このブログを検索

2014年7月2日水曜日

デモの猥雑な補充物としての「享楽」

2003年、イラク戦争があったとき、私はアメリカの西海岸にいたのだが、何人かの知り合いから、アメリカでは反動化がすごいらしいが大丈夫かというような問い合わせがあった。しかし、私の周りでは連日街頭のデモがあった。私はむしろ日本こそ大丈夫なのかと心配になった。ヨーロッパ各国はいうまでもなく、韓国やインドでも巨大な抗議デモがあったというのに、日本にはほとんどなかったからである。日本が戦後とっていた方針を捨てて、はじめて海外に派兵したということが注目を集めていた時期に、街頭での反対運動がほとんどないということは、外から見れば、不気味であった。

街頭でのデモ(示威行進)は古い、という人たちがいる。また、インターネットなどの普及で、さまざまな抗議の手段が増えたという人たちがいる。しかし、市街戦や武装デモは古いが、古典的なデモは今も、西洋やアジアで存在している。いかに非能率的に見えようと、それはやはり効果がある。というより、丸山真男や久野収が強調したように、民主主義は代表議会制度だけでは機能しない。デモのような直接行動が不可欠なのである。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)」

2011年以降、日本で目立って変ったと思われることは、デモ行動が復活したことだ。なぜそうなったのかということについてはいろいろな議論があるだろう。やや意地悪く言えば、国家権力の振舞いが限度を越えて目に余るようになり、「終りなき日常」あるいは「あとは野となれ山となれ」のタイプや迷える子羊たちさえもデモにて怒りを表出せざるをえなくなった、とも言いうるのかもしれない。

大江健三郎はその小説『取り替え子』にて、「吾良」(伊丹十三がモデル)のテロ事件をめぐって次のように書いている。

吾良が、関西の暴力団からテロの使命をあたえられて上京したヤクザに刺された時、(……)古義人はシカゴ大学二百年祭の行事に、アジア関係の学部から招かれていた。

(映画研究会の)学生たちは、……東京で映画関係者や学生たちの抗議デモが計画されていると思うが、その日程と時間を確かめてもらえば、自分らも十四時間の時差を見込んで、シカゴで呼応する学内集会を組織する、今日のうちに計画を発表したい、といった。

古義人は、あくまでそれがいま東京から離れた場所にいる自分の憶測で、むしろ誤っていることを望むのだが、と断った上で次のように答えたのだ。

――吾良よりいくらか年長の世代から、同年代の監督たちが、いま日本の映画界の中心だが、かれらはこれを日本映画界へのテロとは見なさないだろう。かれらはこれが吾良個人の災難だとだけ考えるだろう。つまり映画人のデモはありえないし、いま、日本の学生たちは、これを社会と文化への脅威としてデモで抗議する元気を持っていないと思う。(大江健三郎『取り替え子』)

もちろん、今この2014年においても、我かんせずの学者、研究者、学生たち、あるいは一般人たちはいるだろう。すなわち、彼らは政治が土足で踏みこんできたことさえをも否認し、「見たくないもの」を見ない〈心の習慣〉(丸山真男)を保持し続けている連中だと言っておこう。彼らの決まり文句は「デモやったって何も変わらないよ」である。ーーなどとは海外住まいの身の人間としては書きたくはないのだが。




ーー「エジプト革命」は三年経ってどんな具合になっているかだって? だが、あの「奇跡」はなかったほうがよかったとでもいうのだろうか。

季節の空気、空の、土の、樹々の色、それも語れぬわけではないだろう。だが、あの軽やかな酩酊、埃の上をゆく足取り、眼の輝き、フェダイーンどうしの間ばかりでなく、彼らと上官との間にさえ存在した関係の透明さを、感じさせることなど決してできはしないだろう。すべてが、皆が、樹々の下でうち震え、笑いさざめき、皆にとってこんなにも新しい生に驚嘆し、そしてこの震えのなかに、奇妙にもじっと動かぬ何ものかが、様子を窺いつつ、とどめおかれ、かくまわれていた、何も言わずに祈り続ける人のように。すべてが全員のものだった。誰もが自分のなかでは一人だった。いや、違ったかも知れない。要するに、にこやかで凶暴だった。(……)

