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2014年10月19日日曜日

聖者と道化、あるいはニーチェとラカン

ラカンの『同一化セミネール』には、《偉大な哲学者達は、彼らがはっきりと公表していることはまったく考えていないし、また、たとえばデカルトについても、彼はほとんど神を信じていなかった》云々とある。

このところフロイトとニーチェの仲良しぶりを探っているのだが、たまには息抜きをして、ラカン先生にお出まし願ったというわけだ。ラカンはニーチェの名を出すことはあまりなかったはずだが、名を出さないからといって影響を受けていないはずはない。

中井久夫はラカンとブランショの思想はヴァレリーから出たと断言しているそうだが(参照:書評『ヴァレリーの肖像』 清水徹 )、若いラカン派の精神科医曰く、「ラカン先生は自分が本当に参照しているテクストを隠す癖がある」などともある。これはひょっとして誰でもそうではないか。わたくしのようなものがブログを書く上でも、《心を寄せていた異性の名を口にできないのとおなじように、ほんとうに好きな作家、好きだった詩人の名はぜったいに明かせない》(堀江敏幸『河岸忘日抄』)でいる。

さて冒頭のラカンの言葉とニーチェを比べてみよう。

哲学者がかつてその本当の最後の意見を書物のなかに表現したとは信じない。

書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるものではないか。(ニーチェ『善悪の彼岸』289番 秋山英夫訳)

あるいはこう引用してもよい。

ひとがものを書く場合、分かってもらいたいというだけでなく、また同様に確かに、分かってもらいたくないのである。およそ誰かが或る書物を難解だと言っても、それは全然非難にならぬ。おそらくそれが著者の意図だったのだーー著者は「猫にも杓子にも」分かってもらいたくなかったのだ。

すべて高貴な精神が自己を伝えようという時には、その聞き手をも選ぶものだ。それを選ぶと同時に、「縁なき衆生」には障壁をめぐらすのである。文体のすべての精緻な法則はそこ起源をもつ。それは同時に遠ざけ距離をつくるのである。(『悦ばしき知識』秋山英夫訳)

ここには「距離のパトス」が書かれていることをみるのは易しいが、世の中には不感症の連中も多いので、次の文を並べておこう。

人と人、階級と階級を隔てる深淵、種々のタイプの多様性、自分自身でありたい、卓越したものでありたいという意志、わたしが〈距離のパトス〉と呼ぶものは、あらゆる「強い」時代の特徴である》(ニーチェ『偶像の黄昏』原佑訳)

もちろん、これらの文もニーチェという「哲学者」が語っているのだから、《書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるものではないか》などと額面通り受け取らなくてもいいわけだ。ただ、翻訳文であるにもかかわらず、ギリシア人ニーチェの「音調」を聴く耳さえもっていればよろしい。

・・・おお、このギリシア人たち! ギリシア人たちは、生きるすべをよくわきまえていた。生きるためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまることが必要だった。仮象を崇めること、ものの形や音調や言葉を、仮象のオリュンポス全山を信ずることが、必要だったのだ! このギリシア人たちは表面的であった。深みからして! そして、わたしたちはまさにその地点へと立ち返るのではないか、--わたしたち精神の命知らず者、わたしたち現在の思想の最高かつ最危険の絶頂に攀じのぼってそこから四方を展望した者、そこから下方を見下ろした者は? まさにこの点でわたしたちはーーギリシア人ではないのか? ものの形の、音調の、言葉の崇め人ではないのか? まさにこのゆえにーー芸術家なのではないか。(ニーチェ KSA 3,S.352ーー『幻影の哲学者ニーチェ』山口誠一よりーーおそらく氏の訳だろう)

《……(私の頭はニーチェでいっぱいであった。読んだばかりだったのである。しかし私が欲していたもの、私が手に入れたがっていたものは、文である思想、という歌唱であった。影響は純粋に音調上のものであった。)》(『彼自身によるロラン・バルト』)

強度、刺激、音調。それが思考である。思考が何を語るかはまた別の問題であり、思考が何を語ろうとも同じである。そして思考が何かに適用されれば、また他 の強度、他の刺激、他の音調が生み出される。いまやニーチェは、もはや概念的能力においてではなく、情緒的能力において、思考を実践しようとする。それは 一つの限界点。知が、悟性の平和のためにではもはやなく、〈カオス〉の呼びかけにも似た諸力の意のままに活動する、そのための手段のようなものを手にする 限界点にほかならない。(クロソウスキー『ニーチェと悪循環』「トリノの陶酔」兼子正勝訳)

