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2014年6月26日木曜日

象牙の塔(メタレベル)不在の「美しい日本の私」

《現代の批評とは、或る対象の構造を分析し、対象がどのように価値づけられるかの可能性を多面的に考察することです。》(千葉雅也ツイート)

この千葉雅也氏の云う「現代の批評」とする態度が、つねにそうあるべきかなのかは断言しまい。だが、日本では、このようなむしろ「合理論」、「構造論」、あるいは形式的な思考が必要だとは、かつてから何度も語られてきた。

ところで対象の構造を分析するという場合、ある意味でメタレベル、「超越的」な立場に立つといってよいだろう。すなわち科学的な態度、その方法を、徹底的に対象化したモノに対して適用すること。《主題を主題として維持するためにそれをカギ括弧で厳重に梱包し、概念として自立させ、<地>の部分をなす分析と思弁の言説から隔離された<図>として目立つように留意》すること(松浦寿輝『官能の哲学』)。

僕の夢は、本当の構造主義者が日本に出現することなんです。別に文学に限らないけれど、徹底的な構造分析を本気で試み、しかもそれで成功する人がね。
(……)
分析を言説化する手続きってものが、共同体的な倫理によって支えられていてもかまわない。またそのかぎりでは分析の対象が僕の興味のないものでもかまわない。

(……)意味生成の可能性をとことん拡げてその一つひとつのケースを検討することがないから、分析の言説化ではなく、言説化のための分析しか行われない。要素に分解すること、その諸要素の組合わせが示す表情をくまなく記述するという、ごく古典的な論述形式さえ定着していない、だからレクリチュールとエクリチュールに関してはわれわれは近代以前にあるわけです。(蓮實重彦『闘争のエチカ』)

もしほんとうに、われわれが「近代以前」にあるのなら、まず「近代」の合理論を尊重しなくてはならない。出発点はここだ。《もちろん、先行研究うんぬんで既存の記憶に押しつぶされるより、ちょっとは蛮勇を奮ったほうがいい。でも、逆に言えば、蛮勇は過去の蓄積を突き破るように生まれるわけですよ。》(浅田彰

近代の構築的なものがない処で、ポストモダン的な「生成」などをいたずらに主張したら悲惨な「現場主義」の寝言(プレ・モダンの戯言)に終わる。

もし「国家」を構築的なもの、「社会」を生成的なものとして区別するならば、この国では、構築と生成の区別が厳密に存在しないということを意味する。あらゆる意志決定(構築)は、「いつのまにかそう成る」(生成)というかたちをとる。国学者の本居宣長が、中国的な思考に対して、日本の原理としてとりだしたのは、そうした生成である。しかし、それはニーチェがいうような生成ではない。また、構築のないところで、生成を唱えることには大して意味はない。(柄谷行人「フーコーと日本」1992 『ヒューモアとしての唯物論』所収)

「現場主義」の寝言? いやここではもうすこし遠慮して、《三面記事的な偽の現場主義が支える物語的な真実の限界》としておこう。

実際にこの目で見たりこの耳で聞いたりすることを語るのではなく、見聞という事態が肥大化する虚構にさからい、見ることと聞くこととを条件づける思考の枠組そのものを明らかにすべく、ある一つのモデルを想定し、そこに交錯しあう力の方向が現実に事件として生起する瞬間にどんな構図におさまるかを語るというのが、マルクス的な言説にほかならない。だから、これとて一つの虚構にすぎないわけなのだが、この種の構造的な作業仮説による歴史分析の物語は、その場にいたという説話論的な特権者の物語そのものの真偽を越えた知の配置さえをも語りの対象としうる言説だという点で、とりあえず総体的な視点を確保する。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

