)後も1955年ぐらいまで、武装反ソ闘争をやっていたんです。

そしてソ連に支配されることを潔しとせずに亡命した人たちが、カナダに大勢いるんです。今、カナダにはウクライナ人が120万人もいます。ですから今回、カナダがソ連に対してものすごく強硬な姿勢を示しているのは、ウクライナ・ロビーが強いからなんです。

カナダでいちばん話されている言語は英語、二番目に多いのがフランス語、三番目がウクライナ語です。

(略)1980年代にゴルバチョフがペレストロイカ(意味は「再編」。ゴルバチョフ政権による改革を指す)をやっているときに、カナダのウクライナ人たちが西ウクライナのガリツィア地方の人たちにおカネを送って、それを原資に民族運動が起こった。ただ、このなかには反ユダヤ主義者、ウクライナ民族至上主義者──ウクライナ民族以外は劣等人種だと主張している──といった恐ろしい連中がいるんです。

ロシアの新聞にはこういった事情が書かれているんだけれど、アメリカや西側諸国では、これをロシアのプロパガンダだと、ロシアがウソをついているに決まっていると思っている。でも、これはウソではないんです。本当に恐ろしい連中がいるんです。


《これからきみにぼくの人生で最も悲しかった発見を話そう。それは、迫害された者が迫害する者よりましだとはかぎらない、ということだ。ぼくには彼らの役割が反対になることだって、充分考えられる。》(クンデラ『別れのワルツ』)