ここにでてくる〈カオス〉という語彙を誤解してはならない。言語的に分節化されない一様な混沌、ソシュールの「星雲」といういささか迂闊な表現から丸山圭三郎が誤読したともいわれるーー実際そうなのかどうかは知るところではないがーー「コスモス=分節化されたもの」と「カオス=分節化以前のもの」のカオスではなく、《あらゆるものがもつれあっているが故にそれがカオスと呼ばれるのではなく、そこにあるすべての要素がそれぞれに異なった自分をわれがちに主張しあっているが故にカオスなのである》(蓮實重彦『「魂」の唯物論的擁護にむけて――ソシュールの記号概念をめぐって 丸山圭三郎の記憶に』)。すなわち、とことん差異化=微分化されていて、さまざまな特異点がひしめいているものが、ここでのカオスである。

ニーチェは既に初期の段階で「概念」批判(吟味)として、無数の「木の葉」が犇く、その差異性を書いている。

なおわれわれは、概念の形成について特別に考えてみることにしよう。すべて語というものが、概念になるのはどのようにしてであるかと言えば、それは、次のような過程を経ることによって、直ちにそうなるのである。つまり、語というものが、その発生をそれに負うているあの一回限りの徹頭徹尾個性的な原体験に対して、何か記憶というようなものとして役立つとされるのではなくて、無数の、多少とも類似した、つまり厳密に言えば決して同等ではないような、すなわち全く不同の場合も同時に当てはまるものでなければならないとされることによってなのである。

すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである。一枚の木の葉が他の一枚に全く等しいということが決してないのが確実であるように、木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性を任意に脱落させ、種々相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであって、このようにして今やその概念は、現実のさまざまな木の葉のほかに自然のうちには「木の葉」そのものとでも言い得る何かが存在するかのような観念を呼びおこすのである。つまり、あらゆる現実の木の葉がそれによって織りなされ、描かれ、コンパスで測られ、彩られ、ちぢらされ、彩色されたでもあろうような、何か或る原形というものが存在するかのような観念を与えるのである。(ニーチェ「哲学者の本」「哲学者に関する著作のための準備草案」1872∼1873ーー「dyssyntagmatismus者」たち、あるいはニーチェと樫村晴香

さらに、クロソウスキーは《強度、刺激、音調。それが思考である》としている。これについてもいささか捕捉するならばプルーストは「美しい書物は一種の外国語で書かれている」としたが、ニーチェの「音調」を流暢さと捉えてはならない。沈黙とスカンシオン(句読点、どもり)を綯い混ぜにした「音楽」を聴き取ること。そうすれば、不意に、馴れ親しんだ言語とはおよそ異なる「外国語」のさなかに自分を見いだし、あたりにつぶやかれている聞き馴れぬ物音に、ぎこちない吃音をたどるようにして耳を傾けることができる。すなわち、ギリシア人ニーチェの、言葉としては響かない「強度」、「刺激」、「音調」の洗礼をうける。この大気の流れにかすかでも触れえた者のみが、その表層に走り抜ける感知しえないほどの「暗き先触れ」に身をまかすことができる。

雷は相異なる強度の落差で炸裂するが、その雷には、見えない、感じられない、暗き先触れが先行しており、これが予め、雷の走るべき経路を、だが背面において、あたかも窪みの状態で示すかのように、決定する。(ドゥルーズ『差異と反復』財津理訳)


私は旗のように遠方に取り巻かれている
下のいろいろな事物(もの)がまだ身じろぎもしないのに
私は吹きよせる風を予感し それを生きなければならない
扉はまだおだやかに閉じ 暖炉のなかもひっそりしている
窓もまだふるえず 埃りも重たくつもっている

そのとき私はもう嵐を知って 海のように騒めいている
私は身をひろげたり 自分の中へ落ちこんだり
身を投げだしたりして たった孤り
大きな嵐のなかにいる

--リルケ「秋」(富士川英郎訳)


もちろん、「縁なき衆生」とは縁なきつもりでいるはしたない〈わたし〉や〈あなた〉、凡庸な資質しか所有していないにもかかわらず、 なお自分が他の凡庸さから識別されうるものと信じてしまう薄められた独創性の錯覚に閉じ篭っている〈あなた方〉ーーすなわちギリシア人ではない〈わたくし〉や〈あなた〉だって、ニーチェの言葉、《生きるためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまることが必要だった。仮象を崇めること、ものの形や音調や言葉を、仮象のオリュンポス全山を信ずることが、必要だったのだ!》から、フーコーやドゥルーズのパクリを読みとるぐらいはできる。