…………

◆柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)」より

そもそも、日本に、大衆の動向から遊離した知識人の優位などあったためしがないのだ。しかるに、抽象的な観念にもとづいて大衆を見下し現実から 遊離しているというような理由で、知識人を批判する言説はつねに横行してきた。知識人を批判する者こそ典型的な知識人だ、といったほうがいいくらいである。たとえば、日本に は「象牙の塔」のようなものは一度もなかった。むしろ、つねに象牙の塔に対する批判があ り、それが勝利してきたのである。(注1)
注1)象牙の塔とか、遊離した学問はいかんというようなことを言われますね。それはそれ自身いくら強調してもいいのですけれど、僕はやっぱり学問というものは生活とある緊張を保たなければいけない、そこには分離遊離じゃなくすることによって最もよく生活に奉仕するという、いわば逆説的な関係があるんじゃないかと思うんです。この考えは非常に危険なのですよ。一歩誤ると孤高になり、自分のものぐさ乃至は安易な生活態度をジャスティファイする論拠になり易いのです。僕なんかとくにそういう傾向があるので言う資格がないかも知れないけれども僕の考えはそうなんです。そうじやないと、ことに先程言いましたような、大衆文明の時代には日常的な現象に絶えず学問が引張られてしまって、時事の問題とかあるいは狭い意味の政治的要求に鼻面を引き摺りまわされて、結局学問自身の社会的使命を果せなくなる。学問じゃなくても果し得るもの、あるいは学問も果すかも知れないけれども学問以外のものでも果しうるような役割に学問が引張りまわされる事はやはり社会的な浪費です。学問にはやはりそれぞれの学問に固有の問題があります。(丸山真男 高見順との対談「インテリゲンツィアと歴史的立場」(雑誌「人間」昭和24年12月)。
鶴見は抽象的な思想あるいは原理の支配を批判する。しかし、西洋あるいはアジアでは、 そのような批判が必要且つ有効であろうが、日本では、話はそう簡単ではない。知識人が 支配したことがないし、思想や原理が支配したことがないからだ。ゆえに、簡単にそれを 「漢意」(本居宣長)として斥けることができる。むしろ、日本に必要なのは「思想」あるいは 「原理」なのだ。丸山はつぎのように述べている。

日本では、思想なんてものは現実をあとからお化粧するにすぎないという考えがつよくて、 人間が思想によって生きるという伝統が乏しいですね。これはよくいわれることですが、宗 教がないこと、ドグマがないことと関係している。 イデオロギー過剰なんていうのはむしろ逆ですよ。魔術的な言葉が氾濫しているにすぎな い。イデオロギーの終焉もヘチマもないんで、およそこれほど無イデオロギーの国はない んですよ。その意味では大衆社会のいちばんの先進国だ。ドストエフスキーの『悪霊』な んかに出てくる、まるで観念が着物を着て歩きまわっているようなああいう精神的気候、あ そこまで観念が生々しいリアリティをもっているというのは、われわれには実感できないん じゃないですか。 人を見て法を説けで、ぼくは十九世紀のロシアに生れたら、あまり思想の証しなんていい たくないんですよ。スターリニズムにだって、観念にとりつかれた病理という面があると思う んです。あの凄まじい残虐さは、彼がサディストだったとか官僚的だったということだけで はなくて、やっぱり観念にとりつかれて、抽象的なプロレタリアートだけ見えて、生きた人間 が見えなくなったところからきている。しかし、日本では、一般現象としては観念にとりつか れる病理と、無思想で大勢順応して暮して、毎日をエンジョイした方が利口だという考え方と、どっちが定着しやすいのか。ぼくははるかにあとの方だと思うんです。だから、思想に よって、原理によって生きることの意味をいくら強調してもしすぎることはない。しかし、思 想が今日明日の現実をすぐ動かすと思うのはまちがいです。(針生一郎との対談『丸山座 談5』p138-139)

《あらゆる思想は実生活 から生まれる。併し生まれて育った思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったならば、 凡そ思想といふものに何んの力があるか》(小林秀雄「作家の顔」)

僕は「ニュー・アカデミズム」は本質的に思想運動ではなく「闘争」だったと思っています。その「闘争」は、出発点において共同体内の戦いだった。浅田彰にしても中沢新一にしても、その戦いを一つの攻撃として組織したんだと思います。そうした姿勢を勇気づける雰囲気はある程度準備されてはいましたけれど、より持続的な戦いの端緒として『構造と力』や『チベットのモーツァルト』は出版されたわけです。その際、共同体内の敵はもっと強力なものだという自覚があったはずです。その自覚とは、あっさり蹴散らされるほどの理論的な強力さではなく、いわば無視されるといった程度の負の強力さを予測していたということです。

