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2014年10月13日月曜日

ニーチェの妹

さて、――なんの話だったか。
まずはふたたびヴァレリーの言葉に耳を傾けることにする。

私としてもしばしば、この種類の、我々の認識を実質的には少しも深めはしない生活上の消息について、相当な好奇心を抱くことがあるのだが、私の興味を 惹く事柄が必ずしも私にとって重要なものであるとは限らないのであって、これは私だけでなく、だれの場合にしても同じことが言える。要するに、我々は、我々を面白がらせることに対して常に警戒していなければならない。(ヴァレリー『ドガ・ダンス・デッサン』 吉田健一訳――「オナニスト」ニーチェ

だが今回はマスターベーションの話ではない
わたくしは伝記のたぐいを熱心に読む習慣がないので
エリーザベト・ニーチェのことについてもたいして知っていない

死後出版の『権力への意志』を編集しなおしたとか
(それにハイデガーとドゥルーズが騙されたとか)
初期のニーチェ全集に伏字をほどこしたとか
ニーチェの「手紙」のなかには、「妹のこしらえものの手紙」があるとか
原文がStille(静寂)なのにWille(意志)と印刷された箇所があるとか
まあせいぜいこの程度である

どうせなら「権力への意志」を、すべて「権力への静寂」にすべきではなかったか
実際これは冗談ではなく、わたくしのひねくれた頭にはぴったりくる。

フロイトのマゾヒズムの経済的問題』には次の文がある。

《破壊欲動とか征服欲動とか権力への意志》
(Destruktionstrieb, Bemächtigungstrieb, Wille zur Macht)

フロイトは権力への意志を、
タナトス(死の欲動)と近似したものとして扱っている。
で、ここでドゥルーズのお出まし願えば
『マゾッホとサド』には次のようにある、

エロスに担われて表面まで導かれる底知れぬ深淵としてのタナトスは、本質的に口をとざしている。(蓮實重彦邦訳p143)

どうしてこの二つの文から、権力への静寂としていけないわけがあろう。
ニーチェだってラカンのように語呂合わせの趣味があったら
W-Stilleとでもしたのではないか

『権力への意志』には、英訳からだが次の文がある。

[My theory would be:_] that the will to power is the primitive form of affect, that all other affects are only developments of it

アフェクトとある。これはふつう「情動」と訳されるだろう。

ラカンの言う情動とは、身体がシニフィアンの媒介なしに現実界にアフェクトされること(立木康介)--フロイトの「現勢神経症Aktualneurose」概念をめぐる現代の新しい「症状」

情動と欲動、そして死の欲動は限りなく近い。
すべての欲動は潜在的には死の欲動である。
《…toute pulsion est virtuellement pulsion de mort.》 (Lacan Ecrit 848)

しかもニーチェ遺稿、《Wer legt aus? - Unsere Affekte.》(688  March-June 1888)を
《誰が解釈するのか?――われわれの欲動(Affekte)である》
と訳されている先生がいる(『「権力への意志」の冒険』 砂原陽一)

ニーチェの『権力への意志』遺稿には“Triebe”の語も頻出するので、
“Afekte”を欲動と訳された場合、どうするつもりなんだろう、
という疑念は湧くが、これはこれでおもしろい。

クロソウスキーの『ニーチェと悪循環』の訳者Daniel W. Smith
――彼はすぐれたドゥルーズ研究者でもあるーーの訳者序文にはこうある。

Nietzsche himself had recourse to a varied vocabulary to describe what Klossowslu summarizes in the term 'impulse': 'drive' (Triebe), 'desire' (Begierden), 'instinct' (Instinke), 'power' (Machte), 'force' (Krafte), 'impulse' (Reixe, Impulse), 'passion' (Leidenschaften), 'feeling' (Gefiilen), 'affect' (Afekte), 'pathos' (Pathos), and so on.
(”Translator’s Preface” Nietzsche and the Vicious Circle PIERRE KLOSSOWSKI Translated by Daniel W. Smith)

クロソウスキードゥルーズの混淆流なら、
「権力への意志」は、「〈力〉puissanceへの衝動implusion」とでもいうべきところか。
いや力puissanceへのパトスPathosってのがオレの趣味だな
ニーチェには「距離のパトス」という美しい表現がある。