「もう希望することを止めた陽気さ」、最も深い絶望のゆえに、それは最高の喜びにあふれていた。この女たちの目は今も見ているのだ、16の時にはもう存在していなかったパレスチナを。(ジャン・ジュネ『シャティーラの4時間』)

《私は政治を好まない。しかし戦争とともに政治の方が、いわば土足で私の世界のなかに踏みこんできた。》(加藤周一「現代の政治的意味」あとがき 1979)

学問はこれを身に体し、これを事に措いて、始て用をなすものである。否るものは死学問である。これは世間普通の見解である。しかし学芸を研鑽して造詣の深きを致さんとするものは、必ずしも直ちにこれを身に体せようとはしない。必ずしも径ちにこれを事に措こうとはしない。その矻々として年を閲する間には、心頭姑く用と無用とを度外に置いている。大いなる功績は此の如くにして始て贏ち得らるるものである。 この用無用を問わざる期間は、啻に年を閲するのみではない。あるいは生を終るに至るかも知れない。あるいは世を累ぬるに至るかも知れない。そしてこの期間においては、学問の生活と時務の要求とが截然として二をなしている。もし時務の要求が漸く増長し来って、強いて学者の身に薄ったなら、学者がその学問生活を抛って起つこともあろう。しかしその背面には学問のための損失がある。研鑽はここに停止してしまうからである。 わたくしは安政二年に抽斎が喙を時事に容るるに至ったのを見て、是の如き観をなすのである。(森鴎外『渋江抽斎』)

医師であり儒教者であった渋江抽斎が政治に立ったのは安政二年の黒船来航の折だった。

…………


以下、おおむねメモに徹する。

集団内部の個人は、その集団の影響によって彼の精神活動にしばしば深刻な変化をこうむる(……)。彼の情緒は異常にたかまり、彼の知的活動はいちじるしく制限される。そして情緒と知的活動と二つながら、集団の他の個人に明らかに似通ったものになっていく。そしてこれは、個人に固有な衝動の抑制が解除され、個人的傾向の独自な発展を断念することによってのみ達せられる結果である。この、のぞましくない結果は、集団の高度の「組織」によって、少なくとも部分的にはふせがれるといわれたが、集団心理の根本事実である原始的集団における情緒の昂揚と思考の制止という二つの法則は否定されはしない。(フロイト『集団心理学と自我の分析』)

◆ZIZEK『LESS THAN NOTHING』(2012)の最終章(「CONCLUSION: THE POLITICAL SUSPENSION OF THE ETHICAL」)より。

……フロイト自身、ここでは、あまりにも性急すぎる。彼は人為的な集団(教会と軍隊)と“退行的な”原始集団――激越な集団的暴力(リンチや虐殺)に耽る野性的な暴徒のような群れ――に反対する。さらに、フロイトのリベラルな視点では、極右的リンチの群衆と左翼の革命的集団はリピドー的には同一のものとして扱われる。これらの二つの集団は、同じように、破壊的な、あるいは無制限な死の欲動の奔出になすがままになっている、と。フロイトにとっては、あたかも“退行的な”原始集団、典型的には暴徒の破壊的な暴力を働かせるその集団は、社会的なつながり、最も純粋な社会的“死の欲動”の野放しのゼロ度でもあるかのようだ。(私意訳)

……Freud himself is here too hasty: he opposes artificial crowds (the church, the army) and “regressive” primary crowds, like a wild mob engaged in passionate collective violence (lynching, pogroms). Furthermore, from his liberal perspective, the reactionary lynch mob and the leftist revolutionary crowd are treated as libidinally identical, involving the same unleashing of the destructive or unbinding death drive.3 It appears as though, for Freud, the “regressive” primary crowd, exemplarily operative in the destructive violence of a mob, is the zero‐level of the unbinding of a social link, the social “death drive” at its purest.