ところが、仮想敵がまるで強くなかった。浅田氏にしろ中沢氏にしろ、積極的な敵意に出会う以前に共同体内的な嫉妬によって受け入れられ、それをバネにして共同体内で勝利してしまったのです。これは、日本社会の無責任的な柔構造にからめとられたということにほかなりませんが、大学といった「アカデミズム」の場にまで拡がり出しているこの柔構造の無責任性は、いつでも逆転しうるものだ。王殺しはたえず共同体的な健康維持として可能ですが。ところで、いわゆる「ニュー・アカデミズム」が一時的に占有しえた王の位置というのは、彼らが意図してそこについたわけのものでない。いわば、彼らの書物が読まれたことからくる思想的な勝利ではなく、共同体が容認しうるイメージに翻訳された観念に支えられたものでしょう。「アカデミズム」でさえ、そのイメージに汚染されているわけで、まあ、僕の場合なら、そうしたイメージ汚染の現状を物語批判として展開したのだけれど、「ニュー・アカデミズム」の当事者たちの方は、ある程度、そのイメージ汚染の醜悪さを楽しんでいました。それが柄谷さんのいう「調子に乗ってやってきた」という側面だと思いますが、いまや、彼らの書物が持っていた「闘争」性があらためて問われるときだと思う。(蓮實重彦『闘争のエチカ』P176)

 …………

柄谷行人の「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)」には次の文がある。

思想は実生活を越えた何かであるという考えは、合理論である。思想は実生活に由来するという考えは、経験論である。その場合、カントは、 合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理 論からそれを批判した。つまり、彼は合理論と経験論というアンチノミーを揚棄する第三の立場に立ったのではない。もしそうすれば、カントではなく、ヘーゲルになってしまうだろう。 この意味で、カントの批判は機敏なフットワークに存するのである。ゆえに、私はこれをトランスクリティークと呼ぶ。

「第三の立場」を言い募るだけでは、永遠の「モラトリアム」になってしまう。もちろん「モラトリアム=引き篭もりがかならずしも悪いわけではない。ただ「永遠」がいただけないだけだ。

人は何かを変えるために行動するだけでなく、何かが起きるのを阻止するために、つまり何ひとつ変わらないようにするために、行動することもある。これが強迫神経症者の典型的な戦略である。現実界的なことが起きるのを阻止するために、彼は狂ったように能動的になる。たとえばある集団の内部でなんらかの緊張が爆発しそうなとき、強迫神経症者はひっきりなしにしゃべり続ける。そうしないと、気まずい沈黙が支配し、みんながあからさまに緊張に立ち向かってしまうと思うからだ。(……)

今日の進歩的な政治の多くにおいてすら、危険なのは受動性ではなく似非能動性、すなわち能動的に参加しなければならないという強迫感である。人びとは何にでも口を出し、「何かをする」ことに努め、学者たちは無意味な討論に参加する。本当に難しいのは一歩下がって身を引くことである。権力者たちはしばしば沈黙よりも危険な参加をより好む。われわれを対話に引き込み、われわれの不吉な受動性を壊すために。何も変化しないようにするために、われわれは四六時中能動的でいる。このような相互受動的な状態に対する、真の批判への第一歩は、受動性の中に引き篭もり、参加を拒否することだ。この最初の一歩が、真の能動性への、すなわち状況の座標を実際に変化させる行為への道を切り開く。(ジジェク『ラカンはこう読め!』p54)

永遠の「ひきこもり」者とは次のような手合いである。

私が思うに、最も傲慢な態度とは「ぼくの言ってることは無条件じゃないよ、ただの仮説さ」などという一見多面的な穏健さの姿勢だ。まったくもっともひどい傲慢さだね。誠実かつ己れを批判に晒す唯一の方法は明確に語り君がどの立場にあるのかを「独断的に」主張することだよ。(「ジジェク自身によるジジェク」私訳)

上にあげた柄谷行人の丸山真男小論には、《カントの批判は機敏なフットワークに存するのである。ゆえに、私はこれをトランスクリティークと呼ぶ》とあるように、柄谷行人の主著のひとつ『トランスクリティーク』の繰り返しである。