《人と人、階級と階級を隔てる深淵、種々のタイプの多様性、自分自身でありたい、卓越したものでありたいという意志、わたしが〈距離のパトス〉と呼ぶものは、あらゆる「強い」時代の特徴である》(ニーチェ『偶像の黄昏』)

『偶像の黄昏』でしたか、ニーチェがおもしろいことを言っていて、ルネッサンスのような『強い』時代には、人と人との間、階級と階級との間に距離があり、その距離にパトスがみなぎっていた。そのパトスを通じてこそ、自分が自分自身になり、自分を他から卓越させたいという欲望が実現されたんだと。ニーチェ自身の生きていた十九世紀後半のドイツはそういう『強い』時代ではあり得ないという嘆きなんでしょうが、さらに時代がくだって、我々はそれよりさらにいっそう『弱い』時代を生きている。『距離のパトス』が失われているんですね。そうすると、結局、個人ひとりひとりが自分自身の内面に無理やり『距離』をつくり出していくしかない。これは何とも厳しい途ですよね。切羽詰った力業によって、そのつど捏造されるほかない文学の発生でしょう。(松浦寿輝 古井由吉との対談にて)

…………

さて寄り道はやめて元に戻れば、そもそもニーチェの恋愛事件
ーールー・アンドレアス・サロメとのーーにちょっかいをだして
仲をこじれさせたという話もたいして知らなかった.

という無知なわたくしを、ひどく《面白がらせる》論文にウェブ上で出会ったというわけだ。それは、「思想の歪曲としての「力への意志」 : エリーザベト・ニ ーチェの場合」(須藤訓任 Issue Date 2012-12-25)なるものである。

たぶん専門家の方々にとってはとっくの昔に「常識」なのだろうが、
そこにはこれも死後出版の『この人を見よ』の「序言」につづく
「なぜわたしはこんなに賢明なのか」第三節が
妹によって原稿差し替えがなされているという話が書かれている。

これはすでに1969年に「本来」の原稿に戻されたらしいので、
現在の『この人を見よ』邦訳にも、
新しい「正規の」もので訳されているのかもしれない。
わたくしの手元の手塚富雄訳は、旧版の訳のままだし、
須藤訓任氏の指摘では西尾幹二訳もそのままである。

というわけで、ニーチェの「本来の」原稿から抜き取られた箇所を掲げよう。

「わたしに最も深く敵対するものを、すなわち、本能の言うに言われぬほどの卑俗さを、求めてみるならば、わたしはいつも、わが母と妹を見出す、―こんな悪辣な輩と親族であると信ずることは、わたしの神性に対する冒瀆であろう。わたしが、いまのこの瞬間にいたるまで、母と 妹から受けてきた仕打ちを考えると、ぞっとしてしまう。彼女らは完璧な時限爆弾をあやつって いる。それも、いつだったらわたしを血まみれにできるか、そのときを決してはずすことがないのだ―つまり、わたしの最高の瞬間を狙ってin meinen höchsten Augenblicken 1 くるのだ…。そ のときには、毒虫に対して自己防御する余力がないからである…。生理上の連続性が、こうした 予定不調和disharmonia praestabilita を可能ならしめている…。しかし告白するが、わたしの本来 の深遠な思想である 「永劫回帰」 に対する最も深い異論とは、 つねに母と妹なのだ。―」 (KSA(Friedrich Nietzsche Sämtliche Werke Kritische Studienausgabe, dtv/de Gruyter), 1980, Bd. 6, S.268)
注1) 一橋大学の田邉秀樹教授からこの「最高の瞬間」に関して、それは 「せっぱ詰まった、ぎりぎりの瞬間」 という 意味合いがあるのではないか、たとえば、最終ぎりぎりの列車についてhöchst という形容がなされるように、と いう示唆を頂いた。 (本稿最後の 「付記」 参照。 )余裕がなくなり無防備になったという意味であり、 そのかぎり、 ニーチェのいまの文脈に(また後に見る書簡下書きの内容にも)よく適った指摘であると考える。