註)フロイトの選挙投票の選好(フロイトの手紙によれば、彼の選挙区にリベラルな候補者が立候補したときの例外を除いて、通例は投票しなかった)は、それゆえ、単なる個人的な事柄ではない。それはフロイトの理論に立脚している。フロイトのリベラルな中立性の限界は、1934年に明らかになった。それは、ドルフースがオーストリアを支配して、共同体国家(職業共同体)を押しつけたときのことだ。そのときウィーンの郊外で武装した衝突が起った(とくにカール マルクス ホーフの周辺の、社会民主主義の誇りであった巨大な労働者のハウジングプロジェクトにて)。この情景は超現実主義的な様相がないわけではない。ウィーンの中心部では、有名なカフェでの生活は通常通りだった(ドルフース自身、この日常性を擁護した)、他方、一マイルそこら離れた場所では、兵士たちが労働者の区画を爆撃していた。この状況下、精神分析学連合はそのメンバーに衝突から距離をとるように指令していた。すなわち事実上はドルフースに与することであり、彼ら自身、四年後のナチの占領にいささかの貢献をしたわけだ。

3)Freud's voting preferences (in a letter, he reported that, as a rule, he did not vote—the exception occurred only when there was a liberal candidate in his district) are thus not just a private matter, they are grounded in his theory. The limits of Freudian liberal neutrality became clear in 1934, when Dolfuss took over in Austria, imposing a corporate state, and armed conflicts exploded in Vienna suburbs (especially around Karl Marx Hof, a big workers housing project which was the pride of Social Democracy). The scene was not without its surreal aspects: in central Vienna, life in the famous cafés went on as normal (with Dolfuss presenting himself as defender of this normality), while a mile or so away, soldiers were bombarding workers' blocks. In this situation, the psychoanalytic association issued a directive prohibiting its members from taking sides in the conflict—effectively siding with Dolfuss and making its own small contribution to the Nazi takeover four years later.

ジジェクは《フロイトのリベラルな視点では、極右的リンチの群衆と左翼の革命的集団はリピドー的には同一のものとして扱われる》としているが、フロイトは次のように書いてもいる。《集団の知的な能力は、つねに個人のそれをはるかに下まわるけれども、その倫理的態度は、この水準以下に深く落ちることもあれば、またそれを高く抜きんでることもある》。

集団の道義を正しく判断するためには、集団の中に個人が寄りあつまると、個人的な抑制がすべて脱落して、太古の遺産として個人の中にまどろんでいたあらゆる残酷で血なまぐさい破壊的な本能が目ざまされて、自由な衝動の満足に駆りたてる、ということを念頭におく必要がある。しかしまた、集団は暗示の影響下にあって、諦念や無私や理想への献身といった高い業績をなしとげる。孤立した個人では、個人的な利益がほとんど唯一の動因であるが、集団の場合には、それが支配力をふるうのはごく稀である。このようにして集団によって個人が道義的になるということができよう(ルボン)。集団の知的な能力は、つねに個人のそれをはるかに下まわるけれども、その倫理的態度は、この水準以下に深く落ちることもあれば、またそれを高く抜きんでることもある。(フロイト『集団心理学と自我の分析』)


…………

再び『LESS THAN NOTHING』より。

われわれはフロイトの立場に少なくとも三つの点を付け加えるべきだ。第一に、フロイトは人為的集団の教会モデルと軍隊モデルのはっきりした区別をしていない。“教会”はヒエラルキー的な社会秩序を表わし、平和と均衡を必要にせまられた妥協をもって維持しようとする。“軍隊”は、平等主義の集団を表わし、内的なヒエラルキーによって定義されるのではなく、彼らを破壊しようとする敵への対抗勢力として定義される。――ラディカルな解放運動は、常に軍隊がモデルであり、決して教会ではない。千年至福の教会millenarian churchesは実のところ軍隊のように組織されている。第二に、“退行的な”原始集団は最初に来るわけでは決してない。彼らは人為的な集団の勃興の“自然な”基礎ではない。彼らは後に来るのだ、“人為的な”集団を維持するための猥雑な補充物として。このように、退行的な集団とは、象徴的な「法」にたいする超自我のようなものなのだ。象徴的な「法」は服従を要求する一方、超自我は、われわれを「法」に引きつける猥雑な享楽を提供する。最後に挙げるがけっして重要性に劣るわけでないものとして、そもそも野性的な暴徒とは、本当に社会的つながりの野放しのゼロ度なのだろうか? むしろ社会組織に及ぶギャップもしくは非一貫性への自制心を失った反動なのではないか。暴徒の暴力は、定義上、社会的ギャップの外部の原因として、(誤)認知された対象に向かう(たとえば、ユダヤ人)。まるでその対象が破壊されれば社会的ギャップが廃棄されるかのようにして。