カントやマルクスはたえず「移動」をくりかえしている。そして、他の言説体系への移動こそが、「強い視差」をもららすのだ。亡命者マルクスにかんしてそれはいうまでもない。実は、カントに関しても同じことがいえる。彼は空間的にはまったく移動しなかったが、移動への誘いを拒否したことにおいて、そしてコスモポリタンであり続けたことにおいて、一種の亡命者であった。一般に、カントは、合理論と経験論の「間」にあって、超越論的な批判をした人だとされている。しかし、『視霊者の夢』のような奇妙な自虐的なエッセイを見ると、カントがたんに「間」で考えたなどとはいえない。彼もまた、独断的な合理論に対して経験論で立ち向かい、独断的な経験論に対して合理論的に立ち向かうことをくりかえしている。そのような移動においてカントの「批判」がある。「超越論的な批判」は何か安定した第三の立場ではない。それはトランスヴァーサル(横断的)な、あるいはトランスポジショナルな移動なしにはありえない。そこで、私はカントやマルクスの、トランセンデンタル且つトランスポジショナルな批判を「トランスクリティーク」と呼ぶことにしたのである。(柄谷行人『トランスクリティーク』p21)
カントがいっているのは、自分の視点から見るだけでなく、「他人の視点」からも見よ、ということではない。そのようなことならありふれている。なぜなら、「反省」とは他人の視点で自分を見ることであり、哲学の歴史はそのような反省の歴史なのだから。しかし、ここでカントがいう「他人の視点」はそのようなものではない。それは「強い視差 parallax」においてしかあらわれない。(『トランスクリティーク』p78)

ジジェクは、よく知られているように、この柄谷行人の「視差 parallax」を借用して、パララックス・ヴューという表題をもつ大著を書いたわけだ。

In his formidable Transcritique, Kojin Karatani endeavors to assert the critical potential of such a "parallax view": when confronted with an antinomic stance in the precise Kantian sense of the term, one should renounce all attempts to reduce one aspect to the other (or, even more, to enact a kind of "dialectical synthesis" of the opposites); one should, on the contrary, assert antinomy as irreducible, and conceive the point of radical critique not a certain determinate position as opposed to another position, but the irreducible gap between the positions itself, the purely structural interstice between them. Kant's stance is thus "to see things neither from his own viewpoint, nor from the viewpoint of others, but to face the reality that is exposed through difference (parallax)." (Is this not Karatani's way to assert the Lacanian Real as a pure antagonism, as an impossible difference which precedes its terms?) This is how Karatani reads the Kantian notion of the Ding an sich (the Thing-in-itself, beyond phenomena): this Thing is not simply a transcendental entity beyond our grasp, but something discernible only via the irreducibly antinomic character of our experience of reality.(”The Parallax View”)
今思えばカントの超越論的な次元に辿りついたとき、私は哲学とは何たるかを間違いなく初歩的なレヴェルでしか理解してなかったのだ、と思いました。つまり、私は哲学が一種の誇大妄想的な企て(megalomaniac enterprise) ――ほら、「世界の基本的な構造を理解しましょう」というたぐいのものです――ではないという重要なポイントを理解したとき、哲学はそんなものではないとわかったのです。(……)

哲学は誇大妄想的なものではないと私が知ったのは、愚直(naive)な科学者から「われわれが合理的な仮説にもとづいた厳然たる現実を扱っているのに対して、君たち哲学者は単にあらゆる事物の構造を夢見ているだけではないのかね」というありがちな反論を受けたときでした。そのとき、哲学はある意味で科学より批判的で、より用心深くさえあるのだということに気づきました。哲学はより初歩的な疑問さえ投げかけます。例えば、科学者がある問いにアプローチする際、哲学のポイントは、「万物の構造は何か」ではなく、「その問いを定式化するために科学者がすでに前提としなければならない概念とは何なのか」ということです(スラヴォイ・ジジェク『ジジェク自身によるジジェク』)

…………

《丸山真男ぐらいは高校までにクリアしといてほしいと思うよ》とオッシャル人もいる。そこのメタレベル批判を反復させる「貴君」たちよ、わかるかい?