とてもわたくしを面白がらせる。しかも、《しかし告白するが、わたしの本来の深遠な思想である 「永劫回帰」 に対する最も深い異論とは、 つねに母と妹なのだ》とあるように、「永劫回帰」という語彙が出現する意味で、なんとも捨て難い(それはニーチェをオナニストと告発するワーグナーの話と同様)。

またこの論文には次のようなニーチェの手紙の下書きも二つ引用されている。

《いくつかの書簡や書簡の下書きのうちに確認される文面内容(……)。たとえば、 母親宛にしたためられた書簡下書きを見てほしい。1884 年1 月か2 月、ルー・サロメとの恋愛 事件が、家族、とくに妹の介入によってこじれにこじれる経過を辿って(ニーチェにとっては) 悲劇的な結末を迎えておよそ一年後に、執筆されたものである。そこには、 「私に対する妹の致 命的な倒錯行為die verhängnisßvolle Perversität meiner Schwester gegen mich」という語句に続けて、 次のように記されている。》

ところでとっくに分かっていたことですが、妹は私が死ぬまで手を休めることがありません。 いまでは、ツァラトゥストラは〔第三部まで〕完成しています。それが完成し私が自分の港に入 っていったその瞬間を狙って、妹は立ち上がり両手いっぱいの汚物を私の顔めがけて投げつけた のです。 (…)あなた方でなければ、いったい誰が私に対して失礼な振る舞いをしたというので しょう。あなた方でなければ、誰が私の人生を危機に陥れたというのでしょう。あなた方のよう に、誰が私をこんなに完全に見捨て、私が慰めを必要としていた時に対するお返しとして、私の 人生と努力の全体を嘲笑し汚したでしょうか。/子供の頃から知っていましたが、私とあなた方 を隔てる道徳的な距離をますます痛感するようになりました。この距離をあなた方にあまり気取 られないようにするために、私は自分の全温和さ・全忍耐・沈黙を必要としてきました。あなた 方のような人間とこれほど近親であるためにどれほどの嫌悪感を克服しなければならないか、な にもお分かりにならないのですか! 妹の手紙を読み、愚鈍と傲岸さのこの混合が道徳的に着飾ってさえいるさまを飲み下さなければならないとき、どんな嘔吐に駆り立てられることでしょう か。 」 (KSB(Friedrich Nietzsche Sämtliche Briefe Kritische Studienausgabe, dtv/de Gruyter) Bd. 6,S.468f.)

《また同時期のオーヴァーベック宛書簡の下書きにはこうある。》

「ちなみに、わが妹は不幸をもたらすウジムシです。この二年間六度にわたって彼女は、私の最 高にして至福の感情―およそこの地上では稀であった感情―のただ中に、あまりに人間的な ものの卑劣きわまりない臭気を漂わせる手紙を放り込んできたのです。/いつも不思議に思って いたのですが、ローマでもナウムブルクでも、妹の言うことで私の気持ちを逆撫でしないことは ごく稀でした。/妹から手紙を受け取るたびに、サロメ嬢について語るその汚らわしい中傷のや り方に憤慨させられました。 (…)妹の一番最近の手紙の類いには法的に本来、横っ面を二、三 発張ってやるくらいがふさわしいでしょう。 」 (Ibid., S.471f.)

…………

須藤訓任大阪大学教授に敬意を表して、あわせて付録も掲げておこう。

《付録として、 本邦最初のエリーザベトの評伝、 恒吉良隆著『ニーチェの妹 エリーザベト―その実像』 (同学社、 2009 年)の須藤による書評( 『図書新聞』2952 号、2010 年2 月6 日)の一部を載せておきたい。その論旨は以 上の議論と基本的に一致するはずである。》

第2 次世界大戦後はひたすら負の側面が強調されてきたエリーザベトであったが、みずからの精神的・経済的 自立を求めて格闘するその姿に、著者〔恒良氏〕は、時代に先駆けて解放された女性を見定めて、積極的に評価 する。正負のバランスに配慮しながら、なだらかな日本語で記された本書を読みながら、私〔須藤〕は改めて、 エリーザベトとは幸福な一生を送った人だとの印象を強くした。数多くの苦難にも挫けず、自分の意志を貫徹し た女性という意味においてである。運に左右される局面もあったにせよ、その運を結果的に自分の味方に転じる 力を備えていた。兄の言葉を借りるなら、 「残酷な偶然」を(自己流に) 「料理」するすべを心得ていた。