すなわち、《外部は折り畳まれて内部へと陥没し存在に「襞」が生じる》というヤツだ。

〈わたくし〉が主体として構成されるのは、つまり「主体化」が行なわれるのは、ひとえにこの「褶曲」作用を通じて生れる…襞、それは外部でもなく内部でもない場所、中立性の空間…権力の網目のただなかにからめとられていながら、しかしそこだけぽっかりと空虚が穿たれ、関係しあい葛藤しあう諸力の自由な戯れが可能となる空白地帯…「生存の美学」を全うする能力を備えた倫理的主体としての「自己」とは、この「襞」の別名にほかならない…、

--ドゥルーズの『フーコー』にはこのように書かれるのだが、と読めば、フーコーの笑いさえ聞えて来るのが、「教養人」としての〈あなた〉のほどよい聡明さであろう…

《フーコー当人からして、すでに正確な意味で人称とはいえないような人物だったわけですからね。とるにたりない状況でも、すでにそうだった。たとえばフーコーが部屋に入ってくるとします。そのときのフーコーは、人間というよりも、むしろ大気の状態の変化とか、一種の<事件>、あるいは電界か磁場など、さまざまなものに見えたものです。かといって優しさや充足感がなかったわけでもありません。しかし、それは人称の序列に属するものではなかったのです》(ドゥルーズ

語りながら、フーコーは何度か聡明なる猿のような乾いた笑いを笑った。聡明なる猿、という言葉を、あの『偉大なる文法学者の猿』(オクタビオ・パス)の猿に似たものと理解していただきたい。しかし、人間が太刀打ちできない聡明なる猿という印象を、はたして讃辞として使いうるかどうか。かなり慎重にならざるをえないところをあえて使ってしまうのは、やはりそのが感嘆の念以外の何ものでもないからだ。反応の素早さ、不意の沈黙、それも数秒と続いたわけでもないのに息がつまるような沈黙。聡明なる戦略的兵士でありまた考古学者でもある猿は、たえず人間を挑発し、その挑発に照れてみせる。カセットに定着した私自身の妙に湿った声が、何か人間たることの限界をみせつけるようで、つらい。(蓮實重彦「聡明なる猿の挑発」フーコーへのインタヴュー 「海」 初出1977.12号)

ーーなどと引用しておれば、なかなかラカン先生にお出まし願えないので、ここでは当初の意図に戻ることにするなら、ラカンは『同一化セミネール』で次のように語っている。

真理は乙女である。真理はすべての乙女のように本質的に迷えるものである。「我思う」にしても同様である。教授連中にとって「我思う」が簡単に通用するのは、彼らがそこにあまり詳しく立止まらないからにすぎない。

ああ、ここにもニーチェがいるーー、ラカンはニーチェの名を口にすることはあまりなかったのは、フロイトに倣ったせいだとも憶測できる。


《ニーチェについていえば、彼の予見と洞察とは、精神分析が骨を折って得た成果と驚くほどよく合致する人であるが、いわばそれだからこそ、それまで,長い間避けていたのだった。》(フロイト『自己を語る』1925 )

真理が女である、と仮定すれば-、どうであろうか。すべての哲学者は、彼らが独断家であったかぎり、女たちを理解することにかけては拙かったのではないか、という疑念はもっともなことではあるまいか。彼らはこれまで真理を手に入れる際に、いつも恐るべき真面目さと不器用な厚かましさをもってしたが、これこそは女っ子に取り入るには全く拙劣で下手くそな遣り口ではなかったか。女たちが籠洛されなかったのは確かなことだ。(ニーチェ『善悪の彼岸』序文)


あるいは、ラカンの「テレヴィジョン」の「聖人」をめぐる箇所。

実をいうと、聖人は自分に功徳があるとは考えません。だからといって、彼が道徳を持っていないというわけではありません。他の人たちにとって唯一困るのは、そのことが聖人をどこに運んで行くのかわからないということです。

私といえば、また新たにこのような人たちが現れないかと懸命に考えています。おそらくそれは、私自身がそこに到達していないからに違いありません。

聖人となればなるほど、ひとはよく笑います。これが私の原則であり、ひいては資本主義的ディスクールからの脱却なのですが、-それが単に一握りの人たちだけにとってなら、進歩とはならないでしょう。

《私といえば、また新たにこのような人たちが現れないかと懸命に考えています。おそらくそれは、私自身がそこにーー聖人にーー到達していないからに違いありません》だって?