日本の教育について、乱暴を承知であえて世代論的にいうと、昔は、良くも悪くも、権威があり、権威に対して反抗するってことがあったけど、70年代後半からは、権威をつぶすことしかやってこなかった連中が教師になったわけだから、権威なんて全くない、それこそ反抗の対象になんかなりえないわけ。そんな中で、最低限の常識さえ崩れちゃったんだね。オウム真理教事件なんか見たって、人は宙に浮かないとか、来世について有意味に語ることはできないとか、そのくらいなことは小中学校でちゃんと教えといてほしい(笑)、あるいは丸山真男ぐらいは高校までにクリアしといてほしいと思うよ。

ところが、そういう最低限の常識さえ無いみたいなんだな。全共闘が大学の研究室の本を放り出したとき、丸山真男は、ナチスにも匹敵する暴挙だって言った。それに対して、吉本隆明は、国民の税金で買った本を後生大事に独占するようなやつが何を偉そうに言うかって批判した。その時点では吉本隆明が勝ってるわけ。ところが、吉本隆明におだてられた全共闘は、本を捨てただけで、その後に何も作れなかった(笑)。丸山真男を超えたつもりで、あるいは左翼からさらに新左翼にいって近代を超えたつもりで、実は前近代的な共同体主義に戻っちゃってた。その連中が親や教師になってるわけじゃない? だから、若い連中が今ごろになって丸山真男なんかを「再発見」するのも仕方がないと思うし、そうやって近代の最低限の常識は身につけてほしいと思うけど、だからと言って、ぼくらが今さら言いたくもない、ほんとに徒労感が募るばかりだよ。(浅田彰氏講演録「知とは何か・学ぶとは何か」


というわけで、「知の密教主義者」、「知的スノッブの三バカ」「知的スターリニスト」(吉本隆明曰く)の三人の引用をしてしまったぜ。それとジジェクだな。この四人に《騙される連中は馬鹿として放っといていいと思っているんですが》


蓮實重彦と浅田彰の対談『新潮』(2005年5月号)より 
 
ラカン派であれ何であれ、精神分析には分析を受けることでしか伝わらない何かがあって、それは映画作家から映画作家にしか伝わらないものがあるというのに近いんです。それを、ラカン派というのは要するにこういうものなんだよ、とマンガ的に図解した途端、それは嘘になってしまうわけです。(中略)……(ラカンの娘婿である)ミレールの校訂するラカンのセミネールより海賊版の方が正確なのに著作権継承者として海賊版の出版を差し止めたりするといった状況になっているとき、旧社会主義政権下のスロヴェニアの反体制知識人で、ヘーゲル=マルクス主義のベースを除けば、アメリカ文化への憧れから映画でも何でも貪欲に吸収してきたに過ぎないジジェクという野蛮人が無手勝流で乗り込んできて、ヒッチコックをラカン的に理解するというか、むしろラカンをヒッチコック的に理解してみれば、要するにこうだろう、とマンガ的に整理した、それでずいぶん風通しがよくなって、ラカン=ミレール派が世界的に流通することになったわけですね。

『「ブレードランナー」論序説 映画学特別講議』はどのように読まれたか 

畏れのなさからくるはしたなさは、あるときそれが一人歩きして、見なくとも語れるという安易さをあられもなく肯定してしまう。ジジェクも陥っているその無惨さについては、加藤幹郎が『「ブレードランナー」論序説』で厳しく批判していますが、ジジェク派というかその無邪気なエピゴーネンは、できればものなど見ずにやりすごしたい人類の思惑と矛盾なく共鳴しあってしまう。ジジェクに騙され る連中は馬鹿として放っといていいと思っているんですが・・・・・(蓮實重彦)

蓮實重彦インタビュー──リアルタイム批評のすすめvol.2 

……じゃあ絶対にやらなければいけないことは何かといったとき、ラカン的な意味での「réel(現実)」について論ずることがそうかというと、そうではないと思う。その種の「réel」について論ずることには形式的にある種の安易さがあって、その安易さは、ニーチェもいうようにカントの「物自体」から始まったといってもいいですけれど、やたらな人間がそれに言及すると、世界を必要以上に単純化してしまう。ですから、許せないのは、私ひとりが許せないっていったってどういう意味もないんですが(笑)、ジジェクの書いている映画論なんか読むと、腹が立ちます。世界も、映画も、それほど単純なものではない。そもそも無限の情報量で充満した画面を、お前さんはくまなく見ているのか。見ているはずがありません。ラカンだって見ていない。にもかかわらず、「réel」という殺し文句を口にしてしまう。そのことの安易さについては、フィクション論の『「赤」の誘惑』でも論じておきました。「表象不可能なもの」について論じるひとの多くもそうですが、ごく単純に言語記号の配置が読めない主体に、仮眠中の記号を目覚めさせる資質も能力もない主体に、「réel」など論じてほしくない。