それ だけに、エリーザベトの正負の両面とは厳密に同じコインの表裏なのではないか、との思いが離れない。彼女の 「実像」とは、正の部分を残して負を切り捨てることが不可能な、まさに正負の一体であるところにこそ存する のではないか。この実像が兄にとって不幸だったのは、彼女の精神が兄の思想的テーマであった「価値転換」と 無縁だったからである。彼女はあくまで時代社会の基本的価値観を前提した上でみずからの野心の実現に奔走し た。そこには時代や伝統それ自体に対峙した兄の精神的苦闘に共感する余地はなく、だからこそ、兄を自分の理 解や利害の圏域に引きずり込んで恬として恥じることがなかった。ただ、厄介なことに、彼女の存在抜きでは兄 の思想の運命も一変していただろう。 それは吉と出るか凶と出るかは簡単には判定できない変化となっただろう。 兄の思想のファシズムやナチズムとの関連付けは弱められたかもしれないが、そもそも膨大な遺稿が散逸されて しまった可能性も高い。兄は妹の最大の被害者にして最高の受益者だったのだろうか。 

…………

※附記

途中で情動と欲動をめぐっていい加減なことを書いて誤解を惧れるので、ここに柄谷行人と浅田彰の見解を附記しておく(「悪い年」を超えて(1996 Ⅱー9 批評空間 坂本龍一 浅田彰 柄谷行人)より)。もっともニーチェが「情動」という語彙でなにを言おうとしたのか、クロソウスキーのいう衝動のようなものであれば、死の欲動に近づくこともあり得るというだけである。その意味で、砂原陽一氏の訳文、《誰が解釈するのか?――われわれの欲動(Affekte)である》は、思い掛けない新鮮さをもたらしてくれた。


柄谷)ただぼくは、死の衝動や攻撃衝動は生物学的概念ではないと思うんです。つまり、死の衝動は感情や情動に属するのではなく、むしろカントが「理性」と呼んだものと結びついていると思う。カントにとって、感覚や感情が犯す誤謬などは高が知れていて、理性そのものが犯す誤謬こそが問題だった。理性のやみがたい欲動を何とか抑制しようというのがカントの「批評」の狙いです。しかし、ロマン派にはそういう認識はない、それは、平たく言えば、感情対理性の二元論で、それを想像力(美)によって統合するというものです。そして、ロマン派が保守化すると、現実の秩序が保たれるためには感情を、あるいは快感原則を抑制しなければならない、というようなことをいいはじめる。「成熟と喪失」とかね(笑)。

浅田)子供っぽいロマン派の夢を捨てて、「現実」に「責任」のとれる「大人」になろうという、最近また流行っている擬似ヘーゲル主義もそうでしょ。それこそがいちばん子供っぽいロマン派の考えなんだけど。

柄谷)そうですね。文化に対して自然を回復せよというロマン派と、それを成熟によって乗り越えよというロマン派がいて、それらは現在をくりかえされている。後期フロイトはそのような枠組を脱構築する形で考えたと思います。文化あるいは超自我とは、死の衝動そのものが自分に向かったものだという、これはすごく大きな転回だと思う。彼はある意味で、逃げ道を絶ってしまった。

浅田)ニーチェが言っていたのもそういうことなんじゃないか。力が自由に展開されるとき、それが自分自身に回帰して、自分自身を律するようになる。ドゥルーズやフーコーがニーチェから取り出したのもそういう見方なんで、それがさっきストア派的と言っていた姿勢にも結びつくわけでしょ。

ここには浅田彰の「権力への意志」の見解もあると読めるだろう、《力が自由に展開されるとき、それが自分自身に回帰して、自分自身を律するようになる》。

ジジェクもこの点については、柄谷行人や浅田彰の見解とほぼ似たものだとすることができる。

カント以前の宇宙では、人間は単純に人間だった。動物的な肉欲や神的な狂気の過剰と戦う理性的存在だったが、カントにおいては、戦うべき過剰は人間に内在しているものであり、主体性そのものの中核に関わるものである(だからこそ、まわりの闇と戦う<理性の光>という啓蒙主義のイメージとは対照的に、ドイツ観念論における主体性の核の隠喩は<夜>、<世界の夜>なのだ)。