We should add to this Freudian position at least three points. First, Freud fails to clearly distinguish between the church‐model and the army‐model of the artificial crowd: while the “church” stands for the hierarchical social order which tries to maintain peace and equilibrium by making necessary compromises, the “army” stands for an egalitarian collective defined not by its internal hierarchy but by its opposition to an enemy which is out to destroy it—radical emancipatory movements are always modeled on the army, not the church, and millenarian churches are really structured like armies. Second, “regressive” primary crowds do not come first, they are not the “natural” foundation for the rise of “artificial” crowds: they come afterwards, as a kind of obscene supplement that sustains the “artificial” crowd, thus relating to the latter like the superego to the symbolic Law. While the symbolic Law demands obedience, the superego provides the obscene enjoyment which attaches us to the Law. Last but not least, is the wild mob really the zero‐level of the unbinding of a social link? Is it not rather a panicky reaction to the gap or inconsistency that cuts across a social edifice? The violence of the mob is by definition directed at the object (mis)perceived as the external cause of the gap (the Jews, exemplarily), as if the destruction of that object will abolish the gap.


ジジェクは次のように言う、《“退行的な”原始集団は最初に来るわけでは決してない。彼らは人為的な集団の勃興の“自然な”基礎ではない。彼らは後に来るのだ、“人為的な”集団を維持するための猥雑な補充物として。このように、退行的な集団とは、象徴的な「法」にたいする超自我のようなものなのだ。象徴的な「法」は服従を要求する一方、超自我は、われわれを「法」に引きつける猥雑な享楽を提供する。》

だが人為的な集団を維持するためには、やはりこの後から来る猥雑な補充物(享楽)が「つねに」必要なのではないか、という問いはあるだろう。《原子力の可能性を過大評価することも、危険性を過度に煽り立てることも、“享楽的”であるがゆえに危険である。》(斎藤環の東北:8月 「ダークツーリズム」の享楽 毎日新聞 2013年08月13日 東京夕刊)

日本人がデモに行かないということは、たんに近代の社会(ゲゼルシャフト)ということでは理解できない。また、それを一般に大衆社会や消費社会のせいにすることもできない。私化した個人にとっては、たんなるデモでも大変な飛躍を意味する。もしデモに行くとすれば、原子化したタイプからなる群衆あるいは暴徒としてのみである。これは長続きしない。その後は、まったくデモがないということになる。それに対して、自立化した個人のタイプは、「個人と国家の間にある自主的集団」、つまり協同組合・労働組合その他の種々のアソシエーションに属しているから、逆に、個人としても強いのである。結社形成的な個人はむしろ、結社の中で形成されるものだ。一方、私化した個人は、政治的には脆弱であるほかない。(柄谷行人『丸山真男とアソシエーショニズム (2006)』


ここで象徴的な「法」と猥褻な「超自我」の区別を説く文を付記しておこう。

フロイトは、主体を倫理的行動に駆り立てる媒体を指すのに、三つの異なる術語を用いている。理想自我、自我理想、超自我である。フロイトはこの三つを同一視しがち、……だがラカンはこの三つを厳密に区別した。

<理想自我>は主体の理想化された自我のイメージを意味する(こうなりたいと思うような自分のイメージ、他人からこう見られたいと思うイメージ)。
<自我理想>は、私が自我イメージでその眼差しに印象づけたいと願うような媒体であり、私を監視し、私に最大限の努力をさせる<大文字の他者>であり、私が憧れ、現実化したいと願う理想である。

<超自我>はそれと同じ媒体の、復讐とサディズムと懲罰をともなう側面である。

この三つの術語の構造原理の背景にあるのは、明らかに、<想像界><象徴界><現実界>というラカンの三幅対である。理想自我は想像界的であり、ラカンのいう<小文字の他者>であり、自我の理想化された鏡像である。自我理想は象徴界的であり、私の象徴的同一化の点であり、<大文字の他者>の中にある視点である(私はその視点から私自身を観察し、判定する)。超自我は現実界的で、無理な要求を次々に私に突きつけ、なんとかその要求に応えようとする私の無様な姿を嘲笑する、残虐で強欲な審級であり、私が「罪深い」奮闘努力を抑圧してその要求に従おうとすればするほど、超自我の眼から見ると、私はますます罪深く見える。見世物的な裁判で自分の無実を訴える被告人についてのシニカルで古いスターリン主義のモットー(「彼らが無実であればあるほど、ますます銃殺に値する」)は、最も純粋な形の超自我である。

