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2014年4月7日月曜日

四月七日 雨降る

昨夕、庭に水撒きの最中、蝉の小水のようなわずかな滴りが瞼に触れたのだが、今日正午すぎ、遠くからの雷鳴とともに涙雨が降ってきた。乾季がこれで終ったかどうかはまだ分からないけれど、毎年のことながら、一滴の雨もない日々が半年あまり続いたあとの喜雨、干天慈雨であり、半刻ばかり続くだけの弱々しい雨だったが、雨後、風に運ばれてくる大気は埃っぽさが拭い去られ、樹々の葉もシャワーの水は足りないにしろ、とりあえずは半年のあいだの不潔をいささか清めたようだ。ただ、《女神の舌はひそかに/我が舌をぬらした》にはちがいないが、ずっと待っていたすこしの涼しさの奇跡と言うには物足りない。

ずっとわたしは待っていた。
わずかに濡れた
アスファルトの、この
夏の匂いを。
たくさんねがったわけではない。
ただ、ほんのすこしの涼しさを五官にと。
奇跡はやってきた。
ひびわれた土くれの、
石の呻きのかなたから。

ーーダヴィデ(須賀敦子訳)


雨後、スクーターで田園地帯をひとまわりしてみたが、地面の濡れて土のかおりがにおいたつという具合までにはいかない。乙女が米をとぐ濡れた手があるわけでもない。だが、やわらかな草の香りや家鴨の羽の微かな匂いを吸い込んできはした。

地上のどんな道でも、やわらかな稲の香り-藻草の匂い
家鴨の羽、葦、池の水、淡水魚たちの
微かな匂い、若い女の米をとぐ濡れた手-冷たいその手
若者の足に踏まれた草むら-たくさんの赤い菩提樹の実の
痛みにふるえる匂いの疲れた沈黙-これらのなかにこそベンガルの生命(いのち)を
(……)私はゆたかに感じる。(『美わしのベンガル』ジボナノンド・ダーシュ、臼田雅之 訳)