パクリといったって、ラカンはニーチェよりも慎ましいじゃないかーー、《わたしは、いつの日か人から聖者と呼ばれることがあるのではなかろうかと、ひどい恐怖をもっている》やら、《わたしは聖者になりたくない、なるなら道化の方がましだ……おそらくわたしは一個の道化なのだ》と書くニーチェよりも、ずっと慎ましい。


わたしはわたしの運命を知っている。いつかはわたしの名に、ある巨大なことへの思い出がむすびつけられるであろうーーかつて地上に例をみなかったほどの危機、最深処における良心の葛藤、それまで信じられ、求められ、神聖化されてきた一切のものを粉砕すべく呼び出された一つの決定への思い出が。わたしは人間ではない。わたしはダイナマイトだ。――だがそれにもかかわらず、わたしの中には、宗教の開祖めいた要素はみじんもないーー宗教とは賤民の関心事である。わたしは、宗教的人間と接触したあとでは手を洗わずにはいられない……わたしは「信者」などというものを欲しない。思うに、わたしは、わたし自身を信ずるにはあまりに意地わるなのだ。わたしはけっして大衆相手には語らない……わたしは、いつの日か人から聖者と呼ばれることがあるのではなかろうかと、ひどい恐怖をもっている。こう言えば、なぜわたしがこの書を先手をとって出版しておくのか、その真意を察してもらえるだろう。わたしは自分が不当なあつかいをされないよう、予防しておくのだ……わたしは聖者になりたくない、なるなら道化の方がましだ……おそらくわたしは一個の道化なのだ……だが、それにもかかわらず、あるいはむしろ「それだからこそ」――なぜなら、いままで聖者以上に嘘でかたまったものはなかったのだからーーわたしの語るところのものは真理なのだ。――しかし、わたしの真理は恐ろしい。なぜならこれまで真理と呼ばれてきたものは嘘なのだから。―― 一切の価値の価値転換。これが、人類の最高の自覚という行為をあらわすためのわたしの命名である。その自覚が、わたしの血肉となり、精髄となったのだ。わたしの運命は、わたしが最初のまともな人間であれねばならぬこと、数千年の虚偽と戦う自分だということを自覚することを欲している……わたしがはじめて真理を露わしたのだ、はじめて嘘を嘘と感じたことーー嗅ぎつけたことによって、わたしの天災はわたしの鼻孔にある……わたしは抗言する、これまでに行われたいかなる抗言よりも激しく。しかしそれにもかかわらず、わたしは否定精神とは正反対のものだ。わたしは、これまでに存在しなかったような福音の使者である。これまで誰も思いもよらなかったような高い使命を熟知している。わたしが出現して、やっとまた希望が生れたのだ。だがそれらすべてのことにもかかわらず、わたしは不可避的にまた宿命を担った人間である。なぜというに、真理が数千年にわたる虚偽と戦闘をはじめる以上、われわれはさまざまの激動に出会わざるをえないであろうから。かつて夢想もされなかったような大地のけいれん、山と谷との交替を経験するであろうから。そうなると政治などというものは、まったく亡霊どもの戦争になってしまう。古い社会の権力組織はすべて空中に飛散するーーそれらはすべて虚偽の上に立っているのだから。地上にためしのなかったような戦争が起こるだろう。わたしが現われてはじめて地上に大いなる政治が起こるのだ。――(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)


《われわれニーチェの読者は、次のような、ありうる四つの意味の取り違えを避けるようにしなければならない。

(一)〈力〉への意志に関して(〈力〉への意志が、「支配欲」を、あるいは「〈力〉を欲すること」を意味すると信じこむこと)。

(二)強い者と弱い者に関して(ある社会体制において、最も〈力〉の強い者が、まさにそのことによって「強者」であると信じこむこと)。

(三)〈永遠回帰〉に関して(そこで問題となっているのが、古代ギリシア人、古代インド人、バビロニア人……から借りた古いイデーであると信じこむこと。だからサイクルが、〈同一なもの〉の回帰が、同一への回帰が問題となるのだと信じこむこと)。

(四)最も後期の諸作品に関して(それらの著作が度を越した行き過ぎであると、あるいは狂気のせいで既に信用を失ったものであると信じこむこと)。》(ドゥルーズ『ニーチェ』P74)