これらの厳密な区別から、ラカンにとって、超自我は「その最も強制的な要求に関しては、道徳意識とはなんの関係もありません」。それどころか超自我は反倫理的な審級であり、われわれの倫理的裏切りの烙印である。では残りの二つのうち、どちらが倫理的な審級なのか。アメリカの一部の精神分析家が提案してきたように、「悪い」(非合理的で過剰で残虐で不安を掻き立てる)超自我に対抗して、「良い」(合理的で穏健で思いやりのある)超自我に従わせるべきなのか。ラカンはこの安易な方法を却下する。

So which one of the other two is the proper ethical agency? Should we – as some American psychoanalysts proposed, relying on a couple of Freud’s ambiguous formulations – set up the “good” (rational-moderate, caring) Ego-Ideal against the “bad” (irrational-excessive, cruel, anxiety-provoking) superego, trying to lead the patient to get rid of the “bad” superego and follow the “good” Ego-Ideal?

※この英語原文から窺うに、日本語訳《「良い」…超自我》は誤訳で、《「良い」自我理想》とすべきだろう。

ラカンにとって、唯一の正しい審級は、三つからなるフロイトのリストにはない第四の審級、すなわちラカンが時おり「欲望の法」と呼ぶ、欲望に従って行動せよとあなたに命令する審級である。ここで重要なのは、「欲望の法」と自我理想(主体が教育を通じて内在化する社会的・象徴的規範と理想のネットワーク)との差異である。ラカンにとって、道徳的成長と成熟へと導く、自我理想という一見善意にみちた審級は、現存する社会的・象徴的秩序の「理に叶った」要求を採用することによって、「欲望の法」を裏切るよう強いる。過剰な罪悪感をともなう超自我はたんに自我理想の必然的な裏返しであり、われわれに「欲望の法」を裏切らせるために、耐えがたい圧力をかけるのだ。超自我の圧力の下でわれわれが経験する罪悪感は幻想的なものではなく実際の罪悪感である。「ひとが罪悪感を持ちうる唯一のことは、自分の欲望に関して譲歩したこと」であり、超自我の圧力はわれわれが自分の欲望を裏切ったことについて実際に罪があるのだということを示している。

 ───ジジェク『ラカンはこう読め』鈴木晶訳(紀伊国屋書店)第一刷(2008.2.6)より

…………

※附記:ジジェク「メランコリーと行為」より

以下の文は、《根源的悪とは、最も極端な場合、規範を乱暴に破ることではなく、パトローギッシュな理由から規範に服従することなのである》を中心にして読みたい。あるいは、《倫理的行為は何が現実であるのか定義し直すものである》を。デモ行動以外に現実の座標軸(まずは対象ではない、われわれのなかの座標軸である)を変えうる行為は多くない、つねにデモ行動に伴いがちな猥雑な「享楽」を怖れつつ。

カントの倫理に関する標準的な誤読は、次のような理論にカントの倫理を還元してしまうというものだ。その理論とは、真の倫理的行為とたんなる法的行為との差異は主体の内面的姿勢のみにかかわるとでも言うかのように、行為の倫理的性格を判断する唯一の基準として、主体の意図の純粋な内面性を措定する理論である。法的行為において、私は、パトローギッシュな(感性的動因による)配慮(罰への恐れ、ナルシシスティックな満足、仲間からの賞賛)から法に従うのだが、他方で、義務を尊重する純粋な気持ちから同じ行為を行いさえすれば、つまり、義務がその行為を成し遂げる唯一の動機であるならば、私の行為は本当の道徳的行為となりうる、というわけだ。この意味で、本当の倫理的行為とは二重に形式的なのだ。つまり、そうした行為が法の普遍的形式に従うというだけでなく、この普遍的形式がその行為の唯一の動機でもある、ということだ。しかしながら、〔法の〕新たな内容そのものが、そうした形式の二重化からのみ現れうるとしたらどうだろう。形式主義(形式的法規範)の枠組みを事実上粉砕する真に新たな内容が、形式の自己反省を通してのみ現れうるとしたらどうだろうか。法とのその侵犯という点から言えば、本当の倫理的行為とは、法規範の侵犯――たんなる法律違反とは対照的に、法規範を破るだけではなく、何が法規範であるか定義し直すような侵犯行為――である。道徳律は善に従うのではない。何が善であるか、その新しい形を作り出すものなのだ。