カント以前の宇宙では、狂気に陥った英雄は自らの人間性を失い、動物的な激情あるいは神的な狂気がそれに取って代わる。カントにおいては、狂気とは、人間存在の中核が制約をぶち破って爆発することである。(ジジェク『ラカンはこう読め!』ーー「否定判断」と「無限判断」--カントとラカン

だが、ニーチェがこのようでないはずはーーカントを喰べていないはずはーーまさかあるまい。

ニーチェは永遠の愚行に堕ちこんだ。本能を弁護するという愚行、自然を弁護するという愚行に。(ヴァレリー『ニーチェに関する手稿』)

ヴァレリーの言葉遣い「本能」は、二十世紀初頭のことであり、許しておこう。これはすくなくとも今ならAfekteやらTriebeやらにするところだろう。

本能という語は、有機体を生のサンスにかなった行動に導くガイドとして機能する内的な情報機構を指し示している。これに対し、過剰なサンスを孕むことによって錯乱してしまった本能が欲動である。例えば、性本能が種の保存のために、「正しい」相手に対する、時宜にかなった、「正しい」性行動を導くのに対し、性欲動は時と場所を選ばずありとあらゆる対象に向かって炸裂する。フロイトが喝破した通り、本来、人間は多形倒錯なのである。「正しい」異性愛のパターンが社会制度として課されねばならないのは、まさにこのためである。また、攻撃本能が適当なシグナルによって解除され、同類の無用な殺し合いが避けられるのに対し、攻撃欲動は見境なしに発動され、恐るべきジェノサイドを現出する。人間の歴史はまさしく血塗られた歴史であり、いかなる社会的規制も、より大きな暴力をもたらしこそすれ、永続的に平和を築くことができなかったというのは、周知の事実である。(浅田彰『構造と力』P34)

動物にはアウシュヴィッツも、コソボもない。レイシズムもないし、ヘイトスピーチもない。

Animals have no Auschwitz, no Kosovo. The element of biology cannot turn into psychology and, conversely, the element of psychology cannot become biology. The drive appears in the no-man's-land between these two and is the effect of this impossible crossing of the borders. The anger and aggression that often accompany it are always expres-sions of impotence and helplessness that are unknown to animals. Animals have instincts, not drives.(THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE Paul Verhaeghe)


…………

きみたちにフロイトの『性欲論三篇』を読み直すことを求める。というのはわたしはla dériveと命名したものについて再びその論を使うだろうから。すなわち欲動Triebを「享楽のdérive(drift)漂流」と翻訳する。(ラカンセミネールⅩⅩアンコール私訳)

であるにしても、『性欲論』の表現は微妙なものである。たとえば次の文を心理的なものと身体的なものの間にあるとするラカン派の学者(Paul Verhaeghe)はいるのだが。


欲動」という名のもとにわれわれが理解することのできるのは、さしあたり、休むことなく流れている、体内的な刺激源の心的な代表者以外のなにものでもないのであって、これは個別的に外部からやってくる興奮によってつくりだされる「刺激」とは異なるものである。だから欲動は心理的なものを身体的なものから区別する概念の一つである。この欲動の本性についてのもっとも単純でもっともらしい仮定は、欲動はその自身いかなる性質ももたず、心的生活に対する作業促進の尺度として問題になるにすぎない、というものであろう。あまたの欲動をそれぞれ区別して、これに特殊な性格を付与するのは、その身体的な源泉やその目標に対する欲動の関係なのである。欲動の源泉はある器官のなかで起る一つの刺激的な過程なのであって、欲動の当面の目標はこういう器官の刺激を除去することにあるのである。(フロイト『性欲論三篇』旧訳  p35)

《It situates the drive on the border between the psychic and the somatic》 (“Sexuality in the Formation of the Subject”(Paul Verhaeghe 2005)

”somatic”とは、ただ「身体的な」ではなく、「漂流する身体的な」とでも訳せるだろう。

そのときラカンの《欲動Triebを「享楽のdérive(drift)漂流」と翻訳する》は、「享楽のソマティック」的なもの、とすることができるかどうかは、わたくしには判然としない。