ここで重要な問題に直面することになる。次のような素朴な疑問が生じるのだ。なぜそうなのか? 主体が義務感からのみ行うようなやり方で既存の倫理規範をそのまま現実化する、そういう倫理的行為はなぜ可能ではないのか? この問題にこれとは反対の側からアプローチしよう。新たな倫理規範はどのようにして現われるのか? 規範の既存の枠組みとこうした規範が適用される経験的内容との相互作用からは、この疑問には答えられない。状況があまりにも複雑になるか激変するかして、旧来の規範では対応しきれなくなり、新たな規範を作らねばならなくなる(旧来の規範をそのまま適用すると行き詰ってしまうクローン技術や臓器移植の場合のように)ということではない。さらなる条件が満たされねばならないのだ。既存の規範を適用するにすぎない行為は合法的なだけだが、これに対して、何が倫理規範であるか定義し直す行為は、ただ合法的なだけの身振りとしては成し遂げられず、先に述べたような言葉の二重の意味での形式的な身振りとして実現されなければならない。つまり、そうした行為は義務のために完遂されねばならない、ということでもあるのだ。なぜ? という疑問が再び生じる。なぜそうした倫理的行為は、新たな現実に既存の規範を当てはめる行為としては完遂されえないのだろうか。

現実が発する新たな要求に応じるために法規範を変えるならば(たとえば、カトリック穏健派が「現実主義的」になり、新時代に対して部分的に譲歩し、夫婦間の性交渉にかぎって避妊を認めるという場合のように)、法からその尊厳をア・プリオリに奪うことになる。なぜなら、そのときわれわれは、功利主義的なやり方で、パトローギッシュな利益=関心(幸福)に関する満足度を増大させうる道具として法規範を扱っているからだ。これが意味しているのは、法をめぐる厳格な形式主義(どれほど犠牲を払うことになろうと、無条件に、事情の如何にかかわらず、法の文言を厳守すべきだ)と、プラグマティックで功利的な日和見主義(法規範には柔軟性がある。法は生活の必要に応じて修正すべきだ。法は、それ自体が目的なのではなく、生活する生身の人間の要求を満たすものでなければならない)とは、同じコインの裏と表であるということだ。というのは、この両者はどちらも、義務のために果たされる倫理的行為として規範を侵犯する、という考え方を排除していることで成立しているからである。さらに言えば、根源的悪とは、最も極端な場合、規範を乱暴に破ることではなく、パトローギッシュな理由から規範に服従することなのである。間違った理由から正しいことを行うこと、自分の利益になるから法に従うということは、たんに法を侵犯するよりもはるかに悪いことなのだ。直接的な侵犯行為はたんに法を破るだけで、法の尊厳はそのまま保たれるが、他方、間違った理由から正しいことを行うことは、法を尊重されるべきものとして扱わず、法を人間のパトローギッシュな利益=関心のための道具にまで貶めることであって、法の尊厳をその内側から掘り崩すことなのだーーそれはもはや法の外部からの侵犯ではなく、法の自己破壊、法の自殺行為である。言いかえると、悪の形式をめぐる伝統的な位階序列は次のように転倒されねばならない。一番の悪は、外面的な合法性、パトローギッシュな理由から法を遵守することである。次にくるのは、たんなる法律違反、法を無視することだ。最後に、間違った(パトローギッシュな)理由から正しい(倫理的な)ことを行うこととは正反対の行為がくる。それはつまり、正しい理由から間違ったことを行うこと、倫理規範を、パトローギッシュな理由からではなくただその規範のために破るという行為である(カントはこうした行為をーーそれが行われる可能性は否定したけれどもーー悪魔的悪と呼んだ)。そのような悪を、形式的に善から区別することはできないのだ。

したがって、倫理的行為は、義務感から成し遂げられる行為であるばかりか、アクチュアルな効果を与えるものでもあり、現実に介入するものでもある、というだけではない。アクチュアルな結果をもたらすという意味で、現実への介入以上のことをするのである。つまり、倫理的行為は何が現実であるのか定義し直すものである、ということだ。本当の道徳的行為において、内面と外面、内的意図と外的結果は一致する。それらは同じコインの裏と表なのだ。